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教育という名の侵食

母はよく、こう言った。

「こういう大人もいるって、あなたに教えないといけないから。」

父の愚痴、義母への怒り、日本での孤独。子どもの私の前でそれらを語るとき、母はいつも「教育」という大義名分をまとっていた。世の中の理不尽さを未熟な娘に教えているのだ、と。

小学生の頃から、私は大人の会話の中に同席させられていた。

父がどれだけ頼りにならないか。
周りの人がどれだけ冷たいか。
日本での生活がどれほどつらいか。

父の名が出るといつも、私は「また来た」と身構えた。母が食事の手を止め、険しい表情で話し始める。

母の話は毎回一方通行で、いつも機嫌が悪かった。「私はどう感じたか」「私はどうしたいか」が問われた記憶はない。母の口から出てくるのは、「世界はこういうふうにできている」「あの人たちはこういう人たちだ」という断定だった。

子どもの私にとっての正解は、それを聞いてうなずき、時に賛同の意を示すこと。あの食卓で、私は共犯者としての席を無理やり用意されていたのだと思う。母を肯定することは父を否定することになり、父を庇えば母を裏切ることになる。教育という名の下で、私は中立であることさえ許されず、母の正義を飲み込み続けた。

「こういう大人もいるって教えてあげている」という言葉には、見えない前提がいくつも含まれている。大人の方がよく知っている。私は正しい世界の見方を持っている。だから、それを子どもに渡さなければならない。

その前提に従い、私は自分の感情よりも、大人の解釈を優先した。母の中の善い人、悪い人、信じていい人、裏切る人。その色分けが、そのまま私の中にも入り込んでいく。本当は、父に対して感じていたことも、祖母に対して抱いていた印象も、私なりの言葉で存在していたはずだ。でも、母から先に「正解」を与えられる。

よく考えれば、父や祖母について私が知っていると思っていたことの多くは、母からの伝聞だった。  自分の目で見て、自分で判断した記憶は、驚くほど少ない。

「お父さんは臆病な人」「おばあちゃんは意地悪な人」

母がそう定義することで、私の目には色のついた眼鏡がかかる。父の優しさは「臆病」に見え、何気ない祖母の言動は「悪意」にしか映らなくなった。 自分の目で見たはずの景色が、母の言葉によって後から塗り替えられていく。

母にとって私を教育することは、自分の孤独を分かち合う手段でもあったのだろう。自分の味方を家の中に一人でも増やしたかった。自分が見ている世界を、誰かと共有したかった。その切実さは、理解できなくはない。

けれど同時に、それは幼い私にとっては一種の侵食でもあった。私自身が世界をどう見るか。誰を信じ、誰を何を好きになるか。その思考の選択権よりも先に、母の答えが渡されてしまう。

「教育」という言葉は便利だ。自分の不安や価値観をも「子どものため」と言い換えることができてしまう。そう言われるといつも抗いようがなかった。


──そんなうなずくしかない席から、どうすれば降りられるのか。当時の私には、物理的に距離を置く以外の答えが見つからなかった。

mari.
(↓次話に続きます。)

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