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日本は男女不平等な国なのか?ー「平等」と「公平」の区別ができない人達―



 紀元二六八六年 あらたまの春ともなりぬればいとめでたし。

 令和七年は我が国の憲政史上、初の女性総理大臣が誕生したという話題が世間を賑わした。歴史を振り返れば行政の長という意味においては、北条政子以来となるので、実に八百年ぶりとなる。それ以前となれば、神功皇后の約千八百年ぶりだろうか。なんとも感慨深い。
 その高市新総理のZ世代と呼ばれる十代、二十代代からの支持率は、なんと約九十%近くあるそうだ。SNSでは、「#サナ活」というハッシュタグまである。なんとも凄まじい大人気ぶりだ。何より若い世代が政治に関心を持っているということが頼もしく嬉しい。
 SNSでは総理本人の過去の国会やメディアでの発言がとりあげられ、経歴はもちろん、ご主人の介護、血のつながらない自身の子供達との絆、そして婦人科系の疾患手術によって妊娠・出産が難しくなった経緯、更年期障害などによる女性特有の悩みに寄り添う姿勢が女性層にも好意的に受け止められているようである。
 特に印象的だったのは、総裁選後の挨拶の中で、「ワークライフバランスを捨てる」という発言や、「働いて働いて働いて働いて働いて参ります」という、働いてをなんと五回も強調したことだった。とても強いメッセージだった。「馬馬車のように働く」という発言は、かなり的外れな批判が散乱していたが、政治家が「わき目もふらずに一所懸命働く」と言ってくれているのだから、感謝せねばならない。一体、なにが不満なのだと不思議に感じた次第であった。
 本格的な高市内閣への評価は、これからの政策と実行、実績で問われるのであり、今ではない。特に、自民党議員の結党理念に対する記憶喪失は著しい懸念事項である。憲法に関しては、実質的かつ精神的にも、我が国の自主独立の権威回復に直結する第一義であるため、米国製の現行憲法の改正という誤った方向を謙虚に正し、自主憲法の奪還、つまり帝国憲法をはじめとする憲いつくしきのり法すべての奪還という使命と果たしてもらいたい。憲法議論は、政治論争ではなく、あくまで法学に基づく会議を広く興し、万機公論に決すべしである。「憲法(いつくしきのり)」とはなにも帝国憲法だけではない。天壌無窮の御神勅からの神勅、五箇条の御誓文、教育勅語、それらすべて包括して憲法(いつくしきのり)なのである。

◎ジェンダーギャップ指数と男女不平等

 高市内閣の閣僚人事が発表された後、想定内ではあったが、男女平等というジェンダー論、我が国の宿痾とされる男尊女卑に関する批判的話題が増えた。では本当に、我が国はそれほど男女不平等な国なのだろうか?
 驚いたことに、二〇二五年度の世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」によると、日本の男女平等ランキングは百四十八カ国中百十八位、さらに、先進七カ国(G7)の中では最下位とのこと。この報告書は、各国の男女格差を「経済、教育、健康、政治」の四分野で評価し、その達成率を数値化したものだそう。そして我が国は、その中でも特に、「経済」と「政治」についての評価がかなり低い。しかしだ。指数の算出方法は基本的に「女性人数÷男性人数」といった単純なものであり、項目ごとにいくつかのサブ項目が追加されているようだが、各国それぞれの社会的要因が反映されていないため、ジェンダーギャップ指数の結果で男女間の不平等があるとするには明らかに不適切なのである。
 読売新聞オンライン(2025/06/12)のランキング画像(下記)

出典:ジェンダーギャップ2025 148か国の男女平等ランキング
読売新聞オンライン(2025/06/12)

