「生きる」ことの意味を模索しながら ― 過去に撮影した作品を振り返る
私は、自分自身が「生きる」ということに対する執着心が希薄なのではと感じることが度々あります。特に50歳を過ぎたあたりから、「55歳で人生の幕を降ろしたい」と思うようになりました。もちろん、それは自ら命を絶ちたいという願望とは全く異なりますし、人生に対して強い絶望を抱いているわけでもありません。ただ、漠然とした感覚として、この世界で生き続けることに明確な意味を見いだせずにいるのです。
最近、過去に自分が撮影した写真をゆっくりと振り返る時間がありました。その中には、かつて通っていた写真教室での経験が大きく影響している作品も多く含まれています。その教室では、作品づくりの際にテーマとなる「楽曲」を自ら選び、その歌詞やメロディー、楽曲全体が持つ世界観から着想を得て撮影するというアプローチをとっていました。この手法は、自分の内面と向き合いながら作品を生み出す上で、とても有効だったと感じています。
改めて当時の作品を見返してみると、私が選んできた楽曲の多くは、「生きる」ことの苦悩や葛藤、そしてそれを乗り越えていこうとする人間の力強さや希望を歌ったものが多いことに気が付きました。いわば、それらは「人間賛歌」とも言えるテーマを内包した楽曲であり、その世界観に共鳴しながら作品を生み出していたのです。
では、なぜ自分はそうした楽曲ばかりを選んでいたのか。その理由については、正直なところ自分でも明確にはわかっていません。もしかすると、「生きること」に意味を感じられない自分だからこそ、その意味を知りたい、理解したいという無意識の願望が、そうした選曲につながっていたのかもしれません。あるいは、自分では「生きる希望がない」と思い込んでいるだけで、実際にはもっと深く「生きている」という実感を得たいと強く望んでいるのかもしれません。
その真意は、自分自身でもはっきりと掴めていないままですが、写真という表現を通じて少しずつ輪郭を描こうとしているのかもしれません。
以下、5作品を振り返ります。
この街

最初は、元ちとせさんの「この街」をベースに撮った写真。2021年6月撮影。
この歌は、日々の忙しさに追われながらも、自分の居場所や大切な何かを探し続ける心の旅を描いています。人ごみの中で孤独を感じたり、何かを失ったような気持ちに襲われたりしながらも、それでも希望を失わずに、自分が誇れるものに出会えることを信じて前に進もうとする姿が表現されています。「この街の空にも星は輝く」というフレーズには、たとえ見えなくても確かに希望は存在しているというメッセージが込められており、静かな励ましを感じさせる歌です。
この被写体さんは実際に、大きな夢を胸に抱いて地元・九州から東京へと上京してきましたが、撮影当時は理想に描いていた華やかな世界とは裏腹に、現実とのギャップに戸惑い、もがき苦しむ日々を送っているように見受けられました。彼女の目に映る東京の風景は、希望に満ちた出発当初とは少し違ったように感じられていたかもしれません。
この写真では、「生きる」という現実に直面した彼女が感じた内面にある葛藤や孤独を表現することを試みました。また、同時に彼女の心情とリンクするような「この街」という楽曲の歌詞世界にも大きな影響を受けています。夢と現実のはざまで揺れ動く心、そして変わらぬ空の存在が対比的に描かれたことで、この一枚が生まれました。
僕が死のうと思ったのは

次は、中島美嘉さんの「僕が死のうと思ったのは」。2022年5月撮影。
一見すると、過激な内容を想起させるタイトルですが、この曲は、生きることの苦しさや孤独、心の葛藤を繊細に描いています。日常のささいな出来事や風景が心に響き、「死のう」と思うたびに、それでも生きようとする理由や希望が見つかっていきます。人との繋がりに不器用で、過去の自分に後悔しながらも、誰かの優しさや笑顔、存在に救われ、生きる意味を見出していく姿が描かれています。最終的には「あなたのような人がいる世界」に希望を抱き、少しずつ前を向こうとする心の変化が綴られています。
この楽曲では、心のアンテナの感度が非常に高く、周囲の些細な言動や環境の変化に過敏に反応してしまう主人公の内面を描いています。そうした繊細さゆえに、日常生活の中で息苦しさを感じるだけでなく、時には「死にたい」とさえ思い詰めてしまうこともあります。しかし、実際に死を選ぶわけではありません。むしろ、主人公は心の奥底では強く「生きたい」と願っており、その思いがあるからこそ、現実の中でもがき、苦しみ続けているのです。そのような苦しみの中で、ふと差し込んだ光のような存在——それが「あなた」です。
この写真では、世間の目には留まりにくいものの、確かに美しく、力強く咲く道端の小さな花を、この「あなた」という支えてくれる大きな存在として表現してみました。
粧し込んだ日に限って

