リーマンショック伝説 まりー編
今は、AIバブル?
昔もバブルって言われていた時期はたくさんあるの。1980年代後半の日本の不動産バブル。そして、2008年の信用バブル。
そう、バブルが崩壊する前、テレビを見ていると「バブルかも」という話がいくらでも語られているのよ。
みんな、バブルだってわかってるのに、その後崩壊してびっくりするのよね。
私がはじめてバブルを体験したのは、1980年台の日本の不動産バブル。当時は私は高校生。まじめに受験勉強をしていたわ。朝のニュースをみていると毎日のように「バブル相場ですね~」とか言っていたわ。当時はインターネットがなかったから、テレビ。
で、1990年にバブルが崩壊して世の中は大騒ぎ。高校生のわたしは、「バブルだってみんなわかっていたのに、なんで慌てるんだろう」と思ったものです。
2008年9月のリーマンショックの前も同じ。放漫融資が蔓延して、アメリカのゴルフ場のキャディさんが融資を受けまくってたくさん別荘を買っている、なんて報道が毎日のように出ていて、「バブルですね~」ってみんなで言っていたのよ。それで、実際バブルが崩壊したどころか、老舗投資銀行のリーマン・ブラザーズが倒産して、大変なことに。この時は、小さい子供をかかえながら、その渦中で働いていたんだけど、「みんなバブルだってわかっていたのに、どうしてこうなっちゃうかな。」と思っていました。
あとで詳しく書くけど、当時、危機の元凶みたいに言われていた「サブプライム」。その周辺業務にどっぷりとつかっていて、CDO(Collateral Debt Obligation)という商品を何千億円も機関投資家に販売していた私・・・リーマン・ブラザーズが倒産した2か月後に、当時いた会社では部署ごと全員クビになりました。日本で、ここまでリーマンショックを中心地で体験した人も少ないと思います。
AIバブルと言われる相場の中にいる今。じぶんの経験を踏まえ、万一のとき、こんなことが起こるかも、ということを皆様にお知らせしておこうと思います。何かの役に立つかもしれないからね。
以下はすべて、私が体験したこと。
私にとっての金融危機、つまりリーマンショックのスタートは、2007年7月です。リーマンが倒産したのは2008年9月ですので、それより1年以上も前になります。
それまでも、米国ではサブプライムローンが大変話題になっていました。「サブ(~の下)プライム(優良)」という意味です。プライム(優良)の借り手ではない、貧乏な借り手=サブプライム借り手に対する、融資(投資用不動産ローン)が焦げ付き、それが表面化したのが2007年7月。わたしは米系証券会社の日本支店のストラクチャードクレジット部に所属していました。クレジットのデリバティブとかCLOを扱う部署です。
2007年7月に、サブプライム顧客に対するローンを担保とした証券化商品の格付けを、S&Pという格付け会社が一斉に引き下げました。シンセティックCDOといわれた、デリバティブを利用した債券については、一晩にして格付けが11ノッチとか下がりました。AAA格だった債券が、朝起きたらシングルB格になっている、という話です。
その当日、2007年7月10日は、本社から偉い外人が来日していて、朝9時から外人をつれて顧客訪問をしていました。チャーターした車の中では、偉い外人がずっと本社と話しています。いきなり格付けが11ノッチも下がるわけですから、対象債券の値段がいきなり半分とかになっています。100で買ったものが50になるんです。上司の電話から漏れ聞こえる不穏な空気を今でも覚えています。
お客様に訪問しても、お互いに情報が錯そうしていて、何が起こっているのかよくわからない・・・でもお客様が不安なのは確か。機関投資家として50億円とか買ったCDO債が、「今の値段は25億円くらいかも」と言われるわけです。ミーティングは地獄でした。
翌月、2007年8月には「パリバショック」がおこります。サブプライムローンを含んだファンドが、時価算定を停止しました。この時点からグローバルに「やばい」かも、という雰囲気が流れだしたのですが、日本ではこのファンドを保有している人はほぼいなかった。そのため一部の専門集団と超大手の機関投資家の一部以外では、あまり話題にはならなかったように思います。
