自己理解に励みすぎて、知らず知らず自分を傷つけていた
最近、自分自身を再度見つめ直す機会がすごく多くなりました。
きっかけは、趣味の読書です。
もともと心理学系の本が大好きで、最近もどっぷり沼に浸かって読みふけってました。
手元に未読の本がなくなったので、本屋さんにいきそこでASDやADHDに関する本(マニュアルブックのようなもの)を久しぶりに買いました。
このたぐいの本は診断された直後以降あまり買ってこなかったです。マニュアルブックのようなもの意外の発達障害関連書籍は沢山読んでました。
とにかく、いい機会かもしれないと思って、その本たちを読み進めているうちにあることに気が付きました。
それは自分自身や前の主治医(10年以上かかっていた医師)の見解として、ADHDの症状の方が優位で、併発してるASDの症状は軽い、という見解が、どうやら違いそうだ、という気づきでした。
私の考え方や普段の過ごし方は紛れもなくASDの傾向が強く、最新のマニュアルブックを読み込んでみてもやはりどう見てもASD寄りでした。
そのことに気がついて、診断から10年以上経っても尚新しい発見があることに驚いたり、自分を振り返る事が増えたりしました。
そして、急に虚しくなってしまったのです。
まるで自分自身が症状の複合体でしかないという感覚とでもいいましょうか。
私という個人としての生命体ではなく、障害に操られて生きてきたような、そんな絶望感を感じました。過去を振り返って、恥ずかしい過去や失敗を思い出す頻度も必然的に増え、どんどん精神的に落ち込むような日々が続きました。
自分の感覚過敏や体力のなさが本当に情けなく感じられました。
この年にもなって仕事ができず、社会に足を踏み入れることが本当にどうしょうもなく怖くて、トラウマで、仕方がないこと。
一般雇用も障害者雇用も経験したうえで、そのほとんどがトラウマになってしまっているということ。再度就職にむかって歩き出そうとしても、恐怖で固まってしまうこと。
外に出ることが精一杯で、人が怖いこと。
外の雑音や人混みがどうしょうもなくつらいこと。
そこからくる絶望的な体力のなさ。
消耗が激しく日常生活ですら疲弊すること。
私は無価値だと感じました。
働けず、お金を生み出せず、なんて、なんて、みっともないんだろうと。いま、衣食住があることに感謝をすると同時に、自分自身が価値ある人間とは到底思えず、情けなくて、涙すらでないこと。
自分自身を深く恥じていること。
こういうことは、今まで深くはnoteに書かないようにしてました。
率直に言えば怖かったし、それにネガティブすぎる記事を書くことにも抵抗がありました。
だけどいま、こうして書いてます。
どうしようもなく自分自身が無価値だと感じていて、それはどうしょうもない事実で、かといってこの脳みそを取り替えられることはない。紛れもない事実と己の情けなさをふんだんに浴びながら生きています。
暗い記事になってしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
まりな
いいなと思ったら応援しよう!
クリエイターになる夢、叶えたいです!
良ければご支援どうぞよろしくお願いいたします!!