「引きこもり」の捉え方を変えてみよう。
「何かを成し遂げた人はみな孤独の時間を持っている」
自閉症っていうのは、いくらいろんなレポートとかを見てもですね、私はズバリそういう障害とか病気があるようには見えないんですよ。
(中略)
引きこもりだってそうですよ。
世の中で学者や思想家や作家になったような人で引きこもった経験がないような人なんて一人もいませんよ。
何かを成し遂げた人はみんな孤独の時間を持っています。
だから、孤独の時間のなかを生きなかった人で何かを成し遂げた人なんていません。発明家だってそうです。研究家はみんなそうです。
だからみんな何か変わったところはあるかもしれないけれども、可能性のある人たちなんですよ。
(大川隆法著『ストロング・マインド』より)
【感想・気づき】

不登校、引きこもり、自閉症。
世の中にはありとあらゆる言葉で、社会に望まれる通りの形で活動できない方の「枠組み」が存在します。
そうした「枠組み」に縛られて、「自分はダメな存在なんだ」と無意識のうちに自己卑下的になっているお子さんや、その親御さんが沢山いらっしゃるかもしれません。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
「引きこもり」という言葉が存在しなかった時代もあります。
「自閉症」とか、「発達凸凹」という言葉が存在しなかった時代だって当然あるわけです。
科学の発達により、さまざまな人の特性が細かくパターン化されていくのは、対処法を見つけるのには有難い部分があるかもしれない。
でも、「自分は自閉症なのだ」「自分は発達凸凹なのだ」「自分は引きこもりなのだ」と自分に言い聞かせることで、必要以上に「自分は人と同じようにできない枠組みの人間なのだ」と自己限定してしまうのはいかがなものでしょう。
診断名があったとしても、それはより良い未来を創っていく上での、アドバイスを聴くためだけに存在すればいいと思います。
「自閉症」も「発達凸凹」も「引きこもり」も、病気でもなんでもありません。
ただ、「個性が飛びぬけて豊かである」というだけなのですから。
たとえば、お坊さんだって、「元祖引きこもり」です。
「引きこもり」であることが良しとされ、数千年の間、尊敬されてきた職業でもあります。
人と接する時間よりも、一人静かに思慧を深める時間を取ることは、偉人の条件でもあります。
孤独な時間を取ることが、かえって人としての成長に繋がることもある。
学校での集団生活よりも、家で一人で読書をして学びを深めたいタイプだって存在するでしょう。
そうした方々のなかに、また大いなる可能性を秘めた方が存在するものです。
成功者には、必ず孤独の時間がある。
であるならば、人と一緒に同じような時間を過ごせない時期だって、最終的には大きな実りに繋がる時間へと転化していけると信じてみてはいかがでしょう。
焦らず、大らかな気持ちでドーンと構えられるような自分でありたいものですね。
一つの切り口として、考える材料になれば幸いです。
拙い気づきを最後までご覧下さり、誠にありがとうございました。
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