それどころか、当時は「これは一時的なことかも」とか言われる向きもありました。そして実際、値段が低くなったCLOやCDOを「底値買い!」と買っていく日本人の機関投資家もまだいました。
わたしはこの時、投資商品の専門家として、営業部ではなく商品部にいました。
営業部は、上記のような、値段が落ちた商品をチャンスとばかりに買ってくれるお客様をぜったいに逃しません。ただでさえ、不穏な空気になり始めて営業成績を出しにくい時。営業はそういうお客さまに猛攻勢をかけていました。
さすがだったのは、当時の営業トップの役員から営業部に対してお達しが出たことです。「これはリスクが相応に高い商品。いい加減な販売の仕方をしたら将来大問題になる可能性がある。営業だけで約定を取ることは禁止。必ず商品部をだれか連れて行き、リスクの説明をさせるように」。
商品部の私は大忙しになりました。日本全国のお客様を回りました。
そのままおさまるかな・・・と思っていたのですが、事態はより悪化。デリバティブの値段は収まってきたのですが、デリバティブ商品には必ず入っている担保債の価値自体がじりじりと下がりだしたのです。値段はさらに低下して、私が取り扱っていた商品は全く売れなくなりました。
証券会社ですから、売りでも買いでもいいので、売買をすると収入が上がります。ですので、債券が売れなくても、お客様が保有してる債券を売ってくれればいいのですが、そうするとお客様側で損失が確定する。
だれも売るという人はいませんでした。
これは私の体験ではないけど、他社で同じ仕事をしていた人は、お客様に呼び出されて応接間に軟禁され「時価を上げろ」と無茶な要求をうけたそう。帳簿に載る「時価」が下がらなかったら、問題がないように見えるからでしょう。
みんながちょっとずつ狂っていく感じでした。
そんなこんなで、半泣きになりながら営業部とお客様に訪問したり、時価のチェックをしたりして、なんとか2007年の年末に近づき・・・
2007年の12月のある日、本社から「全世界の拠点のクレジット部の全社員、アメリカ東海岸時間9時からのオンラインミーティングに出席するように」とお達しがありました。
そこでのアナウンスは、部署のほとんどの人をクビにするというお達し。とても短いミーティングでした。
そのころには新規でCLOやCDOを購入するお客様なんていないわけだから、商品を新規で作る必要はない。商品をつくるのにも、販売するのにも、それをサポートするのにも、膨大な人員を雇っていましたがそれが必要なくなった。
資本主義では、このような場合、従業員をクビにするのは自然の摂理です。
そのアナウンスを聞いたとき、私は外で食事中だったのですが、ショックで貧血になってトイレで倒れてしまいました。
日本で人員削減が起こったのは、2か月後。日本は雇用法が厳しいので、それなりに準備が必要になります。
2008年2月。
私の上司にあたる人たちがみんないくなってしまいました。
私は残されました。なぜなら残務整理をする人は必要だからです。
さらに事態が悪化したのは、2008年3月。
米大手証券の、ベアスターンズが破綻したのです。
とうとう、金融機関が破綻してしまった・・・・
(ベアスターンズは、破綻の瞬間にJPモルガンに買われる形で、市場に対する影響は最低限に抑えられました。)
そこから市況はさらに悪化していきます。私がいた部署が販売した商品は、坂を転がりおちるようにさらに値段が下がりました。
CLOやCDOを購入してくれたお客様の中には、「こんなに値段が下がるなんて聞いていない」とばかりに毎日のように営業に電話をしてくる方もいらっしゃいました。
営業は「商品部の説明が不十分だったかも」みたいに言い出すわけです。お客様に少しでもそんなことを言ったら大変。お客様から商品部の私に山のように電話がかかってくるようになりました。
お客様によっては、もう、たぶんおかしくなって、30分に一度、「値段は変わってない?」ときいてくる方もいらっしゃいました。
CDOもCLOも外国債券ですから、日本時間には値段は変わりません。
