消えた弟と、立ち上がらなかった私
生きているのか、どこにいるのか。
それを知らないまま、弟が姿を消してから十年を超えた。
「日本で働いてるよ。」
聞かれるたびに、そう答えてきた。嘘が暴かれたことはない。
本当は、私の中の弟は、あの日のまま置き去りになっていた。そして私はその間ずっと、「確信を持てない側」に立ち尽くしていた。
(※以下に映画『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』の内容に触れる箇所があります。未視聴の方はご注意ください。)
弟が消息を絶ってから数年後、『LION』を観た。幼い頃に家族と離れ離れになった少年が、大人になって故郷を探し出す物語だ。
ある場面で、私は涙が出る理由も分からないまま、ただ息が詰まった。
大人になった主人公が、ふとした瞬間に過去の記憶に触れ、「家族を探さなきゃ」と立ち上がる。映画としては、特別に劇的な場面ではない。なのに私は、自分でも訳が分からないほど泣いていた。
弟と私は、絵に描いたような仲の良い兄妹ではなかった。小さな喧嘩も多く、用がなければ連絡を取らないような関係。それでも、彼が消えたことは頭の片隅から離れなかった。
あの夜のあとも、私は涙の理由に名前をつけられずにいた。映画に感動したのか、弟が恋しくなったのか。どれもしっくりこないまま時間が過ぎた。
でも、最近になってようやく浮かんできた、ひとつの「かもしれない」がある。──あの夜の涙は、弟がいなくなったことそのものより、確信を持てない自分に反応した涙だったのかもしれない。
画面の向こうの主人公にはあった探し出したいという確信。私にはそれがなかった。「探さなきゃ」と立ち上がった人と、立ち上がらなかった自分。その差を、あのワンシーンで突きつけられた気がした。
彼が失踪してから、何度も探し方を調べた。警察、行政、民間捜索。手段はいくつも見つかったのに、次の一手は出せないままだった。弟は家族と距離を置くことを望み、自ら連絡を断ったようにも見えたからだ。
探せばいいのか、探さない方がいいのか。
助けが必要なら力になりたいと思う一方で、これは彼が決めたこの家族との付き合い方なのではないか、とも頭をよぎる。どちらに振り切るだけの根拠も、私の中には見つからなかった。
「これは彼の選んだ人生だから。」
結局そう捉えることで、私は空白を保った。でも、あの夜の涙は、その空白が私の中でずっと生々しかったことを教えてくれたのだと思う。
長い月日を経てようやく、あの瞬間をこうして言葉にできるようになった。そして、あの時立ち上がらなかった自分を、今は受け入れようとしている。
弟が生きているのか、どこにいるのか。今も分からない。私たちの物語が再び交差するのか、並行したまま終わるのかも分からない。
それでも私は、私の毎日を生きる。
もし彼がふらりと現れることがあれば、「元気?」とだけ訊ける自分でいたい。
mari.
あとがき
※この文章は私の内省であり、情報提供のお願いではありません。登場人物のプライバシー保護のため、一部の事実はぼかしたり変更したりしている部分があります。
