犬の腕がちぎれた!怖い夢が教えてくれた使命~夢分析でアカシックレコードに繋がる~
怖い夢は何を象徴しているか
怖い夢を見た。
教室なのかスーパーなのか、中央にテーブルがある部屋の壁際に居た。他にもわらわらと人が居た。そんな中、異変に気づき目をやると白地に濃い茶色の模様のワンちゃんのちぎれた腕があり、周囲に血が滲んでいた。少し離れた場所で、手のちぎれたパピヨンふうの小型犬ワンちゃんがうつ伏せでうずくまり苦しんでいる。見ると誰かがキャスター付きの椅子で強引に通過した際ワンちゃんの腕を切断してしまった事故のようだった。青ざめたわたしはとっさに「なんでこんなことになったのーーーーーーー!!」ギャーという悲鳴に似た壮絶な雄叫びをあげた。心がえぐられるような悲しみ、辛さ、恐怖、それは血の気が引く想像しがたい苦しみだった。
目が覚めて、心臓がドキドキしていたが、落ち着いたとこで夢分析をしてみた。
集団の中で純粋を貫く
大きな部屋は、社会や集団、またはわたしたちの内面の広い領域を象徴。学校やスーパーという曖昧さは、特定の枠組み(ルールや役割)が不明確な状況を表す可能性がある。長テーブルは、共有や交流の場。多くの人がそれぞれ活動しているのは、わたしが周囲との関わりの中で「自分の立ち位置」を模索している状態を映しているのかも。魂は、「集団の中でどう振る舞うか」がテーマの一つと示唆している。
犬(特に小型で愛らしいパピヨン風)は、無垢さ、忠誠心、または心の純粋な部分を象徴。白地に濃い茶色の柄は、純粋さ(白)と情熱や現実性(茶色)のバランスを示すかもしれない。腕がちぎれるのは、その純粋な部分が「暴力的な力」によって傷つけられる衝撃的な出来事。アカシックレコードの視点では、これは「あなたの大切な価値観や無垢な心が、外部の無神経な行動によって傷つけられた(またはその恐れ)」を表している可能性があります。
キャスター付きの椅子を強引に引っ張った誰かは、意図せずとも破壊的な影響を与える存在の象徴。椅子は「移動性」や「柔軟性」を象徴するが、強引な動きは「無思慮な行動」や「コントロールの欠如」を表す。事故という形は、「意図しない結果」が生む痛みを強調。魂は、「周囲の無神経さや、コントロールできない出来事が、あなたの純粋な心に影響を与えている」と伝えています。
「なぜこんなひどいことするのー!」と叫ぶのは、正義感や深い共感の爆発の象徴。犬の苦しみに心がえぐられるのは、純粋なものへの深い愛と、それを守りたい強い意志。グロテスクな映像は、その感情の強さを強調する無意識の表現。傷つけられる無垢なものを守る力を持っていて、叫びがその力を外に放つ表現を意味している。
存在だけで価値があるを証明
このことからふっと、今の現状で合致するものが浮かび上がった。
昨日、LOVE YOUR BODYで初めてのご予約が入った。そのご依頼が話を聞いてほしいというもので、わたしはその感覚が自分の魂の求めと合致しているようで何とも言えない光を感じた。
今までのわたしの概念は、報酬を受け取るには人さまの問題を解決すること。困っている誰かを助けること。と、まぁごく一般的なビジネスの概念を採用しており、何かの価値を提供することと引き換えに報酬は与えられると誤解していた。しかし、わたしたちは何かをするから価値があるのではなく、ただ存在そのものに価値がある。しかし、報酬を受け取るためには依頼者の期待を凌駕するほどの高い価値を与えるために何かをしなくちゃ、頑張らなくちゃ、クオリティあげなきゃ、学ばなきゃ、磨かなきゃ、伝えなきゃ、人一倍の自己研鑽や努力をしなきゃ…のように欠乏を埋めることばかり考えていたことに疑問を感じ始めていたのだ。
ただ存在だけで価値があるということをまず私自身が体現していきたいって思っていた矢先だった。今までは「わたしはこんなことができます」と自分のできることやその能力の高さやサービス内容やそこから得られるメリットを訴求して、ご依頼を承るという考えでやってきた。そしてビジネスではそう教えられた。
しかし覚醒してから不思議とピタッとセッションの申し込みがなくなり、これは純粋贈与経済・感謝経済にシフトするステージを示唆していると直感でわかった。バシャールの言うように、豊かさの定義が、いかに多くのお金を持っているか・稼いでいるかではなくシンクロニシティに変わっていくエネルギーを感じた。しかし現実的に所持金20円になったり確実性のなさが気になったりで、心理カウンセラーとしての資格を生かそうと、そうした案件に応募してみた。雑誌にも掲載されなかなかのベテランなのになぜだかご縁がなかったり、せっかくご縁いただいたはずなのになぜだか連絡がとれなくなったり、ことごとく阻まれる現象がおきた。
