子供が出来ないウェディングプランナーって縁起悪いですか?
長野県でフリープランナーをしています
marico weddingです。
新卒から式場のウェディングプランナーとなり
16年間、お客様の幸せに尽くしてきました。
4年前に独立し、今はフリーランスの
プランナーとしてお仕事をしています。
SNSでは365日
私が出逢ったお客様が
いかに人生に向き合い、悩み、笑い、
そして素晴らしい1日を迎え、
またそのあとの人生も懸命に生きる。
そんな様子を私なりの視点で
ノンフィクションとして綴り続けています。
今までもお客様の人生に真剣勝負で向き合い続けている自分自身について時々綴ってきました。
ただ、今までどうしても言えなかったこと。
「私自身の人生について」綴ってみようと思います。
自分のことなんてどうでも良い。
大切なのはお客様の人生だ。
ずっとずっとそう思っている私です。
それは私がお客様に充分な幸せを
16年間いただき続けているから。
でも、40歳を目前にふと思ったんです。
もしかしたら私自身の経験や葛藤が誰かの希望になるかもしれない。覚悟して書きます。
子供が出来ないウェディングプランナーって縁起悪いですか?
ずっとしてみたかった質問です。
怖くて怖くて怖くて怖くて
今まで誰かに聞くことも、
もちろん綴ることもできませんでした。
子供が出来ない私が結婚式の仕事をしている。
結婚式の後は多くの場合(非常に多くの場合)
子供を授かり、夫婦が家族になっていく。
そして新しい家族を築いていく。
そういう未来そのものを祝うことが結婚式でもあります。
でも私には子供がいません。
それは自分たちで選んだわけではなく
“できなかった”という現実でした。
それでも私は今日もウェディングプランナーとして結婚式を創り続けます。
お客様の人生の隣に立たせていただいて
その幸せに精一杯尽くします。
シンプルに言ってしまうと、
私はまだ自分の人生を肯定しきれていません。
それでも「あなたの人生は素晴らしい」と
今日もお客様の背中を押します。
未熟者で半端な私があなたの背中を押します。
きっと綴り終えるころ、
私の中で色んな葛藤や悩みや迷いが
少し形を変えてくれると信じています。
そんな未来を自分で迎えにいきたいと思います。
「第二希望の人生を祝福できるようになるまで」
お客様の人生を本気で愛する私が
自分の人生を
心から愛することに向き合い続けるために。
「自分を愛せる人生を」
そんな風に生きていけるように。
私の夢はママになることでした
16年前、私はウェディングプランナーになりました。志したのはごく単純な理由です。
大学3年生、地元を離れ東京で大学生活を楽しんでいた私に就職活動という時期がもれなくやってきました。
特にコレといった目標があって大学に行ったわけではありません。しかも経済学部経済経営学科。
ウェディングとは1ミリも関係無し。
さて、就職かあ。と思ったときに
「私は何が好きなんだろう」と考えました。
私は大学時代みんな大好きなあのテーマパークで
キャストをしていました。
教わったことは山ほどあり、
サービス業の本場に触れたことは最高の財産です。
そして私は愛情いっぱいの家族の中で育ちました。
家族が好き。エンターテイメイントに興味がある。
この2つが仕事にできることはなんだろう?
そうだ!結婚式だ!!と閃きました。
結婚式って何かもよくわかっていなかったけれど
あの頃の私は思いついてしまいました。
「ウェディングプランナー」になると。
そして就活スタート。
全部割愛すると、第一希望の会社に内定をいただき
最初の配属が長野県。地元に帰ってきました。
3年で辞めようと思ってた
ただ就活を始める前から薄々思っていたことは
「3年頑張ったら辞めよう!」でした。
だってウェディングプランナーって
サービス業だから土日はもちろんお仕事だし、
長時間労働は当たり前。
朝早くから深夜遅くまで働いて大変そう。
私体力無いし。多分、無理。
でもやってみたいからまずは3年やってみよう。
期間限定なら根性無しの私でも頑張れそう。
そんな気持ちをこっそり隠し持って
私はウェディングプランナーになりました。
3年で辞めようと思っていたのには
もう1つ大きな理由があります。
それは私の夢が
「ママになること」だったからです。
それはそれはもう当たり前のように。
小学校、中学校、高校、大学、就職、結婚、ママになる。この順番何か間違っていますか?