 特に、日本より上位の国々の順位をよく見ていただきたい。詳しい説明は不要なほど、いかにこの指数が男女不平等の根拠として不適切極まりないかを理解していただけるだろう。 
 ところが、昨年十一月の参議院本会議で立憲民主党の塩村あやか議員は、高市総理に対し、このジェンダーギャップ指数を根拠に女性の組閣人数が首相を含めた十九人中、たった二人であり、男女平等に反するとして改善を要求した。図々しくも、数値目標と期限まで迫っていたのである。 
 平和ボケの象徴であるジェンダー論とは、歴史文化的、社会的に形成された男女の性差の違いに論点をあてた学問であり、この男女という性差によって不当な差別や格差が生じていることを問題とするのが、ジェンダー問題(男女不平等問題)であるとする。であれば、高市内閣の閣僚のうち、大臣としての資質ではなく、「女性だから」という理由で登用されていない事例があれば、まぁ問題と指摘しても良いのであろう。しかし単に、男性の割合に対して女性の登用人数が少ないという指数を理由として男女不平等だという批判はお門違いなのである。 
 要するに、立憲の塩村あやか議員はデータの中身を精査せず、日本のランキング順位だけを根拠として日本の政界に男女差別があるとしている。これは、塩村議員がデータを精査するという基本的能力が欠落しているだけではなく、政治家としての資質がないことの証左である。 
 この塩村議員、かつて明石家さんまの「恋のからさわぎ」に出演した際に、「過去にお付き合いした男性から別れる際には必ず慰謝料をもらい、最高額は一千五百万円だった」という自慢や、「妊娠したと彼氏にウソをついた」などの発言をしていた人物である。筆者自身がそのテレビ番組を見ていた視聴者なので、なんたるクズ! と思ったものであった。このような人物に男女差別を語る資格があるのか甚だ疑問である。 
 政界では政治家としての資質、経済界では経営者としての資質、これが一番重要であって、男女の性差比率は男女不平等とは無関係なのだ。

◎平等と公平の定義の整理

 そもそも「平等と公平」は全く異なる概念であり、これを混合して語ることが大問題なのである。我が国には、平等・差別・人権・平和・戦争という言葉に非常に強いアレルギーを持つ者が多く、それらの言葉を用いて批判されると、たちまち思考停止になるという欠点がある
 平等と公平について、AIに聞いてみた。〝「平等」はすべての人に同じ条件を同じように与えること、「公平」は個々の状況や能力を考慮して、不平等を是正すること。〟とある。
 下記の参考画像を見ていただきたい。平等という画像に疑問が湧く。モヤモヤする。明らかに不公平だろう。平等を目指せば不公平になるということなのだ。つまり、「平等」とは差別を生む概念なのである。
 男女平等は、実現を目指せば不平等・不公平しか生まない。なぜなら、人は生まれながらに性差があり、男性と女性は生物学的にその構造が異なるからである。特に、身体的特徴は顕著な相違だ。それ故、身体接触を伴うスポーツは男女が分かれているのであり、サッカーやラグビーなどのスポーツが男女混合であれば、殺人スポーツとなってしまう。また、平等については、「機会の平等と結果の平等」に分けて考えると、平等という概念は非現実的であることがわかってくる。
 我が国は、誰もが億万長者を目指して起業できる「機会の平等」がある。お前は女だから起業してはならない、といったルールは存在しない。次に、「結果の平等」を追求するならば、頑張って仕事をして億万長者になった者と、頑張らずに仕事をさぼって億万長者になれなかった者との間に生じた収入の差を是正せねばならない、という共産主義社会となる。
 累進課税という制度は、平等という概念ではなく「公平」を追求する「結果の公平」、つまり税負担の公平という概念に基づいている。しかし、これは明らかに平等ではない。人々が無自覚にも「平等と公平」の概念を正確に区別せず雰囲気だけで語っているという自覚を促さなければ問題の本質を解決することは不可能である。不平等がすべて悪ではないのだ。押し並べて意見の相違でなかなか建設的な合意に達することが出来ないケース、という場面では、最初にテーマとなる言葉や単語の定義をすりあわせる作業が欠落していることに原因がある。平等と公平の定義が曖昧なまま、男女差別について解決しましょう! と話し合っても、その言葉の定義がバラバラで、個人的な先入観を元にしていれば、誰もが納得できるような合意に達することなどないのである。
 このように、我が国における男女平等、男女差別とされる問題は、実のところ〝問題〟以前の言葉の定義が曖昧であることに原因があり、、本質からかけ離れた議論になっていることが多いのである。
 少し話が戻るが、立憲の塩村あやか議員の高市総理への非難は、「結果の平等」に関するものであり、彼女自身が語っていた内容こそが不公平な共産主義的思想なのだと自覚させねばならない。このような陳腐な議論を国会に持ち込むことは国民にとって著しい損失である。政治家とは、国民のお手本となるべきなので、日本語からしっかり勉強し直すことを支持者は率直に伝えてあげるのが優しさではないかと思う。強い者ほど優しい。日本人は民族的に「誰にでも優しい」という美徳のひとつがある。つまり本当の強さが血脈として受け継がれているからだ。
〝優しさ〟とは無条件に支持する相手の言いなりになることではなく、ありのまま受け止め解決への実行を促す、つまり器量のことである。本物の優しさというものは、時に厳しさの中にあることを忘れないようにしたいものだ。