当時の私は信じられないくらい多忙。多種多様のお客様からくる無数の質問に対する回答をつくらなければいけない。質問を投げたい本社の商品部はクビでほぼ人がいない。夜になると海外に電話をして、転送につぐ転送の末にやっとちょっと情報を聞き出す。
そして、東京時間には日本語で回答を作る、時価を書き換えるとかやっていました。
時価を書き換えるとは・・・・販売していたものの中にはデリバティブ商品がありました。デリバティブが入っている仕組み債は、担保債の価値とデリバティブの価値を足し合わせたものになります。当時、担保債として使っていた金融債の値段は非常に低下していた。と同時に、デリバティブの価値は大きくマイナス。ふたつを足し合わせるとマイナスになるんです。
システムから出てくる「時価」はマイナスの値段。
でも、有価証券法上、債券価格がマイナスというのは定義としてありえない。そのため、私はマイナスの数字で出てくる時価を0.1に書き換えていたわけです。
そんなこんなで激務な私が、日中に電話を受けられるわけがありません。そのため、本当に「電話線を切る」みたいなことが行われました。
外部からの電話は商品部につながらないことになりました。外部からの問い合わせはまず営業部に行き、営業部で整理をしてから商品部に来るようになりました。
いろいろ地獄です。
この頃、お客様に呼ばれて改めて商品を説明しろとか、いろいろ今思い出しても辛いミーティングがたくさんありました。
一度、プロ機関投資家のお客様の役員会に呼ばれたことがあります。損失を招くことになってしまった商品に投資する決断をした資金証券部長がつるし上げられる役員会です。
私はその役員会で、資金証券部長から「ちゃんと商品説明をしなかった」人として呼ばれたわけです。当然ですが、金融機関のコンプライアンスは厳しいので、「損はしません」とか「儲かります」みたいなことは言うわけはないです。私は役員会では、損をしませんとは申し上げておりません、と淡々と説明しました。リスクはちゃんと説明しましたよ。と。
隣に着席していた同僚の営業部の担当者は、会議室のテーブルの木目だけを見ています。
そのうち、お客様の資金証券部長は激昂しはじめ、最後には涙を流されました。
お客様はプロ機関投資家ですから、私がいくら「儲かりますよ」と証券外務員法を犯した説明をしたところで、プロとして扱われ、プロなので商品性を理解することができると定義されていますので、非はお客様にあるということになります。私が呼ばれようが、呼ばれまいが、最初からお客様サイドが購入の判断をしたのが悪い、というお話しになります。
販売したほうも地獄、購入したほうも地獄・・・それがバブル崩壊の後の光景でした。
2007年後半から、本社でも日本支店でも、たくさんの人がつぎつぎとクビになって去っていきました。比較的給料が安かった私が残されて、半泣きで顧客訪問をしたり、時価を書き換えたりしていたわけですが・・・
とうとう、金融市場最大ともいえるショックがおこりました。
2008年9月15日(月・祝)リーマンブラザーズがChapter11を申請し、倒産しました。その速報がかけめぐったのは日本の祝日、月曜でした。私はママ友のおうちで、息子達も一緒にランチをいただいていたの。
なんとなくみんなで眺めていたテレビの画面に突然、リーマン倒産のニュース速報が出て。ママたちの半分くらいは金融機関勤務。全員が「やば!」と言いました。
そして、その震源に近い仕事をしていた私の携帯電話が鳴り始めました(スマホの前の時代です)。
商品部のトレーダーから、「うちの商品は、明日の朝、さらに値段が下がるだろう。なるべく早く出勤したほうがいいね。」と。
すでに、価格がマイナスになっているものもある中、さらなる激震の中に放り込まれました。
お客様のご担当者の中には、責任をとらされて人事異動で飛ばされる方も複数いらっしゃいました。
実はリーマン倒産のちょっと前、私はとある運用会社から転職の誘いを受けていました。とても魅力的な仕事。さらに、証券会社出身でCLOやCDOをやっていた人に来てもらいたいから、と、まさに私を対象としたヘッドハンティングでした。
とても行きたかった。
でも目の前で苦しんで涙を流したり、飛ばされたりしたお客様の手前、私だけが幸せな転職をしたらどうなる?
