大川隆法著「真実を貫く」ポイント解説⑦
この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!
私の記事では、大川隆法先生の累計3500回の法話、3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。
本日は新刊、大川隆法先生の最新刊「真実を貫く」のポイント解説に挑戦する回になります。
少しずつ進めていく予定ですが、皆様どうか温かくお見守りください。
「真実を貫く」

「真実を貫く」は、2024年2月16日に発刊された大川隆法先生の最新刊です。
「この一冊が、世界の羅針盤となる――」。
迫りくる世界情勢。核戦争など、地球レベルの危機を乗り越えるための、人類の進むべき未来を指し示す一書。
2050年までの未来をどう構想すべきかも語られます。
第7回目の今回は、第3章「地球の危機を乗り越えるためにー『地獄の法』講義ー」より、第2節「天国・地獄は、今も厳然として存在する」のポイントをご紹介させていただきます。
・食べても食べても満たされない餓鬼地獄

昔から餓鬼地獄というものがあります。
今の日本では、食べ物がなくて飢え死にする人というのは、よほどのことで、数が少ないと思います。
しかし、昔は飢饉が着たり、いろいろなことで食べられない人は多かったので、「餓鬼」というものが地獄にいるわけです。
お腹が出て、あとは痩せている――ちょうど、本当に世界の貧困地域でまだ見受けられる風景です。
その餓鬼たちは、お経に書かれているように、物を食べようとしても、口に入れようとしたら食べ物がバッと燃えてしまって、口に入らないのです。
これは一つの象徴ではあります。
まあ、口を通ったところで、食べられないのです。
だから、食べても満たされないのです。
「食べても食べても満たされない」、こういう気持ちで生きています。
飢え死にして死んだような方の場合は、そういう状態になります。
今でこそ、日本では飢え死にするということは少ないですが、世界では未だに飢えでなくなる人々も存在します。
そうした方々が苦しい気持ち、無念の気持ち、恨みの気持ちを強く持ちすぎて亡くなってしまった場合、餓鬼地獄に行くこともあるようです。
また、必ずしも食べ物の飢えでなくても、欲しいものが求めても得られない飢餓状態もあります。
欲しい欲しいという思いを持ちつづけ、周りに求め続けて死んでいった場合、こちらの餓鬼地獄にお世話になる可能性もなきにしもあらずです。
肉体的な関係に夢中になりすぎた人の色情地獄

いちばんの問題は、やはり、「肉体的な男女の関係のほうに夢中になる、熱中する、そして『それがいちばん値打ちがあることだ』というふうに考えてばかりいると、霊的な視点がどんどん後退していく」ということです。
古くから、血の池地獄、という異性関係に溺れ過ぎた人の行く色情地獄が言い伝えられていますが、こうした地獄も厳然として存在するようです。
異性が惹かれ合うことが問題なのではなく、肉体的な関係のみに溺れ、あの世の存在を忘れ去っていくことが大きな問題とされています。
最近では異性間だけでなく、LGBTQでの問題も生じているようです。
大切なのは、相手の肉体的な魅力のみに執着するのではなく、相手の中にある精神性を愛せるかではないでしょうか。
すると、死んであの世に還った場合、色情霊といわれますけれども、異性を強く求める心を生きているうちに持っていると、やはり死んだって”ある”わけです。
感情としては残っているのです。
しかし、あの世で異性を求めても、肉体がないから、何も満たされません。
先ほど言った餓鬼霊が食べ物を食べられないのと同じように、異性との歓楽を味わおうとしても、味わうことができないのです。
そうするとどうするかといと、一部の人たちは地獄界を抜け出して、いわゆるこの世の歓楽街で流行っている所や、あるいは、この世で生きている若い人で、異性に狂っているような人のところに取り憑くわけです。
「波長同通の法則」で取り憑いています。
こうして色情霊に取り憑かれると、異性に対してますます関心が増してくるわけです。
霊は、生きている人間に憑依しているときだけ、人間として生きていたときのような感触が、何となく、というか、ちょっとだけ味わえるのです。
死んでからも異性を求め続けて苦しむ人もいらっしゃるそうです。
なんだかとても悲しいですよね💦
肉体がなくなってからは、生きている人に憑依して肉体的快楽を味わおうとすることもあるとか。
生きている側としても、憑依されて自分の体を不成仏の快楽のために使われるなんて、とても腹が立つ話です。
色情霊など、地獄霊に憑依されないためには?