こんな夢を持てたのは私の母の存在です。
私の母は完璧なママです。
私たち兄弟を心から愛してくれました。
24歳で結婚式をしたときに私が読んだ
「感謝の手紙」
みんなの前で堂々と
「私はママみたいなママになりたい」と
伝えました。
嘘偽り1つも無く、真っ直ぐで正直で、
これから何が待ち受けているか
何も知らなかった頃の私です。
だから3年つらい仕事を頑張ったら辞めて
「ママ」になろう。
「仕事」を第一にする人生ではなく
「家族」を第一にする人生を送ろう。
そう思っていました。
高校生から7年お付き合いした旦那さんとは
24歳で結婚しました。
「ママになること」を人生の目標として掲げ
その夢に向かって真っすぐに走っていた私でした。
ただね、私の人生に
ここでちょっとした計算違いが起こります。
それはウェディングプランナーの仕事が楽しくてたまらかったこと。
1ミリの疑いもなく仕事に全力
もちろん大変なことばかりでした。
まず当たり前だけど人が休むときに働くのがサービス業。当時は朝から深夜まで働くのが当たり前。
そしてそれ以前に扱っているのが
「一生に一度」という重み。
「絶対に1つの失敗もあってはならない」
「100点で当たり前」
常に完璧が求められ期待に応え続ける。
それでもこの仕事を毎日毎日できたのは
お客様に多くを教えていただいたから。
楽しかった。やりがいしかなかった。
辛くても苦しくてもしんどくても
お客様が喜んでくれればそれで報われたし
20代前半とか中盤ってお客様は多くの場合
私より年上で沢山のことを教えていただきました。
そして何よりもそのご家族や親御様。
お話をお伺いするのが楽しくて、
教えていただくことばかりでした。
「仕事を」というよりは「人生を」
こんな想いで生きてきて、こんな人と出逢って
これから先どう生きていきたいと思っているか。
未熟で未熟で未熟な
私はお客様から多くを教えていただきながら
日々を生きました。
相変わらず「ママになる」という当たり前に来ると信じていた未来も頭の中にありました。
今は仕事が楽しい。
そしてタイミングは今じゃない。
途中で担当が変わったらお客様に迷惑がかかるから。そんな気持ちもあった。
でもね、旦那さんとは高校生の頃から付き合って結婚したからもうふたりで過ごした時間は充分にあって子供の名前も決めてた。しかも3人分。
私も旦那さんも3人兄弟だから
子供は3人って漠然と信じてたし
そんな未来が必ず自分たち夫婦にやってくると
信じて疑ったことは1ミリも無かった。
ただ夢中で仕事をしていたあの頃の私。
思い返せば、私の体は少しづつ悲鳴を上げていた。
そしてそれを私は無視していました。
“これは普通じゃない”と気づいた日
最初は風邪をひいたと思った
そんな私に転機が訪れたのは
結婚して4年目の夏のことでした。
なんだか体がだるくてお腹がめっちゃ痛い。
普通に内科に行きました。
「お腹が痛くて熱があります。風邪薬下さい!」と
伝えた私のお腹を触って一言。
「風邪じゃないね!今すぐ婦人科に行って下さい」
ちょっと理解できなかったけど、
人に言われたことはちゃんと聞くタイプ。
そのまま人生初の婦人科に行きました。
なんだかよくわからないけど検査してそこで先生に言われました。
「紹介状を書くから今すぐ大きな病院に行って下さい。」
ちょっと理解できなかったけど
人に言われたことはちゃんと聞くタイプ。
即入院でした
細かいことは覚えてないけど、即入院でした。
診察室から出てきた私はもう車椅子でした。
(自力で運転してココまで来たくせに)
あの日からとんでもない毎日が始まった。
最初の診断はあの有名な「女性の3人に一人はなる病気」の重症版。
入院することになって先生に色々聞かれたら
「ああ。そういえば」と思い当たることがいっぱいありました。
