【ネタバレあり】トランスジェンダーという概念が生まれる前に性自認に悩んだ人々の苦悩に胸がえぐられる『ブルーボーイ事件』
【個人的な満足度】
2025年日本公開映画で面白かった順位:29/119
ストーリー:★★★★★★★★★★
キャラクター:★★★★★
映像:★★★☆☆
音楽:★★★☆☆
映画館で観たい:★★★★★
【作品情報】
原題:-
製作年:2025年
製作国:日本
配給:日活、KDDI
上映時間:106分
ジャンル:アクション
元ネタなど:事件「ブルーボーイ事件」(1969)
公式サイト:https://blueboy-movie.jp/
【あらすじ】
※映画.comより引用。
1965年、オリンピック景気に沸く東京。警察は街の国際化に伴う売春の取り締まりを強化していたが、性別適合手術を受けた「ブルーボーイ」と呼ばれる者たちの存在に頭を悩ませていた。戸籍は男性のまま女性として売春をする彼女たちは、現行の売春防止法では摘発対象にならないのだ。そこで警察は、生殖を不能にする手術が「優生保護法」に違反するとして、ブルーボーイたちに手術を施した医師・赤城(山中崇)を逮捕し裁判にかける。
一方、東京の喫茶店で働くサチ(中川未悠)は、恋人にプロポーズされ幸せの絶頂にいた。ある日、赤城の弁護を担当する弁護士・狩野(錦戸亮)がサチのもとを訪れる。実はサチには、赤城による性別適合手術を受けた過去があった。
サチは狩野から、赤城の裁判に証人として出廷してほしいと依頼される。
【感想】
※以下、ネタバレあり。
日本でまだトランスジェンダーという概念が生まれる前。オカマやオネエとしてしか認識されなかった時代。そんなときに性自認に悩みながらも、自分たちの幸せのために戦った人たちが日本にもいたんですよね。こういう話こそ、日本史で学ぶべきなんじゃないかと思います。多様化が叫ばれる時代だからこそ、そうでなかった過去の歴史を知るべきなんじゃないかと。
<どんな物事も始まりは小さなところから>
まず、タイトルのブルーボーイについてなんですが、これは主に1960年代の日本で使われた俗称みたいですね。出生時に男性と割り当てられた人が、性別適合手術(当時は性転換手術)を受けて女性的な装いや振る舞いをする人を指すようです。が、そもそも当時は性別不合という概念がなく、そんな人たちはオカマやオネエとしか認識されなかったそうです。今でこそ、トランスジェンダーという考えが浸透してきて、LGBTQという言葉も一般に使われるようになってきました。でも、どんな事柄にも始まりというのはあり、その始まりというのはごく小さな"違い"から生まれるんですよね。そして、その小さな違いはしばしば異端・異常として捉えられ、多くの人は寄り添うどころか嘲笑や嫌悪の対象としてしか見ません。それがこの映画ではブルーボーイだったわけです。
<これは未来へ向けての戦い>
物語は、日本が国際化に向けて売春の取り締まりを強化する中で動き始めます。当時の売春防止法では戸籍上は男であるブルーボーイを摘発できないため、警察は性別適合手術を行った赤城医師(山中崇)を優生保護法違反の容疑で逮捕します。争点は、その手術がれっきとした医療行為であるか否か。弁護士の狩野(錦戸亮)は、かつて赤城の手術を受けたブルーボーイたちに証人として法廷に立ってもらおうと奔走。その中の一人がサチ(中川未悠)です。
紆余曲折を経て、サチは証言台に立つ決意をします。誰からも理解されない中で、答えのない道を歩む彼女に一生懸命寄り添ってくれた赤城医師に対する感謝を述べながらも、彼女は葛藤を抱えていました。それは、性別適合手術を行って女性の体を手に入れても、それをまわりが認めなければ意味がないということです。男性の見た目をした人間が女性の体を手に入れただけで、みんなが思うような女性として認識してくれないんですよ。そして、サチが求めていたのは女性の体ではなく、女性として認識してもらうことだったんじゃないかとさえ感じます。ただ、それに気づけただけでもよかったのかもしれませんね。そういったことも踏まえて、彼女は今の自分が幸せだと言います。まわりが思う幸せとは違うけれども。これは未来に向けての戦いでした。性別不合に悩む人がいるという現実を知ってもらい、その上で同じ苦しみがこれ以上生まれないよう、彼女は戦ったのです。
<治療から幸福へと変わる狩野の主張>
また、サチだけではなく、弁護士の狩野の変化も本作では見どころです。トランスジェンダーという概念がない中で、狩野自身もまたブルーボーイたちに対する理解が追いついていませんでした。赤城のしたことが医療行為であることを示すために、最初に証言台に立ったアー子(イズミ・セクシー)に対して、性別不合は精神障害でその治療のための手術だと主張します。しかし、アー子からすればたまったものではありません。精神障害でも何でもなく、彼女は彼女なのですから。結局、アー子はその日の出来事の憂さ晴らしでヤケ酒をしている最中にサラリーマンに絡まれ、喧嘩へと発展した挙句に亡くなってしまいます。自分が間違っていたことに気づいた狩野は自らの否を認め、サチたちの感情に寄り添うようになります。ここで素直に方向転換できる狩野の人柄には惹かれますね。そして、「性別適合手術は、憲法13条の「幸福を追求する権利」として認められるべきだ」という主張を掲げるようになったのです。
<日本で性別適合手術が遅れた理由>
しかしながら、結果として赤城医師は有罪となってしまいます。性別適合手術自体は違法ではなかったんですけど、もともと麻薬取締法違反の罪あり、それと併せての有罪判決だったんですね。それが、世間には「性別適合手術は罪である」ような見え方になってしまい、その後日本における性別適合手術はタブー視されるようになります。再び日本で性別適合手術が行われたのは1998年と約30年の間が空くことになってしまいました。この事件の影響が色濃く残っている証拠ですね。
<そんなわけで>
トランスジェンダーという概念がない中で、自分たちの幸せのために必死で戦った人々の姿がとても印象深い映画でした。「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という概念が強かった当時において、セクシャルマイノリティの人たちはどんなに生きづらかったことでしょう。現在は昔よりはマイノリティの人たちに対する理解も広まってきたとは思いますけど、だからこそ、こういう歴史があることは知っておきたいですね。