けれども、「波長同通の法則」がありますから、生きている人間のほうが、そういう気持ちが出てきたらすぐ反省したりして平静に戻るような心のコントロールができていると、心の波長が通じなくなりますので、彼らに取り憑かれたりすることはなくなります。
だから、「自分が本当に異性を求めて追いかけているのか、何かに取り憑かれてそれをやっているのかどうか」ということを、二十代、三十代ぐらいで、よくお考えください。
自分が自分でなくなっていて、ほかの者の”道具”として使われているのなら、ちょっとそれは人間として恥ずかしいことです。
主体性がなくなっています。
「自分の考えですか?どうですか?」というところです。
「このへんをチェックしてください」と申し上げています。
生きている人間が地獄霊に憑依されて、勝手に身体を使われないようにするためには、心の波長を彼らに合わせないことです。
たとえば、何も理由がなく色情霊に取り憑かれるということはありません。
取り憑かれる側にも必ず、異性を求める気持ちがあります。
満たされない欲望に苦しみつつ、刹那的な肉体関係を求めて生きていると、そこに色情霊が寄ってきて憑依します。
憑依された人間の方もますます欲望が強くなり、時には犯罪レベルの問題を起こすこともあります。
このように、憑依には地獄霊と本人、双方に問題があります。
地獄霊と波長の合わない生き方をすることが、身を守ることに繋がります。
地獄についていちばん詳しい仏教、甘いキリスト教・イスラム教

「天国・地獄というのは厳然としてあり、ごまかすことはできない」と説かれています。
ただし、天国・地獄の描写については、それぞれの宗教によって多少の表現の違いがあり、地獄について一番詳細に把握しているのは仏教、とのことです。
キリスト教は地獄の教えがやや未完成?
この世に出てきて憑依してくる悪霊(あくれい)・悪霊(あくりょう)・悪魔(あくま)等をエクソシストが祓ったりするのは、キリスト教もあることはあるのでよく知られてはいるのですけれども、それはあくまでも、この世に来て人間を狂わせているものです。
この世の人間を殺したり自殺させたりする悪霊を取り払うというようなことはやっているけれども、「実際に地獄がどうなっているか」のところをつかんでいるかというと、つかんでいないのです。
キリスト教では十分ではありません。
それは、イエスの「教えを説いた時間」が短くて三年程度しかなかったために、十分には説けていないのです。
また、地獄について説いているものが「地獄へ堕ちて、永遠の業火に焼かれる」という感じの表現の仕方をしているから、キリスト教の人には、「地獄というものは、堕ちたらもう上がってこられないものだ」と思っている人が多いのです。
キリスト教では、イエス・キリストの活動期間がわずか3年間と短かったため、地獄についての教えが十分に説ききれなかったのではないか、と言われています。
また、イエス・キリストの死後に、キリスト教以前の宗教の方々が行く世界として「煉獄」という概念が生まれました。
煉獄にいる異教徒たちも、キリストの教えにすがることによって、天国に入れる、とされているそうです。
ただ、「煉獄」は、キリスト教以前の宗教の立ち位置を決める際に、イエスの弟子が考えだした価値観で、イエスご自身が言及されたわけではないのではないか、とのことです。
・イスラム教は霊界描写が甘い?
イスラム教のほうも、やはり霊界描写は少し甘いので、ムハンマドの霊体験が浅かったのかなと思います。
地獄のことも明確には書かれていないし、悪霊としての「ジン」というのがいることが出てくるぐらいです。
そして、イスラム教を信じて、精進して正しく生きたら、あの世は天国に還るわけですが、「天国には小川が流れていて、お酒の川が流れている」というのです。
さらに、「そのお酒の川の周りには、美女ばかりの処女が侍っている」というのです。
お酒の川が流れ、美女の侍る天国というのは、やや描写としては甘すぎないか、というのが大川隆法先生の見解のようです。
イスラム教では、頑張れば天国でご褒美があるぞ!と伝えたかったのかもしれません。
ただ、お酒の飲みすぎや行き過ぎた異性問題を地獄行きの罪とする仏教から見ると、やや甘い教えに見えるのかもしれません。
・地獄について一番詳しいのは仏教
地獄について一番詳しいのは、やはり仏教です。
仏教では、地獄に堕ちたとしても、十分そこで反省させられて、悔い改めた場合は、天上界に上がれることになっているので、仏教における地獄というのは、キリスト教で言う煉獄みたいなものではあるのです。
仏教では基本的に、信仰によって救われることにはなっています。
「信仰」と「反省」です。
信仰を持ち、自分の過去を省みることによって救われることになっているのです。
仏教がいちばん克明に地獄の描写をしているし、原因と結果の「因果の理法」を明確に説いております。
「こういう場合に、こうなる」ということと「どういうふうにすれば天上界に上がってこれるのか」ということを明確に説いているのは、仏教だけなのです。
世界宗教の中でも、仏教が一番詳細に地獄について描いている、とのこと。
「たとえ地獄に堕ちたとしても、反省して悔い改めることによって、天国に上がれる」という教えも説かれており、罪深い人間にとっても救いとなっています。
また、「原因・結果の法則」も説かれており、「善い行いをすれば天国へ還れ、悪い行いをすれば地獄に堕ちる」という因果関係もハッキリしています。
この辺りも、他の宗教から一歩抜き出た論理性の高さが出ているのかもしれません。
仏教では、「信仰」を持ち、過去の自分を「反省」することで、救われることになっています。
仏教と馴染みの深い日本人には、わりかし受け入れやすい概念なのではないかと思います。
今回はこのあたりまで。
最後までご覧くださり、心より感謝いたします。
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