見出し画像

【妻たちの叫び】妻の涙を見て、私はようやく気づいた|幹部自衛官だった私が家庭を壊しかけた話

最終更新:2026/05/12


旦那が“演習”と言って何週間も帰ってこないけど、本当に演習なのでしょうか?
毎日深夜帰りで、家庭のことを全然分かってくれない…

幹部自衛官の奥様や彼女から、こんな声を私は何度も聞いてきました。
実は、これは私自身も経験してきた現実です。

幹部自衛官の仕事は国を守る誇り高い任務である一方、その多忙さや特殊性ゆえに、家庭とのバランスを崩しやすいという大きな課題を抱えています。

仕事に没頭する夫、理解できず不安や孤独を募らせる妻——。

このすれ違いが続けば、夫婦関係は簡単に崩壊の危機に陥ってしまいます。

この記事では、私自身の赤裸々な経験をもとに、夫婦関係の危機をどう乗り越えてきたかをお伝えします。同じ悩みを抱える方にとって、きっと明日からのヒントになるはずです。

こんにちは。
元・陸上自衛隊幹部/第1空挺団出身の Mr.K です。

陸自で13年間勤務し、第1空挺団、米陸軍留学、指揮幕僚課程修了、在日米陸軍司令部での勤務などを経て国連南スーダン派遣も経験しました。退職後は民間企業を経て独立し、現在は「初級・中級幹部のキャリアと家庭の両立」を支援する活動をしています。

多忙を極める幹部自衛官としての現実と、その裏で家庭に起きていた問題——。自分自身が苦しみ、悩み、失敗してきたからこそ、同じように悩む方に伝えられることがあります。

では実際に、幹部自衛官を夫に持つ奥様方、そして彼女さんたちからどんな悩みが寄せられているのか。

まずは、私がこれまでに受けた相談内容を紹介しながら、自分自身の経験も交えてお話ししていきたいと思います。



はじめに:「本当に仕事なの?」その一言に、私はいつも苛立っていた


「本当に仕事なの?」

妻にそう言われるたびに、私は腹を立てていました。

国を守るために働いている。
部下を預かっている。
訓練も、演習も、当直も、遊びでやっているわけではない。

それなのに、なぜ責められなければならないのか。

当時の私は、本気でそう思っていました。

電話口で妻の声が少し尖った瞬間、私はもう戦闘態勢に入ってしまう。
「またか」と思う。
「分かってくれないのか」と思う。
そして、短く、冷たく切り上げる。

そのあと車のハンドルを握りながら、なんとなく後味が悪いのだけど、「仕方ない、仕事なんだから」で自分をなだめる。

当時はそれで終わっていました。

でも、今なら分かります。

妻が疑っていたのは、私の仕事そのものではありませんでした。
妻が苦しかったのは、私の人生の中から、自分だけが少しずつ締め出されているように感じていたことだったのだと思います。

この記事は、自衛官の妻を責める記事ではありません。
自衛官の夫を責める記事でもありません。

元陸上自衛隊幹部として、仕事に全力を注ぎながら、家庭のことを後回しにして、夫婦関係を壊しかけた私自身の話です。

きれいごとで終わらせるつもりはありません。
でも、暗く終わらせるつもりもありません。

同じようにすれ違っているご夫婦に、今日の夜、少しだけ話してみようかな、と思っていただけたら嬉しいです。


1. 幹部自衛官の家庭で、妻が感じる「見えない不安」


あの頃の私は、妻の寂しさを「不満」だと思っていました。

結婚した当初、妻は私の仕事を応援してくれていました。

制服姿を褒めてくれて、演習前には「気をつけてね」と言ってくれて、「国のために働く人を支えるなんてカッコいいじゃない」と、周りの友人に言っていたこともあったそうです。

それが、少しずつ変わっていきました。

帰りは遅い日が続きます。
休日に呼び出されることがある。
演習で何日も家を空ける。
当直でまるまる一晩いない。
電話が来て「これから出る」と言い残し、夜中に家を出る。