たぶん、そのお客様の前には二度と立てないな、と思いました。
私だけ逃げるわけにいかない。
その転職は受けないことにしました。
2008年9月15日のリーマン倒産から、2か月ほど、あまりに精神的にも肉体的にもつらい仕事が続き、私はほとんど記憶がありません。
そして、とうとう2008年11月がやってきました。私がクビになる番です。
大規模リストラがあるときって、わかるんです。
なぜならたくさんある社内の会議室が、人事部によって押さえられて、ぜんぜんとれなくなるから。
波は、私が座っているデスクから一番とおい場所から始まりました。最初は証券化商品部です。ひとり、またひとりと、ミーティングエリアに人が消えて行って、二度と戻ってこない・・・
そのな風景をみているうちに、波はこちらにやってきて、とうとう私のデスクの電話が鳴りました。「まりーさん、会議室Aに来てください」。
どんな話か、100%わかったうえで会議室Aに行きました。そこには上司の上司くらいにあたる外国人と人事部の担当者。
外国人がゆっくりわかりやすい英語で言いました。
「まりー、君は何も悪くない。頑張っていた。
でもね、この会社における、君の仕事はなくなったんだよ。」
そして人事の担当者からは日本語でこう言われました。
「まりーさん、そういうことですので、カードキーは今返却していただきます。あと、デスクにバッグやコートがあると思いますが、私が取りに行きましょうか?それとも一緒にデスクに戻りますか?このような状況ですから、対象従業員がひとりでデスクに戻ることは禁止されています。」
たぶん同僚はみんな私がクビになったことがわかっているだろうから、みじめかもなあと思いながら、私は人事部と一緒にデスクにバッグをとりにいくことにしました。
デスクに戻ると一緒に働いていた若い女性後輩が号泣していました。そんなに寂しがってもらえて、光栄だな、と思いました。
静かにバッグを持って、会社をあとにし、その後一度もその会社には足を踏み入れていません。
後日、デスクにあった、こまごまとしたものが、段ボールで自宅に送られてきました。箱をあけると、後輩たちが自腹で買ってくれたのであろう、チョコレートの箱が同封されていました。
そのとき、はじめて涙が出たかも。
このタイミングでクビになった人は本当にたくさんいて、私は仲良しの先輩女性と「平日に熱海でも行くか」とかいって、一泊旅行にいって、会社の愚痴をたくさん言い合いました。これは楽しかった思い出。
私がクビになってかわいそう、と思った同僚や先輩が、しばらくはごはんを食べさせてくれたり、コンサートに誘ってくれたり、心が落ち着く本を送ってくれたりしました。
たくさんの人のやさしさに触れたのも、この時期の特徴的な出来事です。
リーマン倒産があまりにも金融市場を揺るがしたので、その数日後に破綻状態になったAIGを、FRBは公的資金を注入して救済しました。
私はそのニュースをみたとき、「破綻する順番が逆だったら、救済されたのはリーマンだったろうな」と思いました。
これ以降は、結局中央銀行は破綻しそうな金融機関を救済することになります。
金融機関の破綻=金融システムの破綻につながるぞ、という共通認識が出来上がったからです。
余談ですが、救済すると、その金融機関が発行していた株は紙屑になるけど、債券はデフォルトしません。
あまりにも不公平ではないか?ということで、その中間の商品ができました。倒産するときには、価格がゼロになってしまう債券、AT1(Additional Tier 1)です。2023年3月にクレディスイスのAT1債がゼロになって、個人で大損した人がたくさん出たというニュースが日本でも報道されましたが、AT1は金融危機を理由につくられた債券です。倒産するときにはゼロになるための債券でした。
当時、販売証券会社が個人投資家にどこまで説明していたのかは不明ですが・・・。
このように、路頭に迷うことになった私ですが、運がいいことに翌月には仕事をみつけました。
リーマンショックでぼろぼろになったいろいろな金融商品の後始末をする仕事です。
2009年は後処理をしながら、割と穏やかな時間を過ごしていた私ですが、当時は不動産市場も流動性が消え去り、処分することもできず、リーマンと取引があった金融機関は、弁護士を交えて長い手間をかけて査定をし、いろいろなものの値段が、リーマンショック前とくらべて半値以下になったり、と金融業界には厳しい日々でした。
一方、個人の知り合いで「今はぜったいチャンス」といって銀行融資をうけて不動産を買う人が複数いました。
その人たちは、その後の不動産価格の上昇で富豪になっています。
バブルの崩壊は、目先が効く人には、膨大な投資チャンスを与えてくれるという意味もあります。
私は1990年代後半に社会人になりましたが、アジア通貨危機、ロシア危機、LTCMショック、911同時多発テロ、エンロン破綻、GM・FORD破綻、リーマンショック、欧州危機、東日本大震災、バーナンキショック、コロナショック・・・数々の危機を金融機関で経験しています。
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