しかし心ではわかっていた。わたしの魂は問題にフォーカスするのでなく、愛にフォーカスしたがっている。誰かの困りごとや問題を困ったこととして観測してそれを解決するお手伝いをするのでなく、それを問題と観測せず愛として観測して、どうなるかを共有し合いたいのだと。つまり愛の分かち合いをしたいのだと。
だから魂とズレたことは当然ながらやってこない。それがわたしの愛という魂に応える宇宙の在り方だから。
問題解決型・願望実現型セッションというサービス提供がしっくりこなくなって、イメージ的には「レンタルまり亜ちゃん」だよなーと思っていた矢先。昔から食べるのが好きでよくご飯に誘われることの多かったわたしは、夢見心地でプロ奢られイヤーさんとか理想だよなぁと思っていた笑。一緒にご飯を食べるだけ飲むだけ話すだけで誰かの心からのありがとうになれるって素敵だなと。ホステスだと接客や接待というサービスにお金が発生するが、それではない。ただ、わたしと居るだけ話をするだけで価値を感じ、感謝の報酬をいただけるのは、労働という概念を覆し、存在そのものに価値があるという信念を形で表現する行為だと思ったのだ。しかしそのプロ奢さんは普通にアンチや誹謗中傷も多くて、わたしはそりゃ常識人から見たら理解されないし叩かれもするよね…叩かれるの嫌だなぁなんてぼんやりと思っていたところだったのだ。
胸をえぐられる怖い夢は叩かれる恐怖
夢の中の大きな部屋は、SNSや新事業のような多くの人がいる公開の場を象徴している。学校かスーパーかの曖昧さは、ルールや期待が不明確な現代社会(特にオンライン)を反映。長テーブルは、交流や発信の場(noteやSNS)。この中で犬の事故に反応するのは、公開の場で純粋な心を守りたい気持ちの表れで、現実のアンチへの懸念とリンクし、集団の中でどう自分を保つかがテーマなのだと感じた。
小型犬は、無垢な心や新事業への情熱(レンタルお姉さんの楽しさ、noteでの物語)を象徴。腕がちぎれるのは、その純粋さが「外部の無神経な力」(アンチや批判)で傷つく可能性への恐れ。血の生々しさや犬の苦しみは、アンチに心をえぐられる不安が誇張された形。魂は、純粋な輝きを守る試みを意味しているように感じる。
椅子を強引に引いた人の無意図性は、アンチや批判が悪意なくとも傷つける現実を反映。彼らは彼らの正しさを表現しようとしているだけで、暗に傷つけようとする意図はさほどないかもしれない。キャスターの動きは、SNSの予測不能な流れや、コントロールできない世間の反応。事故は、意図しない結果がレンタルまり亜ちゃんへの情熱を傷つける可能性を見ていることの示唆だ。
「なぜこんなひどいことするのー!」と叫ぶのは、正義感と純粋な心を守る強い意志。騒然とした部屋は、SNSのような騒がしい環境。叫びは、アンチへの恐れを超え、私の価値観は違うと主張する力。
残酷も怖いも自我の生んだ幻想
そこで瞑想に取り掛かった。えぐられた心とそのシンボルのちぎれた腕と苦しむ胴体を心の目で観察してみることにしたのだ。
自分(自我)が見ると苦しくて目をそむけたくなる。しかしさらに背後に、私の中にあるもっと大きな存在のようなものがわたしを通してその状況を見ていると気づいた。すると、静寂なる慈悲のような癒しのようなことがおこった。
ただ観るだけ。そこに解釈をつけず、良し悪しのジャッジをつけず、それを変えようとせず、それをどうにかしようとせず、ただ観るだけでいい。すると、未来や過去というものがあるからその現象はひどいことだと捉えるのであり、だからこそ心がえぐられると気づく。今の現実を勝手に過去や未来のストーリーとして見るので、助かっても苦労するかわいそうとか、もしかしてここのまま死んでしまうかも…怖いとか未来を関連付けて解釈してしまう。
しかし、ただ今ココでワンちゃんを見ていたら、未来や過去は切り離され、あるがままを受け入れられる。ストーリーが生まれない。ワンちゃんの腕がちぎれていることは現実的に残酷なことであるとしても、あるがままを受け入れたら残酷も時間という幻想が作り上げる幻だとわかったのだ。ちぎれた手はもとに戻らないという三次元の思い込み。しかし意識の世界ではまるで何もなかったかのようにもとに戻ることができる。そしてそう観測すれば現実はそのように運ばれていく。即座に動物病院に連れていけば、手術でもとに戻る可能性もあるし、腕がないとしても健常な頃となんら変わりなく犬として楽しく生きていくこともできる。