私の口から出るのは、ほとんど同じような言葉でした。

「演習だから」
「訓練で」
「当直だから」
「ちょっと調整があって」

自衛官にとっては、これで全部通じます。

でも、自衛官と結婚しただけの妻にとっては、どれも具体的には何も見えない言葉です。

演習と言われても、どこで何をしているのか分からない。
訓練と聞いても、どれくらいきついのか分からない。
当直と言われても、本当に職場にいるのかさえ、よく分からない。

子どもが熱を出しても、駆けつけられない。
幼稚園の行事に、行けない。
引っ越しの手続きも、ほとんど妻一人。
近所付き合いも、ほとんど妻一人。

ワンオペ育児という言葉がぴったり当てはまる日々を、妻は黙って背負っていました。

最初は、寂しさだったと思います。
今日も遅いのか、今日も帰ってこないのか、という、ぽつりとした寂しさ。

それが、少しずつ不安に変わっていきます。

このままで本当に大丈夫なのだろうか。
自分はこの生活に耐えられるのだろうか。

不安は、やがて疑念になります。

本当に仕事なのか。
本当に必要な残業なのか。
私のことを、どこかで面倒に思っていないか。

そして、疑念は怒りとして出てきます。

「本当に仕事なの?」

この一言は、浮気を疑う言葉のように聞こえて、実はまったく違うのだと、今の私は思います。

妻は、夫を疑っていたのではなく、自分の居場所を確かめようとしていたのだと思います。

私はそこに気づけず、ただ「疑われた」と怒っていました。

妻の不安の層を、一枚ずつ丁寧にほどいてあげる余裕が、私には全然なかったのです。

妻の怒りは、ある日突然生まれるものではありません。
説明されないまま積み重なった小さな不安が、やがて、怒りという形で出てくるだけです。

妻の怒りの奥には、たいてい孤独があったのだと思います。


2. 夫には夫の正義がある──「国を守っているのに、なぜ責められるのか」


ここからは、夫側の話を少しさせてください。

言い訳に聞こえるかもしれません。
それでも、正直に書きたいと思います。

当時の私は、本当に、遊んでいたわけではありません。

担当する任務には責任がありました。
預かっている部下がいました。
上司からの要求もあり、横からの調整もあり、下からの相談もあり、夜は文書を書き、翌朝は早朝から演習準備。
付き合いの飲みもゼロではない。
断れない研修もある。

帰宅する頃には、体力も気力も、だいたい空っぽでした。

玄関で靴を脱ぐとき、心の中で願っているのはたった一つでした。

「今日は、何も言わないでくれ」

それだけでした。

そこに、妻から「今日も遅かったね」「また当直?」「本当に仕事なの?」と言われると、私の中では「自分の努力を否定された」という受け取り方になりました。

こっちは命懸けでやっている。
少なくとも、それに近い緊張感でやっている。
部下の安全のために、夜中まで書類を詰めていることもある。
それを、玄関に入った瞬間に責められるのか。

