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岩村城跡を訪れて――光秀の心境に思いを馳せる

岩村城跡に立つと、どうしても考えずにはいられません――明智光秀はこの後、なぜ謀反を起こしたのだろうか?


1582年、信長はこの重要拠点・岩村城を訪れました。同行者はごく少数、森蘭丸や光秀など側近だけ。城主は名目上蘭丸でしたが、実際の運営は遠山氏が取り仕切っており、信長は遠山氏と会合して地域の安全や忠誠を確認しています。この岩村城訪問から本能寺の変まで約80日。短期間で光秀の心境はどのように揺れ動いたのでしょうか。

信長の“暴虐”とは?

信長は戦国の常識を軽々と飛び越える強権的な支配者でした。
• 民衆や敵対勢力への過酷な処罰
• 比叡山焼き討ち(1571年):延暦寺の僧も民衆もまとめて大焼き
• 石山本願寺攻囲戦(1570〜1580年):長期包囲で民衆も振り回される
• 部下への強圧的命令
• 直属家臣への厳しい罰則
• 思い通りにならない武将への冷酷な対応

たとえばこんな感じです
• 切腹・謀殺:森可成(蘭丸の父)や佐久間信盛は、信長の期待に沿わなかったら戦死も含めて厳罰!
• 領地没収・降格:丹羽長秀や柴田勝家も、忠誠や武功が期待以下だと即座に実権を剥奪
• 家族や領民への圧力:比叡山焼き討ちのように、本人だけでなく周囲も脅す恐怖戦略
• 冷酷な軍事命令:危険すぎる戦闘に従わせることも日常茶飯事
• 公衆の面前での恥辱:命令違反や失敗は宴席や公務の場で容赦なく叱責

戦国大名としては効果的。でも家臣の心理的負担はハンパない。忠誠心だけでは割り切れない不満がたまるのも無理はないかも…?


光秀はすでに謀反を考えていたのか?

岩村城の時点で光秀が「やるぞ!」と計画していたかは、残念ながら史料がないので不明。
でも近年の研究では、光秀は単なる私怨や野望だけで動いたわけではなく、信長の暴虐さや強権的手法に深い違和感を抱いていた可能性が高いとされています。

でも結局、資料はない!

そう、光秀の心理や動機を裏付ける直接的な資料は残っていません。だから私も推測でしか語れないのですが…

想像するに、信長の暴虐・残虐戦法・部下へのパワハラを目の当たりにし、長年ため込んだ不満がついに許容範囲を超えたのかもしれません。
突発的?計画的?それはわかりません。でも、光秀が「正義感の塊」として信長のやり方に心底耐えられなかったのは間違いなさそうです。

岩村城跡を訪れると、光秀の心境の変化を考えずにはいられません…
「あの80日間で、どんな葛藤があったんだろう?」と、ついつい歴史の妄想が膨らむスポットです。


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