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覚醒すると「そうだ!アレをしよう!」「あそこに行こう!」のヒラメキがなくなる意味とは?

未来は存在しない。過去も存在しない。今ココが全て。
と今ココが全てという多次元宇宙の源に同調するようになってから、悟りや気づきというギフトが瞬間瞬間にとめどなくなだれ込むようになった。
その気づきを文章で表現したいけど、意識の拡大は宇宙スピードなので追いつかない。それでも今この瞬間を表現してみる。そんな気持ち。


今ココの美しさを体感した魂の目覚め

過去も未来もないと体感で身に染みてわかり、それが真実だったと魂レベルで確信できる。この力強い躍動が細胞のすみずみに響き渡り、わたしの波動を直に感じる。
歩いていると「今ココ」がまるで芸術作品の切り取りのようにワーッと圧倒的な美しさで視界を通り越して肌で観ている感覚になる。道も走る車も交差点で行われる車や歩行者の流れも、空の青さも白い雲も、道端の野の花も木々も、蝶も虫も風もざわめきも…全てが完全完璧なタイミングで調和して動く、まさに自然のオーケストラだ。
その美しさと壮大さに思わず感極まり、外を歩いているのに人目もはばからず泣きじゃくってしまう。戻ってきた、還ってきた、そんな懐かしさのようななんとも形容しがたい、言語を凌駕した新鮮な感覚がわたしを襲う。
55年も生きてきたなら割とあらゆる体験をして 酸いも甘いもかみ締めて、ありとあらゆる喜怒哀楽を味わって、もうそうそう新しい感情はやってこないと思っていたけど、特段なにもしていないのに、ただ日常を過ごしているだけなのに、こんなにも魂が震えて感極まるなどとは想像もしなかった。
全てが美しい完全完璧な調和の中にあり、もうわたしが何かを変えようとか何かをしようとかそうする必要など全くなく、ありのままのこの世界のあるがままをただ受け入れさえすれば、尊びさえすれば、それが生きる喜びなのだと、胸の奥で思い出す感覚だ。
世界を平和にするぞとか、世の中をよくするぞとか、それすらも幻を見ている自我の傲慢。ただ、あるがまま受け取りさえすればいいのだと泣けてくる。世界は既にたくさんのギフトを惜しみなく与えてくれていて、それに気付こうともせず見ようともせず、幻をもっと!もっと!と追いかけていたようなもの。あれが不満、これが不完全、これは嫌あれは嫌と不足感がベースで、それを変えていく未来を変えていくのがこの地球の遊びだと思っていたがそれは違った。変えるどころか、今この瞬間の完全完璧な美しさを存分に感じて、感謝に満ち溢れる全てを体験したかったのだとようやく気づいた。

過去の記憶を頼るから、これが好きでこれが嫌だと認知するけど、今産まれたてのわたしであればそんなジャッジのしようがなく、ただ興味深く観察し行方を見守る面白さになる。素粒子や多次元宇宙は今この瞬間に生まれるものがあり消えていくものがあり、それが振動となり世界を構成する。まるで永遠なる諸行無常のようななんとも不思議な感覚になる。
相反するもの・両極が同等の質量でぶつかるとゼロになる。それがゼロ磁場、ゼロポイントフィールド、創造の源と言うのだと思う。この領域を仏教では中庸といい、バランスを取りなさいという意味ではないような気がする。抗わない自然な状態を中庸と呼ぶのだと思う。
そんなゼロ磁場に居ることが今まであまり経験したことのない気持ちよさで、まさにエイブラハムがいう「気持ちよくいれば創造のボルテックスと調和する」で、願いが全てシンクロニシティでやってくる世界なのだとわかる。この気持ちよさとは単に気分がいいではしっくりこないし至福や至高という感じなんだけども、とにかくわたしの正位置はココなんだとやっとわかった。

ゼロ磁場の調和とは完全完璧な世界

今ココにいると、未来も過去も存在しないからもはや考えることなと何も無い。問題が存在しないから何かについて考える必要が無いのだ。
だから自動思考が消えるということは、デフォルトで今ココに居続けることなのだろう。
そして自由自在に切り替えられる。何かを創造するときには思考を蘇らせることもできる。今までは問題があるのが常で、それをどうしたら良いかを考えなければならなかった。
例えばわたしがこのnoteを自分の使命が悟りの発信だからしなければならないことと捉えていたら、たちまち「何を書こうか」「どうしたら多くの人に届けられるか」「いいねが増えないな、フォロワー増えないな」「どうしたら読みやすい文章かけるのか」と思考が無限に生まれ、不足の問題を無限に創り出し、エネルギーがどんどん重くなる。最後にはもうnoteとか書きたくないって投げ出してしまうだろう。楽しかった魂の表現がいつの間にか義務になり重さになる。しかし時間の概念が消えると、同時に私以外の他人も存在しなくなる。誰かの目なんて関係なく、ただあっコレを表現したい!だから今書くに変わる。そして書いたらもう放たれたことになり、そこへの執着もない。そして新たな今ココを味わっている。
人間の営みは、不足を補い拡大していく事だと思ってた。
たとえば精子が自分にはないものを求めて卵子と結合し、男女が自分にはないものを持つ異性の体を求めて結合するように、いつも補完の法則で人間や生命体の営みが造られるのだと思っていた。
しかし今はそうは思わない。わたしも完全完璧、あなたも完全完璧。そして完全完璧同士が引き寄せ合いさらなる拡大がなされているのだと。もしそこに不完全なものが仮にあったとしても、その不完全さが完全完璧なのだよと言っている。このようにみんな違うから完全完璧な調和であり、もはやなにひとつ変える必要は無いと悟るのだ。すると自然に宇宙の流れに委ねる生き方になり「抵抗をとろう!」「宇宙にお任せしよう!」みたいな力みからでなく、結果的に勝手に流れにのってましたみたいな状態になる。全てが結果を得るための行動でなく、自然に動かされて動いてるだけで結果的に望むようになっている に戻るのだ。幼き日にこうして生きていたように。