そんな思考が、一瞬で立ち上がってしまうのです。

だから、私は防御的になりました。

ある時は怒って反論し、 ある時はムッと黙って返事をせず、 ある時は「はいはい、ごめん」と雑に流し、 ある時はもう妻と目を合わせずに寝室に向かいました。

そして、だんだん説明しなくなっていきました

「どうせ言っても分からないし」
「言うと責められるだけだし」
「こっちだって疲れてるんだし」

そう自分に言い聞かせて、家に帰ってから、口数が減っていきました

でも、今になって分かります。

私が口数を減らせば減らすほど、妻は「自分は夫の人生の外側にいる」という感覚を強めていきました。
私が説明を省けば省くほど、妻の中の不安は育っていきました。

夫には夫の正義がありました。

それは本当です。

ただ、その正義を、家庭に翻訳することなく盾にしてしまうと、妻には「家庭を軽く見られている」と見えてしまうのです。

私はその翻訳を、長いあいだ、怠っていました。

「国を守っているのに」は、家の中では通用しない言葉だったのだと思います。


3. 夫婦を壊しかけた本当の原因は、「多忙」ではなかった


ここが、この記事で一番書きたかった章です。

多忙が夫婦関係を壊す、とよく言われます。

私も、長いあいだ、そう思っていました。

「忙しくなければ、もっと話せたのに」
「落ち着いたら、ちゃんと向き合うから」
「今は時期が悪いだけで、本質的な問題じゃない」

そう自分に言い聞かせて、目の前の妻の表情から、そっと目をそらしていました。

でも、今振り返ると、私たち夫婦を壊しかけた本当の原因は、多忙ではありませんでした。

演習は、確かに減らせません。
当直も、私の都合で動かせません。
急な呼び出しも、任務である以上、断れません。

けれど、その中でもできたことは、本当はたくさんあったのです。

  • 「今週は、かなり余裕がない」と、一言伝えることはできました。

  • 「来週あたりで一回落ち着くと思う」と、先の見通しを共有することはできました。

  • 「今日は何を一番大変だと感じたか」を、短く話すことはできました。

  • 「家のことを全部任せて、本当に悪いと思ってる」と、口に出すことはできました。

  • 「いつもありがとう」を、言葉にすることはできました。

どれも、5分あればできたことです。
でも、私はしませんでした。

なぜしなかったのか。

正直に書きます。

「分かってくれるだろう」と、甘えていたからです。

自衛官の妻なんだから、こういう生活だって分かっているはずだ。
結婚する時に、覚悟はあったはずだ。
いちいち説明しなくても、私が頑張っていることくらい、近くで見ていれば分かるだろう。

そんなふうに、どこかで思っていました。

これが、夫婦の間では、たぶん一番まずい態度です。

「分かってくれるだろう」というのは、相手に対する甘えを、信頼という言葉に言い換えただけの態度だと、今の私は思います。

信頼とは、「言わなくても分かり合える」という幻想ではなくて、 「ちゃんと言葉にし続けても、揺らがない関係」のことだと、ようやく最近になって、理解できるようになりました。

そして、もう一つ、白状しなければならないことがあります。

私は、仕事で家にいなかっただけではありません。

家にいる時でさえ、妻の心のそばにいませんでした。

身体は同じリビングのソファに座っていました。

でも、頭の中は、明日の演習の計画や、部下の処遇や、上司への報告案のことばかりでした。

妻が話しかけてくれたとき、「うん」「そう」「分かった」と、相槌だけ打って、目はテレビかスマホか書類に向いていました。

一緒にいる時間は、あったはずなのです。 ただ、私は、そこに「いなかった」のです。

今でも、これを書きながら、胸の奥が少し痛みます。

妻を孤独にしていたのは、私の多忙ではありませんでした。

私の、目の前の人を素通りする癖でした。


4. 妻が本当に欲しかったのは、「正しい説明」ではなく「一緒に背負っている感覚」だった


あとになって、妻と落ち着いて話したとき、分かったことがあります。

妻は、演習の細かい内容を知りたかったわけではありませんでした。

  • どこで、どんな訓練をしていたのか。

  • 誰と、どんな話をしていたのか。

  • どんな戦術を、どんな装備で使うのか。

そんなことは、聞きたかったわけではなかったのです。

ましてや、守秘義務に触れるようなことは、妻だって求めていません。

妻が欲しかったのは、もっと、ずっと、シンプルなものでした。

夫が今、何に苦しんでいて、何を背負っていて、どんな日々を過ごしているのか。

それを、ざっくりでいいから、共有してほしかった。

数字でも、計画でもなく、気配として、知っておきたかった。

そして、自分がその人生の隣にいる、という感覚を、失わずにいたかった。

それだけだったのだと思います。

考えてみれば、当たり前の話です。

一番近くにいる人が、何をしているのかまったく見えないのに、それでも支え続けるというのは、とてもしんどいことです。

妻が苦しかったのは、夫の仕事が忙しいことそのものではなく、夫の世界から、自分だけがぽつんと外に置かれているように感じることでした。

だから、妻にとって一番効いたのは、情報ではなくて、言葉でした。

「大変だけど、今、こういう時期でさ」
「あと二週間は、ちょっときついかも」
「今日は、部下のことでちょっと参ってる」
「家のこと、全部任せちゃって、本当に悪いと思ってる」
「支えてくれて、助かってるよ」