平等と公平の違い

◎日本は男尊女卑の国なのか

 男尊女卑は、そもそも支那の思想であって、我が国特有のものではない。日本では江戸時代には男尊女卑が定着していたという珍説もあるが、ペリーが、いわゆる「黒船」で我が国に来航した際に残したとされる「ペリー艦隊大航海記」(大江志乃夫著/立風書房)には、

「日本の社会には、他の東洋諸国民にまさる日本人民の美点を明らかにしている特質がある。それは女性が伴侶と認められていて、単なる奴隷として待遇されていないことである。日本の母、妻、および娘は、中国の女のように家畜でもなく一夫多妻制の存在しないという事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のうちで最も道徳的であり、洗練されている国民であるという優れた特性をあらわす著しい特徴である。この恥ずべき習慣のないことは、単に婦人の優れた性質のうちに現れているばかりでなく、家庭の道徳がおおいに一般化しているという当然の結果のなかにも現れている。(中略)日本婦人の容姿は悪くない。若い娘はよい姿をして、どちらかといえば美しく、立ち居振舞いはおおいに活発であり、自主的である。それは彼女らが比較的高い尊敬を受けているために生ずる品位の自覚から来るものである。日常相互の友人同士、家族同士の交際には、女も加わるのであって、互いの訪問、茶の会は、合衆国におけると同じように日本でも盛んに行われている」

「ペリー艦隊大航海記」(大江志乃夫著/立風書房)

という記述がある。こちらに大砲を向けた〝敵〟の客観的意見なのだから説得力がある。更に引用すると、

「下流の人民は例外なしに、豊かに満足しており、過労もしていないようだった。貧乏人のいる様子も見えたが、乞食のいる証拠はなかった。人口過剰なヨーロッパ諸地方の多くのところと同じく、女たちが耕作労働に従事しているのもしばしば見え、人口稠密なこの帝国では誰でも勤勉であり、誰をでも忙しく働かせる必要があることを示していた。最下層の階級さえも、気持ちのよい服装をまとい、簡素な木綿の衣服を着ていた。あらゆる階級の人々はきわめて鄭重で、外国人について知りたがり屋だが、決して図々しくでしゃばりはしない」
「人民が一般に読み方を教えられていて、見聞を得ることに熱心だからである。教育は同帝国いたるところに普及しており、また日本の婦人は中国の婦人とは異なって男と同じく知識が進歩しているし、女性独特の芸事にも熟達しているばかりでなく、日本固有の文字によく通じていることもしばしばである。アメリカ人の接触した日本の上流階級は、自国のことをよく知っていたばかりでなく、他の国々の地理、物質的進歩および当代の歴史についても何事かを知っていた」

「ペリー艦隊大航海記」(大江志乃夫著/立風書房)

