兄弟でも違うことばの育ち
──兄弟でもことばの育ち方は全く違う。
かろうじてダブルリミテッドを免れた私と、言語で苦労していたように見えた弟。
娘の言葉の育ちを見守る日々のなかで、よみがえる記憶があります。
一歳半違いの弟と私は、同じ家で、同じ親に育てられ、タイと日本を行き来してきました。それでも辿った言語の道は別々なものとなりました。
►「ダブルリミテッド」とは
「ダブルリミテッド」とは、複数の言語環境にある子どもが、どちらの言語も年齢相応の力に届かない状態のこと。
※この記事では、便宜上この語を使いますが、彼の全体像を語り切るものではありません。
弟は、日本語で会話も読み書きもできます。ただ、抽象的な話や長文読解になると理解するのが難しい様子が見受けられたり、やり取りがかみ合いにくい場面があったりしました。漫画は読めるけど、小説は好まないようでした。うまく言えないですが、なんとなく言葉のキャッチボールがうまくいかないと感じることも多かったです。
タイ語は更に限定的で、
• 基本的な単語や言い回しのみ耳で理解
• 読み書きはできない
• 発話も限られており発音も難しい
そんな弟に見えました。
►一方で、私は「なんとか免れた」側だった
私も決して完璧なバイリンガルではありません。
けれど、中学生以降の学校生活に支障が出ることはほとんどなく、日本語・タイ語ともに通訳ができるくらいには自由に使えるようになりました。(参考:①日本語とタイ語でダブルリミテッドになりかけた話 -小学校編-)
英語は、娘の通うインターナショナルスクールの先生方と娘の学校生活のことについて会話ができる程度のレベルです。
弟と私。育った環境はほぼ同じなのに、どうしてここまで違ったのか。定期的に考えてきた問いです。
►今、私は母親として、子どもの言葉と向き合っている
そんな私も今は母となり、自分の子どもに三か国語(日本語・タイ語・英語)をどう伝えていくか、日々悩みながら取り組んでいます。
正直心配になり過ぎてしまうことも多いのですが、そんな時は自分にこう言い聞かせるようにしています。
兄弟でもこんなに違ったのだから、必要以上に不安になる必要はない。
弟と私は、ほぼ同じ条件で育った。
でも、結果はこんなにも違った。
きっと、環境だけじゃなく、個性や気質、感じ方の違いが大きく影響していたのだと思います。言葉に興味を持ちやすい子もいれば、体感や感情で世界を感じるタイプの子もいる。事実、弟はスポーツは得意なタイプでした。
どちらが正しいとか優れているとかではないはずです。
だから私は、娘の言葉の発達に一喜一憂しすぎず、本人のペースを見守ることを大切にしたいと思っています。
►子どもたちが心から「大切にされている」こと、それ自体が幸せ
私が子どもだったころ、親は言語教育についてほとんど計画的に関わることはありませんでした。家庭環境も不安定で、子供の言葉のことにまで気を配る余裕がなかったのだと思います。
だから今、子どもの言語教育について真剣に悩み、向き合っている大人たちの存在を見るたびに、こう思います。
それだけで、子どもたちは本当に幸せなのだと。
私にもそんな存在が欲しかったと。
発達支援や環境整備も大切だと思いますが、「言葉を大切にしよう」と思ってくれる大人がそばにいて見守ってくれる。そのこと自体が、子どもに安心感を与え世界を広げる大きな力になるのだと、私は信じています。
それは、あの時の自分が最も必要としていたものでした。
►一番大切なこと
言葉は自分のペースで、安心できる環境で育っていくもの。
私は弟との違いを思い出すたびに、「焦らなくてもいい」「この子はこの子の育ち方がある」と、肩の力が抜けます。兄弟でさえ違ったのだから、ましてやよその家と比べて焦る必要はないと思います。
もし、今まさに子どもの言語教育に悩んでいる方や焦っている方がいたら、こう伝えたい。
「悩んでいるあなた自身が、すでに子どもにとって幸せな環境そのものだ」と。
きっと、言葉はその子の人生を広げていく翼のようなもの。だからこそ、焦らず、でも真摯に育てていきたいですね。
以上、子供の言語教育に励む全ての方への応援賛歌でした。
mari.
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