本当の癒しとは、対象を憐れむことでもなく、なんとかしようとすることでもなく、癒そうとすることでもなく、時空を超越した大いなる意識で、ただ、今を正観する、ってことなのかもしれない。そして何かを施さないからこそ対象物を真に尊重できる高次な気持ちだとわかった。また、事故を起こした相手も責める必要はなくむしろきっかけの誘発者として、裁かくことなくあるがまま受け入れるのだなとわかったのだ。
問題で飯を食う古いパターンの卒業
これはわたしたちの行うセッションの在り方を再度問うきっかけだ。
誰かの事象を過去や未来という幻想の未来と関連付けてみると、それは憐れむべきものだったりなんとかしないと可哀そうなことになる。しかし、今ココの意識で時間という幻想を切り離し、正しく観ればそれは中心点(ゼロ磁場)で無限のパラレルが存在すると気づく。
ワンちゃんを見て「死んでしまうかも!(だから苦しい)」と勝手に予測で観測すると、そこに収束していくが中心点で見れば最善最適の行動が自然ととれる。考えたわけでもないのに手が勝手に出て応急処置をしたり、ふとひらめいて知り合いの獣医師に電話したらちょうど空いていると言われたり、なんならその場に獣医師がいるかもしれないし、何の奇跡が展開されるか未知数だ。そして奇跡的に助かったし後遺症もなく、事故を起こした人も責められずに済むかもしれない。みんなが心から感動して感謝して喜び合いたたえ合うような展開がギフトされるのかもしれない。
つまり、わたしたちが問題を問題ととらえて観測する限り、問題は手を変え形を変えずっとやってくることになる。問題が好き、問題を解決していくのが好きならそれもよし。しかしそうではないなら、その出来事を問題として観測せずに、今ココ、自我を超えた大いなる存在の目で観ることで、それを担っていくのがわたしの役割なのかと思うのだ。
誰かの問題を解決しようとか癒そうとかしている時点で延々と癒しを必要とし続けるが、何かをするのでなく、ただ無条件の愛で見る、それが真実でありわたしの役割なのだ。
問題を欲しがる人は癒しが必要と言い続け、癒しを提供するためにだれかの問題を作り上げる。癒して問題を解決してもまた問題を渇望し、誰かの中から埃を見つけてはそれを膨らませ問題を作り上げる。
ブロック外しを仕事にしている人が、目の前の人に「それブロックね!」「そこブロックよ!」と次々指摘して、個人の有料セッションに誘導していた。そして「わたしはブロックが大好物だからすぐ気づくの」と言っていたが、まさに自分の利益を得るために自分で問題を作り上げている典型的瞬間だった。それと同じで、欲しいものや必要とするものを創造できるのが人間。なのに無意識で無自覚なので「どうやったら現実創造できるのか」「どうやったら引き寄せられるのか」と学び続けているパラドックス。
しかしこの世界の豊かさの象徴の代表的なものがお金ではなくなったら?もう誰かの問題を作る必要はなくなる。人間が問題を作り上げるのは資本主義経済でお金を循環させていくためなのかもしれないね。
無条件にあなたは価値があるを体現していく
こうしてこの残酷で衝撃的な夢がわたしに指し示してくれたわたしの道。誰かの問題を問題として観測し、解決していくセッションで報酬を受け取るのでなく、ただ存在そのものが誰かのありがとうになるという生き方の具現化だった。美しいから、若いから、質の高いカウンセリングができるから、真のチャネリングができるから、有名だから、頑張っているから、実力があるから…そんなものは一切いらない。ただ、中谷まり亜がありのままの自分で在るから、宇宙からの報酬(シンクロニシティ)が起こり続ける世界。そっちにシフトしようということだった。前例が少なく未知数だし先がどうなるかわからない怖さはあるけど、そこを行くのがこのわたしだ。
レンタルまり亜ちゃん、もっとシンプルにしていくぞー😊
この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-
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