といった内容だ。
 つまり、我が国には歴史伝統的に、男尊女卑といったものは存在しないのだ。

◎女性のジェンダーギャップの原因

 とは言いつつも、ペリーも地方の村の隅々まで見たわけではないので、断定すべきではないかもしれない。実際、女性というだけで職場差別があると感じている女性も少なくない。女性経営者や幹部など、社会で働く女性に対する「女のクセに、女はダメだ」という風潮があるのも事実である。実際、筆者もそのように言われてきた記憶がある。しかし、同性であるからこそ指摘できる原因が女性側にもあることは知っておかねばならない。
・叱られると、すぐに泣く
・論理的思考が不得意
・感情的になると論点があちらこちらに飛ぶ
・解決への建設的な議論が苦手
などである。少しオブラートに包んで筆者の意見として列挙してみた。
 もちろん、これらは全女性にあてはまるというわけではなく、あくまで全体的な傾向として多々見受けられるという意味であり、当然、男性にもこのような傾向がある者が見受けられるが、すぐに泣く男性は少ないと信じたい。
 仕事の失敗は誰にもつきものではあるが、失敗の原因を認識してもらうために叱ることがあった際に、すぐに泣かれると上司は困るのである。また、問題を解決したい状況で、論理的な思考より感情が優先されると小事が大事になってしまうことがある。ここはもう、生物学的な男女の脳構造の違いが思考や行動に影響しているので、否定せず、謙虚にそのような傾向があることを受け入れることで克服できるようになることを知って欲しい。残念ながら、こうした欠点が顕著に現れる女性に限って、そんなことはない! と否定する。これではやはり経済界における男女平等が難しくなるのは仕方がな
い。
 また、女性には出産や育児という要素もあり、仕事と家庭を両立したい女性にとっては、子供の突発的な病気などによる優先順位を女性本人が気兼ねなく選択できるような環境を提供するということは、社内の職場環境によっては、主戦力の場に据えることができない場合がある。会社の規模や資本力、または業種や職種によっても一律平等にすれば、そこには不公平が生じるのである。
 男女の一番の違いは妊娠であろう。女性は子を自分の身体に宿し、十月十日という長い期間、自分の身体の中で命を育む。そして出産があって子育てがある。それゆえ、男性よりも自分のすぐ一番近い目の前の状況観察判断力が優れているのは、なにより目の前の子を守るという女性の本能からだ。その母親と子を外敵から守る男には、危機管理の観点から先見性という能力は不可欠なのである。
 人は自分が強く変わりたいと願えば変わることが出来る。弱点を具体的かつ謙虚に受け入れ素直に認めることで克服できる。対策が練れるからだ。短所は長所に、弱味は強味に、危機はチャンスに変えることが出来る。これは何も人についてだけではなく、例えばビジネスでも国防にも置き換えることができる、何かに迷った時に便利なア・プリオリなのだ。
 いづれにしても、女性は、なんでもかんでもすぐに男女差別だと非難するのではなく、世の中の男性も女性もすべて女性から生まれているのだということを自負し、どんとどっしり構えてもらっていいと思う。その心の余裕が短絡的にならずに物事を深く客観的に吟味できるようになる。

◎美辞麗句には気をつけろ

 実のところ、男女不平等というテーマの多くは、生物学的な男女の差を不当な差別だと洗脳しているケースが多い。それゆえ不毛な議論なのである。まずは男女の生物学的違いについてしっかりと理解した上で、男女の異なる傾向を把握し、互いに無いものを補い合えば良いだけのことなのだ。つまり、LGBT問題などを扱う男女共同参画費用というのは単なる利権であり、不要無用の税金の無駄使いだということである。
 成熟した社会、言い換えれば平和ボケした社会というのは、シンプルなことを、より複雑にすることで利権を創り出せる。本当に厄介である。男女不平等の是正や人権意識の向上といった美辞麗句で善なる行いだと洗脳し、その裏ではせっせと一部の者達の為だけの既得権益を保守するのだから詐欺師や泥棒よりタチが悪い。すべてとは言わないが、国民が思考停止する傾向のある、平等・差別・人権・平和・戦争という言葉が多用される時、そして、余りの過剰な美辞麗句が並んだ時ほど注意が必要である。その基準は誰によって決められたものなのか? という疑問を持つことは大切である。その基準に盲目的に従うことと、ひとつの目安として扱うとこは、決定的に異なる結果を生む場合があるからだ。

