タイ人祖母と、父と、母の沈黙と
タイの実家にいる祖母に会うたび、私たちは「帰省の儀式」のような会話を繰り返す。
「mari、お父さんにタイヘ来るよう言いなさい。住む場所もご飯も、全部私が面倒みるから。」
父と母が離婚してなお、日本で一人暮らす元義理の息子を案じて涙ぐむ祖母。そんな温かさを目の当たりにするたび、その源泉がどこなのか不思議だった。
なぜ、父はこれほどまでに、祖母はじめタイの親族から愛され続けているのか。
その長年の謎が解けたと確信したのは、私が30代に入ってからだ。 祖母が、私との会話中にこんな不満を漏らした。
「あなたの母さんは、日本で働く必要もなく、専業主婦で子供の面倒を見るだけで良かったんでしょう?
それなのに、タイにめっきり夫を連れて来やしないどころか、熟年になってから離婚したいなどと言い出した。
別の女性がいるのかと思いきや、お父さんは離婚してからずっと一人暮らしだそうじゃないか。
彼が大きな病に罹ったというのに見舞いにも行かず、なんて冷たい子なんだろうね。」
祖母に私の感情が読み取られないよう、無表情を保つ。その場凌ぎの適当な相槌をうって、口から出かけた言葉を飲み込み、静かにその場を去った。
──おばあちゃん、それは違う。 母が日本でどれほど孤独だったか。異国で、たった一人で私たちを育てながら、どれほどの苦悩を抱えていたか。
けれど私は、祖母に対して種明かしをすることを踏みとどまった。 祖母が母を責めたその言葉こそが、母が父との結婚以来、タイの家族に対して守り抜いてきた「嘘」の証拠だと気づいたからだ。
薄々気づいてはいたが、母は日本での苦しさのほとんどを、娘である私の前だけでこぼし、タイの家族の前では飲み込んでいたのだった。タイの家族に向けて恨み言を言わない代わりに、その分を私に降り注いできた。その結果、父はタイにおいて「良き夫、良き父親」という像のままでいられる。そういう構図になっている。
母が沈黙を守り通したことで、父には今、遠方ではあるが自分を案じてくれる温かな居場所がある。 一方で、その沈黙のせいで、母は自分の親から「自分勝手で冷たい女」という誤解を受け続けている。あまりにも不公平な『平和』だ。
先日、癌を患った父を日本で見舞った。 父は、自分の知らないところで母がどれほどの代償を払い、自分の居場所を守り続けてくれているかを、おそらく一生知らないままだろう。 そして母もまた、自分が背負った汚名をすすごうともせず、タイで一人、静かに暮らしている。
母の沈黙は、父に対する一つの慈悲なのかもしれない。 家族という形を保つために、彼女が自分自身に課した試練だったのかもしれない。あるいは、過去の自分の選択は正しかったとタイの親族に魅せたい、ただのプライド心かもしれない。正直なところ、後者の比重が大きいと感じてしまう自分もいる。
本当の理由は分からない。でもここまで来たら、沈黙の本当のところはもうどちらでもいいのかもしれない。理由は何にせよ、そのおかげで現に父はタイの親族に愛され続けているのだから。
母が綴じ込めてきた嘘の重みを背負うのは、私一人だけでいい。母はそのストーリーでいくと決め、ここまでやってきた。それを今更ひっくり返すことが、誰かの救いになるとは思えなかった。
昔に比べれば、この家族はずっと平穏だ。その平穏を壊したくない。だから私は、その沈黙の共犯者であり続けようと思っている。
mari.
※本稿は、特定につながる情報を伏せ、当時の私の視点として書いています。誰かの生活に影響が出ないよう、必要に応じて表現や公開形態を調整することがあります。
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♢この文章は、マガジン『第1章 家族という名の、いびつなパズル』の一編です。 数十年の歳月をかけて、ばらばらだった家族の欠片を一つひとつ拾い集め、言葉にした記録です。
