『大貧民』は、人生をかなり忠実に再現したゲームだと思っている」
「大貧民」というトランプゲームをご存知だろうか。
私はあれを、かなり忠実に人生を再現したゲームだと思っている。
一度大富豪になれば、大貧民から強いカードを2枚もらえる。
つまり、勝っている人は、次の勝ちが約束される。
一度上の席に行けば、心に余裕が生まれる。
余裕があるから冷静な判断ができる。
冷静だから、さらに良い選択ができる。
結果、また勝つ。
人生もだいたいこの繰り返しだ。
もっとも、その優位性は固定されているわけではない。
一度首位から滑り落ちれば、次の配札では、最下位からやり直しになることもある。
一方、大貧民はどうか。
ただでさえ弱い手札なのに、そこからさらに2枚を献上させられる。
「次こそ頑張れ」などという励ましは、ルール上、存在しない。
最初から、負ける前提で席に座らされている。
この構造は、ゲームの中だけの話ではない。
私たちの現実にも、ほぼ同じ形で存在している。
例えば株式投資。
利益が出ている人は「最悪、失っても大丈夫」という余裕の中で挑戦できる。
この余裕が、新たな利益を生む。
反対に、損をしている人はどうなるか。
「取り返さなきゃ」という焦りの中で判断し、
結果、さらに損をする。
これは性格の問題ではなく、構造の問題だ。
スポーツのレギュラー争いも同じ。
レギュラーは、多少ミスしても「信頼」という名のカードを持っている。
非レギュラーは、数分、数回のプレーで人生を賭けさせられる。
一度の成功では足りない。
成功し続けて、ようやくスタートラインに立てる。
世の中は、最初から平等ではない。
「おててを繋いでゴールする世界」など、最初から用意されていない。
だからこそ思う。
大事なのは「努力すれば報われる」と信じることではなく、
どうやったらルールの外に出られるかを考えることだ。
革命を起こすか、席を変えるか、
それとも、カードを配る側に回るか。
「大貧民」は、
理不尽さを嘆くゲームではない。
理不尽な世界で、どう生き残るかを突きつけてくるゲームだ。
子供の頃に必要なのは、「努力すれば必ず報われる」という物語ではなく、
「報われない世界で、どう手を打つか」を考える訓練なのかもしれない。
大貧民は、その縮図だ。
もちろん私はまだ、ルールの外側に立ててはいない。
それでも、配られたカードを疑うことだけは、やめていない。
あなたは、このゲームでどの席に座っていますか?