でも、正直そんなことしている場合ではなかった。
結婚式や打合せ、お客様が待っていてくれたから。
私を必要としてくれるお客様が沢山いた。
このあたりの気持ちを書いてしまうと、
申し訳無さと悔しさで今でもいっぱいになる。
約束したのに。
本当にこんなポンコツでごめんなさいでいっぱいになった。
一度見つかってしまった病気というのは
どんどんそっちに進むもので私は体の痛みを
抱えながら仕事をしていました。
何度か入院もしました。詳しいことは割愛します。
そして私はプランナーを少しの期間お休みすることになりました。
痛み止めの注射を打ちながら笑顔で
なんでもないような顔でお客様と向き合うことは
やっぱり良くない。息するのも痛かった。
仲間にも本当に迷惑をかけた。
ただ「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と頭を下げるたびに私の心はすり減っていった。
あの頃の自分に言ってあげたい。
「もう謝らなくて良いんだよ。一番しんどいのはお前だ。」
悔しかったよ。それ以上言えることは無い。
結婚式がしたい プランナーをしたい
体の痛みを抱えながらそんなことを思ってた。
お薬の力で病状が段々と落ち着き
例えばご見学のお客様とお喋りしてたら
「maricoさんにプランナーをお願いしたい」
そう仰っていただいて
私はまた爆弾を抱えながらプランナーをする生活に徐々に戻っていきました。
ただお薬で一時的に良くなるとは言え根本的な
解決には至らず。
ここで病院の先生から教えてもらったことがある。
それはとても皮肉な話でした。
子供を望む私たち夫婦にとって
私の病気が良くなる一番の近道は
子供ができることでした。
子供が持てない未来が確定した日
私の病気を良くするためには
子供ができることが必須条件。
そうと決まったらやることは決まっていました。
そう。「不妊治療」です。
てかそもそもね、
「子供が出来づらい体です」とか「不妊症です」
とか言われるのってめちゃくちゃしんどいよね。
「花粉症です」くらい簡単に言われるんだが。笑(え?笑えない?)
最初にお伝えしておきます
私たち夫婦の不妊治療は「治療」という段階に入る前に終わりました。
今沢山の方が戦っている治療。
いろんな事情や状況がある。
「治療」は「希望」だ。そんな風に思います。
私たち夫婦の「不妊治療」はあまりに短く、
そして絶望でした。
まるでコナンのCM入る前の扉がバタン!って閉まるくらい早く、あっけなく終わりました。
期間にするとたった半年。
短く、そして絶望しかなかった半年。
なぜかは想像に難くない。そうです。
子供出来づらい体は私だけじゃなかった!笑
なんかもうふたりで笑った。
絶望して笑って絶望してまた笑った。
人生には3つの坂がある。
上り坂。下り坂。まさか。
病院の先生に言われた言葉、色んな検査結果。
色んなことを考えて夫婦ふたりで調べて、話して
どうするかを決めた。
これしかないっていう道が1つだけあって
その上で「そこまでにしよう」とふたりで腹を括った。「治療に線を引く」決断が出来た私たちは
ある意味とても幸せだったと思います。
終わりが見えないことより苦しいことはないよね。
でもそれは「希望」があるってことなんだよね。
私たち夫婦に子供が出来ない未来が確定しました
1つだけ言いたいことは私は旦那さんの勇気に
心から感謝しているということ。
私の旦那さんは「子供ができること」はもちろん願っていたけれど、
何よりも「私の病気を終わらせること」を願ってくれていた。
思い描いていた未来が真っ白になった
心のどこかではこの日がくることが
もう薄々わかってた。
ふたりで納得するために選んだ選択だった。
というか大勝負だった。あっけなく完敗。
だから覚悟してたつもりだったけど