シンクロニシティの流れは魂の自然な動き

今までは瞑想をして魂に「今どうしたいの?」と問うと「コーヒー飲みたい」「窓をあけたい」「掃除したい」「マクドに行きたい」「まだ寝ていたい」と、しなければならないルーティンにそわず今やりたいことをたくさん教えてくれた。それを気軽に行動に移せば、そこからシンクロニシティが起きていた。
しかし今はどうしたいかすら閃きもしなくなった。一瞬怠惰になっちゃうけど大丈夫かな?と思ったが、多次元宇宙の叡智はこのように教えてくれた。このTikTokを見て欲しい。


行動へ繋ぐ閃きの「アレしよう」「どこに行こう」は自我が目標や達成を通じてアイデンティティを強化する欲求に基づくものだった。
しかし「WHO I AM」と問い続けるとそのアイデンティティはわたしそのものではないとわかる。何かを成したから、何かをしたから価値があるのでなく、存在だけで価値がある。
そして価値があることを証明するために、他者から評価されやすいわかりやすい行動に依存していたことに気づいた。なにもしなくなったら、何も成さなかったら、誰からも必要とされなかったら、わたしは生きている価値がない。だから価値があると認められるために誰かに会い、何かの価値提供をし、どこかに出向き、自分を必要としてくれる人を求め彷徨い続ける。そして天命を明確にすれば、天命に沿うように生きれば世の中に価値を与えられ、自分の価値を感じられると錯覚していたのだ。
だから宇宙は何かをしようと思うヒラメキを私から取り除いた。やるべきことの枠組みを超え、魂のただ在るにシフトするために。何もしないことは怠惰ではなく、今に完全に存在する魂との調和の自然な姿だった。
母親から繰り返し言われたいやーな呪いの言葉「早くせんね、しないと後で困るのはまりちゃんやが」「そんなダラダラせんとお手伝いして家族の役に立つようにしなさい。誰かのお役に立つ生き方をしなさい」の言葉を微笑ましく聞いている今。のんびりや、ダラダラ好き、気持ちよさを感じるのが好き、幸せを味わうのが好き…そんな私らしさがまさに魂と同調した在り方だったとは。否定的に感じていたわたしの特性が、今とても大好きになった。

タスクやスケジュールに追われると重くなる。予定のないのんびりした日を自由に過ごすのが大好きだ。逆に予定をびっしり詰め込んでいないと落ち着かないという人も存在する。
そんな人を見て、スケジュール空らっぽは、仕事をせず非生産的に生きることもしくは必要とされず予定が埋まらないことで、社会性のないことだと思い込んでた。
しかし真の豊かさはお金を多く持つか否かではなくシンクロニシティの豊かさだった。ただ存在するだけで価値があると心底腑に落ちたなら、ただ在るだけでシンクロニシティが雪崩のごとく起き、向こうから報酬や朗報やお仕事のご依頼や感謝をお金で表現してくださる現象や…シンクロする誰かの悦びごとやシンクロした誰かの感動体験や…嬉しい知らせや喜ばしい結果や感動や感謝などの無尽蔵なギブがとめどなくやってきてるのに気づけるようになった。
何かをしたから結果がでたのではない、魂と宇宙の源と一致したからせき止められていたものが流れ出したのだ。それを実感してまた涙が溢れ出す…!ありがとうありがとうありがとう!この世は全て無条件のギブで創られている。せき止めていたのはこのわたしだったんだ。

純粋な存在とは価値の真実

以前は「そうだ!アレしよう!」「そうだ!あそこに行ってみよう!」とヒラメキが湧いていたが、それは結果を期待するための潜在意識からのメッセージだった。今はそれが消えて、ただ「何もしなくていい」と魂からのメッセージを受け取った。それは怠惰なんかじゃなく、魂が『今にすべてがある』と微笑む自由。タスクや義務は、自我が作り上げた幻で、魂はただ在るだけで宇宙と共創造している。
親の「さっさとやらないと後で困るよ」「人の役に立たないと価値がないよ」という声が、時折「何もしないのは怠惰じゃない?」と心をざわつかせる。それは、子どもの頃から刷り込まれた『やらなきゃ足りない』という古い物語だ。でも、魂はしなければならないことなんてないよと笑う。すべての義務は幻想で、宇宙は今ここで完璧に整っている。それなのにわざわざ整えようとするからおかしなことになる。もうすでに整っている今に戻るだけだ。
悟りは、時間の鎖が解け、義務の重さが消える瞬間。『今ここ』に立つと、魂が『私は愛そのもの、創造の源』と歌い、すべての悩みが幻想だとわかる。何もせず、ただ愛を味わうだけで、宇宙の無限の智慧が心に響く。

宇宙の愛の具現化

あなたの価値を証明しようとしなくていい。魂はすでに知っている。存在そのものが価値であり、宇宙は完全完璧なあなたとして創り出した。何も変える必要はない。ただ大いなる愛を感じていて。
誰からも認められなくていい。誰の役に立たなくてもいい。失敗してもいい。いい結果なんてどうでもいい。なんならアンチされてもいい。それでも無条件にコレがしたい!って衝動は…それがあなたの魂のブループリント😊

この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-

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意識の次元マッピング研究者|ORCID登録・論文著者|中谷まり亜 ありがとうをチップで伝える