こういう、ほんの一言です。

内容の正確さより、気持ちの向きの共有です。

「同じ船に乗っているよ」という感覚を、ときどき手渡してあげればよかっただけでした。

私はそれを、10年近く、怠っていたのです。

夫婦に必要なのは、完璧な説明ではありません。
相手を、自分の世界から締め出さないこと。

たぶん、それだけなのだと思います。


5. 「妻を教育する」という言葉に、私は違和感を持てなかった


少し苦い話をします。

若い頃、先輩の上級陸曹に、こんなふうに言われたことがあります。

「奥さんができたら、ちゃんと教育しておいたほうがいいですよ」

  • 自衛官の生活は特殊だ。

  • 急な呼び出しも、長期の演習もある。

  • 単身赴任もある。

  • だから、奥さんにそれを理解させておかないと、家庭から足を引っ張られる。

  • 幹部として長くやるには、奥さんの「教育」が必要だ。

だいたい、そういう趣旨だったと思います。

正直に書きます。
当時の私は、この言葉に違和感を持てませんでした

「なるほど、確かに」とさえ、少し思ったくらいです。

自衛官の生活は特殊だから、妻にもその特殊さを理解してもらう必要がある。
そのためには、夫がきちんと教え、慣れさせる必要がある。

そう思い込んでいました。

今、この言葉を書き起こしながら、背中がちょっと冷たくなります。

「妻を教育する」──。

この言葉の中には、上下がある

夫が上で、妻が下にいる。

夫が「正しい自衛官家庭の姿」を知っていて、妻はそれに「合わせていく」側だ、という前提がある。

でも、本当にそうでしょうか。

自衛官家庭のあり方に、最初から「正しい形」なんてあったでしょうか

なかった、と思います。

自衛官家庭は、それぞれの夫婦が、それぞれの事情に合わせて、少しずつ、手探りで作っていくものです。

そこには、唯一の正解なんてない。
夫のスタイルに妻を合わせるのが正解、なんてこともあり得ない。

本当にすべきだったのは、「教育」ではなくて、すり合わせでした。

  • 「こういう生活になりそうだけど、どう感じる?」

  • 「この部分は、私にはどうしても動かせない。その代わり、こっちは一緒に考えたい」

  • 「あなたの方で、我慢してほしくないことがあったら、正直に言ってほしい」

そういう話し合いを、地道に、何度も重ねるべきでした。

妻を、自衛官の生活に「慣れさせる」のではなく、 夫婦で、自衛官家庭という生活を「一緒に作る」

この違いは、一文字分しか違わないように見えて、実は、天と地ほど違います。

私は、この違いに、長いあいだ気づけませんでした。

妻を教育しようとしていた夫は、実は、一番自分の成長が必要だった夫だったのだと思います。


6. 家庭を壊しかけて、私がようやく始めた3つのこと


ここからは、少し実際的な話をします。

ただし、チェックリストのように読まないでほしいのです。

全部、私自身がやらなかったことで後悔していることで、今からでも間に合う人には、ぜひやってほしいことばかりです。

その1 仕事のことを「隠さず、難しくせず、短く」話す

私は、家では仕事の話をほとんどしませんでした。

理由は、いくつもそれらしいものがありました。

  • 守秘義務がある。

  • 話しても妻には分からない。

  • 家では仕事を忘れたい。

  • 疲れているから話したくない。

全部、本当の理由ではありませんでした。

本当の理由は、話すのが面倒だった、ただそれだけです。

でも、妻が欲しかったのは、作戦内容でも専門用語でもありませんでした。

必要だったのは、
「なぜ今、忙しいのか」
「いつ頃、少し落ち着きそうか」
「自分が何に一番追われているのか」
を、家庭で分かる言葉に翻訳することでした。

「来月、大きめの演習があって、それまでは残業が続きそう。ごめん」
「今は、部下の異動時期で、ちょっと神経を使ってる」
「金曜で一区切りつくから、土曜はゆっくりしたい」

