ウクライナ| #1 革命直後のキーウ| 2005年7月
キーウ(キエフ)散策~チェルノブイリ訪問失敗
オレンジ革命が2005年1月に終わり、毒を盛られたユシチェンコが大統領になった。僕がキーウを訪ねたのはそのあと2005年7月のことだ。
当時、ウクライナを訪問するにはビザが必要で、旅程と滞在するホテルを予約して届ける必要があった。キーウの空港(ボルィースピリ国際空港)に到着すると、オレンジ革命関連の書物や写真集が並んでいた。僕は写真集を1冊購入した。

翌朝、まず初めに独立広場に行くことに決めていた。独立広場まではホテルから約2キロ、歩いて30分の所にある。いろいろ見てまわるにはちょうどいい距離だと思った。



独立広場のある通り(Khreschatyk ストリート)は歩行者天国になっていた。そこでおばさんがベリーを売っていた。1カップ購入し、写真を撮れせてくれと頼むと片手で顔を隠して照れた。嫌だったのかもしれない。


天気がいいからか、独立広場はたくさんの市民が集まっていた。ベンチに座って語らう人々、噴水に入り水びだしではしゃぐ子供たち。オレンジ革命の後で皆が明るいのかもしれない。
タクシーの運転手が4人ほど談笑している。ちょっと聞いてみた。
「チェルノブイリまで連れて行ってくれない?」当時何も情報がない中で、現地で情報収集しようと考えていた。
運転手の一人はチェルノブイリを知らなかった。車のボンネットで地図を広げる。チェルノブイリ、、あった。実際はチェルノブイリから半径30kmが立ち入り禁止である。しかし、どこか届ければ、中に入れるかもしれないと思ったのだ。一人の運転手が、「地図に道があるから行けるんじゃないの?」
と、連れて行ってくれることになった。




2時間ほど走ったか、急に検問所が現れた。ここが30km圏の検問所だ。運転手が検問所の人と話をしている。やはり通行許可証がないとここから先は入れないと。やっぱりそうだよね。そりゃそうだ。。と思いながら検問所を後にする。運転手はなぜ検問所があるのかわからないようだった。出発前の言動といい、ひょっとしてこの運転手はチェルノブイリ事故を知らないのではないかと思った。事故が1986年で、旧ソ連時代。運転手が若いころはウクライナはソ連のいち共和国だから、教育を受けてないのかもしれないと思った。そしてキーウに引き返した。