やっぱりしんどかったし今もしんどい。
忘れられない夢をみた
私、夜眠るときに割と夢をみる方です。
不思議なことに
子供が欲しいってずっと思ってて
病気がわかって痛いのもつらいのも堪えて
頑張ってた時期も
私たち夫婦に子供がいる夢をみたことがなくて。
でもあの日
私たちに子供が出来ないとわかった日、夢をみた。
その頃おばあちゃんと住んでたんだけど
建てたばかりの我が家の玄関で小さな女の子が
ただいまーって私のおばあちゃんに満面の笑顔を
向けてた。初めての夢でした。
ずっとずっとずっとずっと願ってて、
叶わないと決まった日の夜にみたあの夢は
一体なんだったんだろう。
あの子、私にそっくりだったな。
それは30歳のお誕生日でした
子供が持てない未来が確定した翌月。
私は救急車で運ばれました。全然良くなってない。
子供が出来ないのだから私の病気を良くするためには違う解決策が浮上しました。
そう。取っちゃえば良い。
退院して年が明け、
先生からのさっぱりした電話。
「手術しよ?」
即答で「宜しくお願いします」と頭を下げた。
子供が出来ないことが確定する前は
「期待はしない。でも希望は持つ。」
そんな風に思っていた。
ふたりで小さな希望を大きく持ってた。
そしてそれと同時にきっとこの先
叶うことのないこの夢は、
一生夫婦ふたりで抱えて生きていくんだと。
でもさ、ずっと思ってた。
夢の諦め方なんて教わってないんだよ
私なんかしたかな。
赤ちゃんがどれだけ欲しかったか。
当たり前の願いじゃないのか。本当は分かってた。もう出来ないってこと。
しんどかったのはちょうどこの時期家を建てていて
子供ができるか出来ないかの微妙な時期に家の間取りを決めました。
子供が出来ないって確定する前だったんだけど
私はこの家に「子供部屋」をつくらなかった。
どう考えても子供部屋な場所を私は和室にしました。無駄に床の間の壁紙にこだわりました。
あの選択をした自分はきっともう分かってた。
あの選択もきつかったよね。
よく頑張ったね。
卵巣を取りました
私の30歳のお誕生日の辺りで手術をしました。
頑張ったのは病院の先生たちです。
術後めっちゃ痛かったけど歩けるようになったくらいに同じ病室のおば様方と病棟の休憩室で一緒にみた朝日は忘れないな。
子供が出来ないことが確定し
私の手術が無事に終わって
それから新しいお薬を飲み始めて色々が落ち着いた。
私はこのすべてが
心から私で良かったと思っている。
最初3人にひとりって言われたときすぐに思った。
大好きな妹と義理の姉の顔が浮かんだ。
3人に1人。私で良かった。
子供が出来ないことが確定しても
大切なお客様じゃなくて私で良かったと。
全部私が引き受けるからどうかせめて私の大切な
人たちがこんな思いをしなくて良いように。
生きていれば悲しいことも辛いことも沢山たくさんあるんだから、
どうかこれだけは私が全部引き受けるから
私の大切な人たちがこんな目にあわなくて良いようにと。お願いだからと。
話変わるんだけどこういう話をずっとしなかった(できなかった)にはある人の言葉があって。
突然の登場。もののけ姫のエボシ様。
「さかしらに僅かな不運を見せびらかすな」
いや本当に仰る通りと思います。
でもこのお話は
私の身に起きた僅かな不運を見せびらかしたいわけではないことをご理解いただければ幸いです。
こうして私は少し時間がかかったけどまた思いっきりお仕事ができるようになっていきました。そして年月はコロナ渦へと進んでいきます。
このたび一身上の都合により退職いたします
体が回復に向かい、
また思いっきり仕事ができるようになった頃、
本当に最高な仲間に囲まれて
楽しくて仕方なかった。私は絶好調でした。
そして少し時が経ち私が完全にノっているときに
アイツがやってきます。
コロナ渦で会社クビになった!