たったこれだけでいいのです。

5分でいい。
もっと言えば、1分でもいい。

短くても、話すことに意味があるのだと、今ならはっきり分かります。

その2 妻の負担が「見えている」と、伝える

私は、妻の家事や育児を「助けてもらっている」と思っていました。

自分の仕事が本業で、家のことは妻の領域。
自分は外で戦い、妻は家庭を守る。
そんな、古い役割分担の感覚が、どこかに残っていました。

でも、これはずっと違っていたのだと思います。

妻の毎日も、立派な仕事でした。
子どもを育て、家を回し、引っ越しのたびに人間関係を一から作り直し、夫の都合に合わせて自分の予定を組み替え──これは、「手伝ってもらっている」なんて失礼なレベルの労力でした。

妻は、助けが欲しかったというより、「見てほしい」と思っていたのだと思います。

自分のしていることが、ちゃんと見えているか。
当たり前のこととして、素通りされていないか。

だから、一言でよかったのです。

  • 「いつも、ありがとう」

  • 「今日も、大変だったよね」

  • 「全部任せっきりで、悪いと思ってる」

この一言があるかないかで、孤独感は、まるで違ったはずです。

私は、これを言うのが、本当に下手でした。

照れくさかったのです。
改まって言うと、なんだか自分らしくない気がして、ためらっていました。

でも、照れくささで止められた一言の数だけ、妻を一人にしていたのだと、今は思います。

その3 疲れている時こそ、先に一言だけ伝える

夫婦喧嘩の多くは、疲れている夜に起こります。

本当に疲れている時、人は言葉を選べません。
語気が強くなるか、逆に、完全に黙り込んでしまうかのどちらかです。

私は、だいたい後者でした。

黙って帰ってきて、 黙ってシャワーを浴びて、 黙ってビールを一本飲んで、 テレビの前で、そのままソファで寝てしまう。

妻から見れば、何があったのか、さっぱり分かりません。
機嫌が悪いのか、疲れているだけなのか、自分に対して怒っているのか。

沈黙は、発信していないつもりでも、相手には「拒絶」として伝わるのです。

今の自分なら、こう言うと思います。

「今日はかなり疲れてて、少しだけ静かにさせてほしい。でも、後でちゃんと話そう」

これだけでいいのです。

疲れている自分を、長々と説明する必要はありません。

ただ、「今は話せないけど、後で話すつもりはある」という意思だけ、先に渡しておく

これがあるかないかで、同じ「無言」がまったく違う意味を持ちます。


夫婦関係を変えるのは、大きなイベントではありませんでした。

旅行でもなく、 記念日でもなく、 プレゼントでもなく、

毎日の、5分。 たった、一言。
ほんの、少しの共有。

これを怠ってきたツケが、ある日、一気に回ってくる。
それが夫婦だったのだと思います。


7. 感謝を言葉にするのに、私は10年かかった


感謝していたつもりでした。

でも、言っていませんでした。

これが、一番、恥ずかしい章です。

私はずっと、妻に感謝していました。
子どものことも、家のことも、私の不在も、ほとんど一人で抱えてくれていました。
不平を口にしない日も多かった。
心の中では、「本当にありがたいな」と、何度も思っていたのです。

でも、言いませんでした。

理由は、単純でした。

照れくさかったのです。

改まって「ありがとう」と言うのが、どうにも気恥ずかしくて、言おうとして、毎回、口の中で飲み込んでいました。

代わりに、行動で示しているつもりでした。

家族で外食に連れて行くとか、 妻が欲しがっていたものを黙って買ってくるとか、 そういう、遠回りな方法で済ませようとしていました。

でも、違ったのです。

物は、言葉の代わりにはなりません。

妻が欲しかったのは、モノではなく、「自分が見えている、という言葉」でした。 その言葉を、私は、長いあいだ、惜しんでいました。

結婚して10年近く経った、ある夜のことです。

子どもたちが寝たあと、リビングで二人きりになりました。
特別な日でも、何かの記念日でもありませんでした。
ただ、なんとなく、話す機会があっただけでした。

私は、ずっと言えなかった言葉を、ぼそっと口に出しました。

「いつも、本当にありがとう」
「これまで、全部任せきりで、本当に悪かったと思ってる」

うまく言えませんでした。
照れくさくて、最後のほうは声も小さくなりました。
正直、途中で「これ、今さら言うのも、かえって失礼かもしれないな」という迷いもよぎりました。

