「愛するとは相手の幸福を願うこと」(大川隆法著「愛を与えるということ」より)
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今回は、「愛するとは相手の幸福を願うこと」をご紹介したいと思います!
こちらは、大川隆法著「愛を与えるということ」からの抜粋になります。
公式YouTubeに音声がアップされていましたので、今回はこちらから抜粋させていただきますね☆
余裕のある方はぜひ、音声にて味わってみてください。
「愛するとは相手の幸福を願うこと」
愛を与えるということは、相手の幸福を願うということです。
相手の幸福を増やすということです。
そのように思うことです。
人は誰も「自分が幸福になりたい」と思う。
「幸福になりたい」と思うから、「人から愛が欲しい」と思う。
しかし、あなたがそう思うように、他の人もそう思っている。
愛というのは、みんなが「欲しい」と思っている。
しかし、「欲しい」と思っている人ばかりでは、愛は少しも増えはしないんですね。
人から多く愛された人は、その愛をまた他の人に与えていくことができます。
その意味で、人を愛するということは大事なことですね。
愛された人はその愛をまた人に返していくことができます。
また、人に愛されなかった方も、
愛されなかったことを悔やみ、
愛されなかったことによって、
奪うこと、奪う愛に生きるのではなくて、
「愛されなくとも また われは人を愛す」
という気持ちでもって、人を愛していくならば、
愛されなかった方も、人に愛されるようになっていくでしょうね。
それは、他の人を幸福にしたからです。
人びとを幸福にすることが、みなさん一人ひとりが最大に輝き、幸福になることでもあるんです。
抽象的で大きな話や、あるいは難しい話になりますと、ともすれば分からなくなりますけれども、いつも原点に帰って、
「愛を与えるということはどういうことなのか。
自分は愛を与えて生きているのか。
自分の愛はほんとうに誰かに渡っているのかどうか。
奪う愛で生きていないかどうか。
与える愛に生きているかどうか。」
点検すれば簡単に分かることです。
誰でも分かります。
毎日反省すればいいんです。
一日を振り返り、かつての一週間、一ヵ月、一年、その他の人生を振り返ってみれば、(自分が)与える側の人間か奪う側の人間か分かります。
そんなに難しいことではありません。
与えたことは数少なく、奪ったことは数多い、
さらに奪いたいと思っているのが、人間のほとんどの姿です。
その「奪いたい」という心が、実は「煩悩」という言葉で表されることですね。
「欲望」という言葉でも表されることですね。
(この世に)生きている者である以上、欲望そのものはなくなりはしません。
ただその欲望(の方向)を他の人々が生きる方向に合わせていくことが大事です。
【感想・気づき】

誰もが、「愛される」ことは嬉しいものです。
ただ、「愛がほしい」と思っている人ばかりでは、愛は少しも増えないですし、世界が干からびてしまいます。
「愛」という言葉は、簡単なように見えて難しいですね。
「愛」が大事ですよ、と言うと、大抵の方が「そうですね」とおっしゃるでしょう。
ただし、その「愛」が一体どういった種類の愛であるのか。
これを突き詰めて考えられる方というのは、なかなかいらっしゃいません。
「愛」の概念について徹底的に追求したのが大川隆法先生であります。
そして、「『愛』の概念は、『愛する愛』『生かす愛』『許す愛』へと段階を経て深まっていく」という「愛の発展段階説」は、人類史上に残る素晴らしい真理だと思います。
私たちは、「愛」の初歩である「愛する愛」、つまり隣人愛の境地に立つことすら、実は難しいのかもしれません。
「愛とは人からもらうもの」、と考えている方が大半なのではないかな、という気がしています。
特に恋愛においてはそれが顕著です。
「相手の幸福が増えますように」と願うよりは、「自分が好きな人に愛されたい」「好きな人に振り向いてほしい」「好きだと言ってほしい」という方がまだまだ主流なようです。
人間心として、どうしても好きな人に「愛されたい」という思いが出てしまうことは、仕方がないと思います。
誰だって、好きな人から優しくされたら嬉しいしいし、できれば大切に扱ってほしいものですよね。
ところが、残念なことに「愛されたい」「満たされたい」という思いが強すぎると、その「愛」は相手を縛り、苦しめる執着の愛へと変化してしまいます。
相手を苦しめてしまうのであれば、それは本当の「愛」ではないですよね。
さらに、相手が思うように自分に愛情を向けてくれない時。
相手をつい裁いてしまったり、「憎い」と思ったり、何か問題を起こして相手の気を引こうとしたりしていませんか?
これも残念ながら、相手に「見返りを求める愛」、「奪う愛」になってしまいます。
元はと言えば、相手を純粋に好きなだけ。
しかし、相手からもっと「愛されたい」という欲を出した途端、あなたの愛には不純な気持ちが混じってしまいます。
その変化は一瞬です。
恋愛においてはほんの少しの差で、転落するか、お互いを応援し合える関係になれるかが分かれていきます。
それほど恋愛は、人生前半の総力戦だとも言えます。
願わくは、相手を愛するならば、相手が幸せだと思うことをしてあげること。
決して見返りを求めず、与えきりの愛を目指すこと。
万が一、相手が間違った方向に進みそうになっているならば、自分が嫌われるのなんて気にせずに、相手のためを思って諫言すること。
そこまでいってはじめて、「与える愛」「生かす愛」の実践のできる恋愛になるのではないかと思います。
そして、もし相手が自分を裏切ったり、許せないような事態を引き起こしたとき。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉があります。
過去の間違いについては指摘すべきでしょうが、相手が心から反省するならば、その間違いを赦し、より良い方向へと前進していくのを応援できるか。
ここにも、一人ひとりの修行課題があるのかもしれません。
悪をのさばらせない「智慧」と、「許す愛」の絶妙なブレンドができる人は、「徳ある人」となっていけるのでしょうね。
奥深い愛のテーマですが、すべての人に当てはまると思いますので、時折振り返ってみるのもよいかもしれません。
まずは日々の生活の中で、基本のこちらの問いかけを。
今の自分は、誰かに「与えたい」と思っているのか?
それとも、誰かから「ほしい」と思っているのか?
その答えは自ずからお分かりになると思います。
願わくは、誰かに「与えたい」と思える人を目指していきたいものです。
事あるごとに心の向きを確認し、愛を与える方向で生き、世界の愛の総量を増やしていきたいですね。
〈まとめ〉

それでは今回のポイントをまとめておきたいと思います☆
愛を与えるということは、相手の幸福を願うということ
「欲しい」と思っている人ばかりでは、愛は少しも増えない。
人から多く愛された人は、その愛を他の人に与えていくことができる。
人に愛されなかった方も、「愛されなくとも また われは人を愛す」
という気持ちで、他の人を愛していけば、やがて人に愛されるようになっていく。人びとを幸福にすることが、一人ひとりが最大に輝き、幸福になること
いつも原点に帰って、「自分は与える愛に生きているかどうか。」を振り返ってみること。
与えたことは数少なく、奪ったことは数多いのに、さらに奪いたいと思うのが、人間。
「奪いたい」という心が、実は「煩悩「欲望」という言葉で表されること。
この世に生きている以上、欲望そのものはなくならないので、せめて欲望の方向性を他の人々が生きる方向に合わせていくことが大事。(協調性)
毎日少しずつでも振り替えり、愛を与える側へと成長していきたいです!
ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました‼
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