◎不平等、差別は「嫉妬」のペルソナ

 ジェンダー問題には、もう一つの側面がある。はっきり言ってしまえば「嫉妬」だ。羨ましい、嫉ましいという醜い感情を隠すための大義名分が、男女平等や人権尊重といった美辞麗句なのである。それ故、常日頃から過剰で完璧に感じる美辞麗句には気をつけろと警笛を鳴らすのである。
 他人に見えない血の滲むような努力の先が結果である。その過程への想像力を欠いた他人様の現状・様子・地位という結果に嫉妬しているのだ。
 我が国で、気持ち悪い程に陰湿かつ長期的に根深く続く嫉妬まみれの業界は政界だろう。政党政治や派閥争いが良い例ではないだろうか。なんとも気持ちの悪い業界だ。嫉妬まみれの魑魅魍魎が巣食う政界で、女性が総理になったということは、我が国には男女不平等の問題より、政治家の資質を問うことのほうが重要なのだ。
 男女間における嫉妬の発露にも違いがある。男性は嫉妬を隠す傾向があるが、女性は態度に出やすい。定期的に出すことで忘れたりするので、それほど根深くはならない。しかし男性は嫉妬を隠すから怒りや憎しみといった感情が付随され、根深く陰湿になる。これも性差を語っているので、差別ではない。

◎言葉の定義のススメ

現実と平等・公平・公正

 最後に、平等・公平を更に踏み込んだ内容となっている画像を見て欲しい。( 出典:VOCES UNIDAS ACTIONFUND)出典元のそれぞれの説明には、
現実=人によって、必要以上に与えられたり、必要以下にしか与えられない
・平等=年齢や性別に関係なく、すべての人に踏み台を均等に与えている
・公平=年齢や性別を考慮した上で、踏み台を割り振っている
・公正=原因である壁を取り除くことで、すべての人がサッカーを観戦できる、
との説明がある。
 これは、取り組む問題やテーマに応じた組み合わせや、その割合の塩梅が大切になってくるだろう。
 人には心や理性があり、それが良くも悪くにも働いてしまうことがある。面倒と思える時もあるが、やはり不要な誤解は互いの不快を生むことから、外来語などで溢れかえった現代日本社会にあっては、できるだけ言葉を尽くす努力はしたいものだ。だが、我々日本人には、「察する文化」がある。英語にすると、「guess」などに置き換えられるが、「guess」はあくまで想像であって、そこに人の感情は含まれていない。「察する」という言葉には「相手を思いやる〝優しさ〟」が含まれている。これが我が国の言葉(ことのは)なのだ。
 批判批評は互いの成長にプラスに働くように活用すべきであり、優しさが欠落した言葉ばかりの「非難」は何も生み出さないばかりか、嫉妬や怒り、憎しみといった醜い負の感情に繋がってしまう。そういう感情を隠すために、美辞麗句を使って他者を自分勝手な私憤に巻き込むことは許されない。政治の世界にあっては、公憤、義憤でなければならず、私憤を持ち込んではならないのだ。それにはやはり、人には嫉妬という醜い感情が生じる時があることを素直に認め、その負の感情をネガティブな方向に落とし込むのではなく、ポジティブに、自分の品格を向上させるチャンスに変えることができる「逞しい本物の強さを持つ人」が増えることを願う。
 ジェンダー論ではなく、我が国特有の「察する文化」が加味されることにより、誰もが納得せざるを得ない公平な社会へ向かうことが可能だろう。
 言葉に常に優しさがある母国語を持つ我々日本人が、今後も一層、世界の手本見本となれますように。


令和7年11月27日記す
萬葉 乃子(まんよう のこ)

※表紙画像出典:VOCES UNIDAS ACTION FUND


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❤ ちょっと一言whatever ❤
サッカーW杯が始まっています。今回できっと、メッシやクリロナのWcup最後になると思うとサミシイものです。
今世では、あと何回W杯をみることができるのだろう。そんなことを考えると死生観に深みが増します。来年はラグビーW杯。楽しい年は続きます。
サッカー日本代表選手から「優勝」という言葉が頻繁に出てくるようになりました。本田圭佑がクチにしだした頃は、誰もがせせら笑っていたものでした。しかし、我が国は「言霊の幸はう神々の国(ことたまのさきはうかみがみのくに)」日本。願いは言霊(ことたま)にすることで音霊(おとたま)となり波動となり人々に伝搬し、数霊(かずたま)となる。
その時、願いは実現する。

 


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萬葉 乃子 感謝。ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)⁾⁾⁾