でも、言い切りました。

妻は、しばらく黙っていました。

そして、静かに、涙を流しました。

泣き崩れるような涙ではありませんでした。
何かが、ずっと止まっていたものが、ようやく少し動いた、という感じの涙でした。

私は、その涙を見て、全部を理解しました。

妻は、10年間、この一言を待っていたのだ、と。

10年です。

私が照れくさいと言って飲み込んできた一言のために、妻は10年、一人で耐えてきたのです。

申し訳なさ、情けなさ、後悔。 いろんな感情が入り混じって、私は何も言えなくなりました。

あの夜のことを思い出すと、今でも、少し喉の奥がつまります。

感謝は、思っているだけでは、ないのと同じです。

言葉にしていない感謝は、伝わっていない感謝です。

一番近くにいる人ほど、言葉にしなければ届かないのだと思います。


8. 夫婦関係は、任務の邪魔ではない。任務を支える土台である


家庭の問題は、職場に持ち込まない。
そう思っていました。

でも、無理でした。

現役の頃、私は本気でこう信じていました。

「幹部は、家のことを職場に持ち込んではいけない」

部下の前では、どっしりしていなければならない。
家でどんなことがあっても、駐屯地の門をくぐった瞬間、切り替えなければならない。

確かに、態度としてはその通りだと、今でも思います。
職場で家庭の愚痴をこぼすような幹部に、部下はついていきません。

ただ、「切り替えている」と「切り離せている」は、全然、別の話でした。

表情は、切り替えられます。
姿勢も、声も、言葉遣いも、切り替えられます。

でも、頭の中までは、切り替えられません

家で妻との関係がギクシャクしていると、職場でデスクについた瞬間、ふっと、昨夜の妻の顔がよぎります。
昨日の帰り際の、沈黙の空気がよみがえります。

その瞬間、集中が、ほんの少し、落ちます。

ほんの少しなのです。
でも、幹部の仕事は、「ほんの少し」が命取りになる世界でもあります。

部下の処遇を決める場面で、判断がわずかに鈍る。
文書のレビューで、細部の詰めが、一段、浅くなる。
演習の準備で、最後のもうひと確認が、省かれる。

そういう小さな綻びが、やがて、仕事の質を確実に下げていきます。

そして、それ以上に怖かったのは、自分の機嫌でした。

家で心が落ち着かない日は、職場でも、ほんの少しだけ、部下に優しくなれません。
普段なら笑って流せる報告に、「で?」と冷たく返してしまう。
普段なら付き合える雑談を、露骨に遮ってしまう。

部下は、敏感です。
「今日、幹部、機嫌悪いな」と、すぐに察します。
そして、相談を一つ、また一つ、持って来にくくなっていきます。

家庭が不安定になると、部隊の空気まで、じわじわと変わるのです。

このことに気づいた時、私は、家庭を大切にすることは、任務から逃げることではない、と心の底から思いました。

むしろ、逆です。

家庭を整えることは、長く、いい仕事を続けるための、一番基本的な準備でした。

家は、任務の足かせではありません。

家は、長く戦い続けるための、一番深いところにある土台です。

家を後回しにして、強い幹部でい続けることは、できません。


9. どうか、家庭の危機を「よくあること」で済ませないでほしい


この章は、少し重い話をします。

でも、書かずには済ませられないと思って、書きます。

私は、自衛隊にいた13年のあいだ、何人もの先輩、同期、後輩の離婚を見てきました。

優秀な幹部でした。
部下から慕われていました。
仕事の評価も高く、将来を期待されていた方も何人もいました。

でも、家庭のことになると、どこか不器用で、「仕事だから仕方ない」で長年突っ走ってしまい、気がついたら修復できないところまで来ていた──そういう話を、繰り返し、見てきました。

