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忘れられないタイ人たち―日本で出会った3人の「同胞」と私の記憶

家族で日本に住んでいたあの頃。
私たちは、何人かの「同胞」と出会いました。

言葉も文化も違う場所で、心のよりどころを探していただろう母にとって、タイ人女性との出会いは希望のようなものだったはず。でも、現実は違っていました。

1人目|ネーンさんと「違和感」という学び

「ネーンさん」はその一人。
日本人の旦那さんに買ってもらったブランドバッグの話、高額な結納金、タイ実家への仕送り…母に会う度、そんな話を延々と繰り返しながら、「あなたももっと旦那の収入を握らなきゃ」と助言してきた。

当時、まだ子どもだった私にも伝わってきた、その自信の裏に感じた目に見えない圧のような空気。「私は綺麗で勝ち組、あなたは?」と問われているような感覚。

彼女の価値観は、きっと彼女なりの誇りだったのだと思う。でも、私たちには合わなかった。やがて彼女とは自然と疎遠になっていった。

「似た境遇=価値観が合うとは限らない」
それを私に最初に教えてくれたのが、ネーンさんだった。

2人目|ゴイさんと「恩」の返し方

「日本人の夫と喧嘩して家を出てきた。」
そう言って、二人の子どもを連れて突然我が家に現れた彼女を、母は拒まなかった。

彼女が夫と和解するまでの約一週間、食事を出し、寝床を整え、家族のように過ごした。特別なもてなしはできなくても、私たちは精一杯の心を尽くしたつもりだった。

それなのに後日、風の噂で届いたのは「部屋は狭いし、ろくなものを食べさせてもらえなかった」という彼女の言葉だった。ファーストフードが気に入らなかったのだろうか?

この一件で私たちは深く消耗してしまった。

3人目|人の家を漁るひと

オイさんは、娘さんを連れて何度か我が家に遊びに来ていた。日泰ハーフの娘さんは日本語があまり分からないようだったけれど、私は妹と思ってよく一緒に遊んでいた。

あの日も、いつものように子連れで我が家に遊びに来ていた彼女。私が別室に何かを取りに行った時に、思いがけず彼女と鉢合わせた。

そこで目にしたのは、部屋にあった棚を覗きこむ彼女の姿。部屋に入った私と目が合った瞬間、彼女は扉を慌てて閉めて何も言わずにリビングに戻っていった。子供ながらに何かがおかしいと思った私は、彼女たちが帰った後に母に見たことを話した。

すると母は絶句しながらも、私をやたらと褒めてくれた。「仏さまが、あなたをあのタイミングで遣わしてくれたのよ」と、手を合わせて感謝していた。その棚は、我が家の貴重品がしまってある場所だったのだ。

彼女に棚を開けた意図を確認したわけじゃない。けれど、目が合った時のあの焦った表情が全てを物語っていたように感じている。その日を境に、彼女が我が家を訪れることは二度となかった。


おわりに

この3人との出来事は、私たち、特に母にとって、とても大きな意味を持つものとなりました。

母はこの後、街中でタイ語での話声が聞こえてくると、避けるようになりました。日本でタイ人と関わることを、完全にシャットダウンしたのです。

もしかしたら、良い出会いがあったかもしれない。でも、立て続けにうまくいかなかった出会いが続き心が折れてしまった母に、そこまでの余力は残っていませんでした。

「“同胞”だからといって、必ずしも仲良くなれるわけじゃない」

この3つの出会いは、私にそう教えてくれました。


mari.

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