今まで「どうしてフリーになったんですか?」
と色んな方に聞かれてきました。
私いろんな理由をかっこつけて答えてきました。
(なんかごめん!言いづらかった!笑)
でもね、本当のきっかけは
会社から退職の打診をいただいたことが全ての始まりだったんです。
この時点でウェディングプランナーとしてのキャリアは12年。長く続けさせていただいていれば
いつかはちらついてくる
「フリープランナー」という働き方。
私にも何度かちらついた時期がありました。
「いつか自分の名前で勝負してみたい」なんて。
ただ私、自分の所属するチームや式場が大好きなんです。だって、あの場所が私をプランナーにしてくれたから。
何も分からない世間知らずな小娘に全てを教え
結婚式の素晴らしさ、そして結婚式の創り方の
基礎を叩き込んでいただいた。
当時の上司からの打診、2回断りました。
「え?私クビですか?!」って
ストレートに聞きました。
笑えた。正直びっくりした。
人生には3つの坂がありますね。
またです。まさか。
独立してフリーランスになりました
悩んだ。断った。悩んだ。
でも結局これが私の人生の中で最高に英断でした。
「まりこさんならできる」と言ってくれた仲間。
「お前には絶対無理だ」と言ってくれた先輩。
「ようこそ」と言ってくれた人生の師匠たち。
「大丈夫に決まってる」と言ってくれた旦那さん。
「やるからには大きな夢を持て」と言ってくれた父。
自分で決めました。沢山の人に支えていただいて。
あの頃の自分に言いたいな。
「早くおいで!!!この未来は最高だよ!!!」
不安は不安のままでも良い。ただ決めて行動する。
そうすることでしか人生は次に進まない。
屋号は「marico wedding」に決めました。
3月に退職して4月1日に開業届け出したから
考える時間が無かったのもあるけど
まずは親が付けてくれた自分の名前以上に
責任を持てるものはないと思った。
そして今までの自分と、ちょっとだけ新しくなった
自分への区別として「mariko」を「marico」としました。
すんごくシンプルで我ながら良い理由。
こうしてmarico weddingが誕生しました。
わたしたち夫婦の話
はじまりは一目惚れの片想いでした
高校生だった夏に私の一目惚れで始まった恋でした。あれから私たちは20年以上一緒にいます。
いろんなことがありました。
まだ子供だった私たちは
社会に出て働き始め、
沢山失敗をして一緒に大人になりました。
愛や恋は3年で冷めるとよく言うけれど
それならば何度でも何度でも
お互いに恋をすれば良い。
たったそれだけの簡単な話。
たったそれだけの奇跡みたいな話。
私が病気をしたときも、ふたりで子供が出来ない
現実に向き合っていた日々も、
思い返せば些細なことで毎日一緒に笑ってた。
泣き暮らしていたわけでは決してなく。
ふたりで笑いあっていたんです。
子供が出来ないと決定的に判断することをしたときに病院の待合室で思った。この人が居てくれれば良い。私が生きていく大前提として。
夫婦は二人三脚と良く言いますが、
私たち夫婦はよく転ぶ。
でもね、今までの20年を総括すると
「この人とだったらまた一緒に立ち上がれる」
どんなに派手に転んでも、
また一緒に立ち上がりたいと思える人が旦那さんで良かった。
私は「奥さん」としては本当になんかあれだけど
旦那さんを笑わせることだけは誰にも負けないと思ってます。
人生は冒険だから。夫婦ふたりで生きていく。
いろんなことがあったけど、そうやって腹を括って
今までも生きてきたしこれからも生きていきます。
ふたりで「親」になることは出来なかったけれど
私を選んでくれたことが旦那さんの人生の誇りになるように。
「she was my wife」「she was my life」
そんな風に人生の終わりに想ってもらえたらいいなと思う。
子供ができるって、奇跡だと思っているから
目の前に奇跡がありますか?
お子さんが居る方へ向けて書きます。
授かったときどんな気持ちでしたか
無事に育ってくれることを願いながら出産の恐怖とも戦い自分の体がどんどん変化していって
つわりもしんどい中仕事も頑張って
その子をはじめて抱っこしたとき
どんな気持ちでしたか
名前を付けたときどんな気持ちでしたか
生まれたきた日の空はどんな色でしたか
それから眠れない日々がはじまって
自分の体がまだボロボロの中
その小さな命を生かすことに全集中して
思い通りにならないことの連続で
くじけそうになったときもありましたか
はじめて寝返りができて
はじめて歩いて
はじめて喋って
はじめてを繰り返し続けて
毎日毎日毎日毎日
ごはんをつくって洗濯して掃除もして
オムツを変えたりお着替えさせたり絵本を読んであげたり
せっかくつくったごはん
全然食べてくれなかったり
泣き止まなくて途方にくれて
体がちぎれそうになりながら抱っこしてた夜も
手が限界に痛くてもその手を求めてきたときも
18年たてばきっとその子は巣立っていきます。
今何年経ちましたか?あと何年ありますか?