離婚の場面で、誰かを一方的に責めることはできません。
夫にも、妻にも、それぞれの事情があり、それぞれの限界がありました。

ただ、一つだけ、私に言えることがあります。

「家庭がうまくいっていないな」と感じた時点で、もう、軽く見てはいけない、ということです。

「まあ、どこの家もこんなもんだ」
「そのうち時間が解決する」
「子どもが大きくなれば、落ち着くだろう」

そうやって、判断を先送りしているうちに、気づいた時にはもう遅い、ということが、本当にあります。

そして、もっとつらい話もあります。

家庭の苦しさを、職場では一切見せずに、一人で抱え込んでしまった同期がいました。

部下の前では、いつも通りでした。
廊下ですれ違うと、変わらず声をかけてくれました。
冗談も言っていました。
仕事ぶりも、最後まで、真面目でした。

ある日、彼は自ら命を絶ちました

家庭の問題だけが理由だったのかは、正直、今でも分かりません。
いろんなことが、重なっていたのだと思います。

ただ、「大丈夫です」「問題ありません」と言い続けた先に、彼は一人で行ってしまいました。

この話を、煽りとして使うつもりはありません。

ただ、夫婦のすれ違いは、放っておくと、人生そのものを壊すことがあるということだけは、どうしても書いておきたかったのです。

だから、どうか、お願いしたいのです。

家庭に違和感がある時、 話しかけても返事がそっけない時、 一緒にいても、どこか距離を感じる時、

「よくあること」で、済ませないでください。

大きな話し合いをする必要は、ありません。
説得も、反論も、いりません。

ただ、まだ話せるうちに、まだ間に合ううちに、今日の夜、一言だけでいい、と思うのです。

「最近、ちゃんと話せてなかったね」
「ちょっと、コーヒー一杯だけ、一緒に飲まない?」

その一言は、きっと、思っているより、ずっと効きます。


最後に:「分かってくれるだろう」をやめた時、夫婦は変わり始める


長い記事を、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

少しだけ、希望のある話で終わりたいと思います。

夫婦関係は、一度すれ違っても、修復できる可能性があります。

私自身が、そうでした。

あの頃、妻と私の間には、たしかに、分厚い壁がありました。
何度か、本当に終わりかもしれない、と思った時期もありました。

それでも、ゆっくりと、少しずつ、関係は戻ってきました。

ただし、自然には戻りませんでした

「時間が解決してくれる」は、夫婦に関しては、あまり当てにならない言葉だと思います。

必要だったのは、地味なことの積み重ねでした。

言葉にする。
共有する。
感謝する。
相手の孤独に、気づく。

どれも、劇的ではありません。

どれも、SNSで映える話ではありません。

でも、この地味な積み重ねだけが、家庭を救います。

自衛官の仕事は、確かに特殊です。
拘束時間も長く、家を空けることも多く、説明しにくいことも多い仕事です。

でも、どれだけ特殊な仕事でも、家庭を置き去りにしてよい理由にはなりません

そして、妻も、夫も、どちらか一方だけが我慢する関係は、長くは続きません。

大切なのは、どちらが正しいかではなく、 同じ方向を向いて、一緒に生活を作っていけるかどうかです。

もし、この記事を読みながら、自分の夫婦のことを少し思い出した方がいらしたら。

今日の夜、一言だけでいいので、声をかけてみてください。

「最近、ちゃんと話せてなかったね」
「いつもありがとう」
「任せっきりでごめん」

たった一言で、ずっと止まっていた何かが、少しだけ動き出すかもしれません。

10年待たせるより、今日のほうが、ずっといいです。

私は、幹部自衛官として、多くの任務を経験してきました。

海外派遣も、演習も、運用の現場も、指揮幕僚課程も、それぞれに重みのある経験でした。

それでも、今、静かに振り返ると、こう思います。

私が一番向き合うべきだった任務は、たぶん、家の中にあったのかもしれません。


Mr.K


いいなと思ったら応援しよう!

🇯🇵元3等陸佐Mr.K | 初級/中級幹部のキャリアサポーター 貴重な時間を割いて私の記事をお読みいただき、心から感謝しております。 私の記事が少しでも皆様のお役に立てたら嬉しく思います。 もし、今後の創作活動をサポートしていただけると、さらに質の高いコンテンツを提供する糧となります。皆様のご支援が、私の次の一歩となります。