165/【詩】母 〜母と私は仲が悪い〜
母
昨日は友達とパッチワーク
今日は体操教室
明日は仕事
先週末は姉妹で那須旅行
来週末は陶器市へ
次の予定はなんだろう
母八六歳
先月頼んだ
仕事着のすそ上げは
忘れられている
✨
私の周りにはいつも母の作品がある。
パッチワークで作った
タペストリー
ポーチ
バック
その他の小物の数々。
私が「作ってもらいたい。」と頼むより、
「作ってみたけど欲しい?」と聞かれる。
自分は作ることができないから、そう聞かれると間に合っているものでも「欲しい。」と答える。
すると
「きっと欲しいっていうと思ってた。だからここは赤にした。」とか
「あんたが使ってもいいようにここを使いやすくしておいた。」とか。
できない私に講釈しながら、何となく嬉しそうに渡してくる。
母は今年の三月で八六歳。
家の隣の作業場に妹が毎日仕事に来るけれど、基本一人で暮らしている。
自分の食事を三食つくり、時には作業場の仕事を手伝う。
手先が器用なのは自分の母親譲りなのか、母の二人の妹も器用でパッチワークのほかに着物をリメイクしたりして楽しんでいる。
母と私は仲良しじゃない。
妹が二人のパイプ役のようになっているからかもしれないが、何カ月も会っていなくても平気だ。
電話もしない。
一時間もかからない距離なのに、バスが不便だからという理由で実家にもいかない。
どうしてこんな関係なのか?
大人になればなるほど、なぜ妹と差別をするのか?
思い悩んだこともあった。
自分の気持ちを手紙にしてみたこともあったけど、当然のように返事はない。
答えはずっと見つからないまま。
それでも。
自分が悲しい時や寂しい時の、自分の声をよく聴いて、
「大丈夫。私がここにいるから。」
「辛いことは私が聴くから。」
そんなふうにしていたら、
「自分は一人じゃない。」って思えたし、
母への優しい気持ちがちょっとだけ育ったような気がする。
母娘が絶対仲がいいなんてあるわけない。
母娘だってそりが合わないことがある。
でもいつか。
いや、こころの隅っこで
ちゃんとつながっていると思う。
たぶん欲しいと思っていたパッチワークの小物を嬉しそうに渡す母のように。
ヘッダーの写真は着物の一部を使って作ってくれたポーチ