あと何日ありますか?
「ママ大好き」と言ってくれるその笑顔に
その寝顔に救われたこと何回ありましたか
あなたの隣に今日も奇跡がありますか
当たり前の日常を抱きしめて下さい
私だから言えることもあります。
子供ができるって奇跡です。
目の前にいるのは
あなたの隣にいるのは奇跡です。
授かって産んで育てること
全部奇跡です。
私にはまぶしすぎるくらいに眩しい奇跡です。
思いっきり抱きしめて下さい。
「ママ」は偉大です。
「ママである」それだけで偉大です。
世界中の人に喝采を浴びるべき偉業です。
結婚式という非日常を祝う私が
ニューボーンや子育ての日常撮影のプロデュースをしている理由はこれに尽きます。
いつか懐かしく思い返すその日に
ちゃんと宝物として記録が残るように。
今は分からないかもしれない。でもその日は来る。
その日にその価値が分かると信じているからいつまでもプロデュースをし続けます。
今は今しかないから。当たり前を愛そう。
そして私はあなたの子育てが終わる日
「結婚式」をつくっています。
今度は送り出す側としてあなたが新郎新婦の「親」としてその日を迎えることを楽しみにしています。
私もその日までプランナーで居続けます。
いつまでもあなたの人生を讃え続けます。
私は、人生を愛し続ける
小さな頃から、本を読むのが大好きでした。
ページをめくるたびに、
知らない世界に触れられるのが嬉しかった。
大人になった今、私は人生という本を読んでいます。
出逢った人の声に耳を澄ませて、
願いを聴いて、想いを綴っていく。
色んな人に出逢いました。
たくさんの人生を教えていただきました。
「結婚式」を通して「あなたの人生」を通して
私は生かされてきました。
私の人生は第一希望では無い
そんな風にずっと思ってきました
第二希望の人生の中で何とかベストを尽くさなきゃ。
子供がいないんだから仕事頑張らなきゃ。
ちゃんと成功しなきゃ。
だってみんなは「ママ」っていうすごいことをしているんだから
私も頑張らなきゃ。だって子供出来ないんだから。
馬鹿みたいだ
全部馬鹿みたいだ
人生最大の願いが叶わなかった10年前の私に言ってあげたい。
子供出来ないよ。
想像してる通り、子供出来ないよ。
どんなに願っても子供出来ないよ。
あなたは「ママ」にはなれないよ。
でもね、それでもあなたの人生は最高だよ。
まだまだ挑戦してるよ。
最高の仕事してるよ。
新しい夢もちゃんと持ってるよ。
あの苦しかったしんどかった気持ちの分
絶対無駄にはしないから
これからは夢、全部、叶えるよ。
人生悪いことばっかじゃない。
大丈夫だよ。
安心してここまでおいで。
しんどくても苦しくても
まさかの連続でもなんでも良いから
自分を信じてまわりへの感謝を忘れずに
ちゃんとここまでおいで。
私がここで待ってるから。
私の物語はまだまだ途中です。
「人生を讃える」生き方を私はこれからも続けます。
そして人を愛し続けます。
家族を愛し続けます。
それが私なんだと思うから。
最後までお読みいただきありがとうございました。
最初にした質問をもう1回してみます。
「子供が出来ないウェディングプランナーって
縁起悪いですか?」
きっと答えはこれを読んでくださっているあなたが持ってる。
あなたも色んなことを抱えながら
しんどいことや苦しいことやどうにもならないことを抱えながら生きてる。
私はこれからもあなたの人生を讃え続けます。
そして自分自身の人生を愛し続けます。
もう第二希望なんて言わないよ。
このnoteを通してたくさんのお言葉をいただき
私は本当に救われました。
本当にどうもありがとう。
これからも私の物語の続きを応援していただけたら嬉しいです。
愛と感謝を込めて
結婚式ってだから好き。marico weddingでした!
※このnoteは創作大賞2025エッセイ部門へ
応募しています。
是非皆様の応援の「スキ」を宜しくお願い致します!