3枚目は、アイナ・ジ・エンドさんの「粧し込んだ日にかぎって」。2023年1月撮影。「めかしこんだ」と読みます。
この歌は、思いがけないすれ違いや心の痛みを抱えながら、それでも誰かを強く想い続ける切なさを描いています。せっかくお洒落をした日に限って会えなかったり、望むようにいかない人生の不条理を感じながらも、記憶や感情は鮮明に心に残っています。言葉や感情に縛られ、もがくような苦しみの中で、それでも「愛してる」と繰り返し叫ぶ姿には、どうしようもない想いと深い愛情がにじんでいます。苦しみと優しさが交錯する、心に強く残る一曲です。
この楽曲は、アイナ・ジ・エンドさん自身によって作詞されています。彼女はインタビューの中で、自殺を試みた親友に対して、当時十分な精神的支えを与えられなかったことへの自責の念があったと語っています。その苦しい経験を経て、快方に向かっている友人に少しでも「生きていることの意味」や「生きることの素晴らしさ」を伝えたいという強い想いから、この曲が生まれたそうです。曲全体には、生と死のはざまで揺れる心の葛藤や、言葉にできない感情が込められており、単なる個人的な経験を超えて、聴く人それぞれの心に響く普遍的なメッセージとして昇華されています。感情の深さと表現の繊細さが融合した、非常にパーソナルでありながらも多くの人に寄り添う楽曲です。
この写真において、被写体の女性を照らしている光は、ごく限られた範囲にとどまっており、彼女の身体の大部分は濃い影の中に沈んでいます。つまり、明るさよりも闇の印象が強く残る構図となっています。私たちが生きている現実の世界もまた、常に希望や未来への明るい光に満ちているわけではありません。むしろ、恨みや嫉妬、自己中心的な思考が入り混じり、得体の知れないものが蠢くような、複雑な側面を抱えているのが実情です。
この作品では、そうした混沌とした世界の中にあっても、彼女が私の真正面で、適度な距離感を保ちながら静かにこちらを見つめている姿を通して、心のよりどころとなるような存在を描き出そうとしました。その距離は、近すぎて干渉することもなく、遠すぎて疎遠になることもない、まさに絶妙なバランスの上に成り立っています。濁りのない瞳でこちらを見守るその眼差しには、どこか安心感や安定した関係性を感じさせる力があります。混沌のなかでふと呼吸を整えるような、静かで確かなぬくもりをこの一枚に込めたいと考えながら撮影をしました。
Everybody Hurts

4枚目は、R.E.M.の「Everybody Hurts」。2023年2月撮影。
この曲は、人生において誰もが経験する孤独や悲しみ、苦しみに寄り添うメッセージソングです。日々が長く感じたり、夜に一人で涙を流したり、「もう限界だ」と感じる瞬間があっても、あきらめないでほしいという思いが込められています。どんな人にも辛い時はあり、涙を流すこともある。そんな時は、誰かに頼ってもいいし、自分を責めず、投げ出さないことが大切です。「あなたは一人じゃない」と繰り返し伝えることで、聴く人に希望と励ましを与えています。
仕事や学校、家庭、恋愛など、私たちは人生の過程でさまざまな困難に直面し、心身ともに傷つくことがあります。時には絶望を感じることもありますが、苦しみは決して自分だけのものではなく、誰もが経験しながら成長していくものです。この写真は、そんな時にそっと寄り添う応援歌である「Everybody Hurts」に着想を得て撮影しました。都会の現実に悩む若者を被写体に、渋谷の雑踏を「ブレ」で表現し、孤独の中でも前進する姿を浮き立たせています。
翼の折れた弱き戦士たちよ

最後は、うぴ子さんの「翼の折れた弱き戦士たちよ」。2025年1月撮影。
この曲は、挫折や傷を抱えた人々に寄り添いながらも、再び立ち上がる力を内に秘めた存在として描いています。現実の冷たさや孤独に打ちのめされながらも、自らの痛みを認め、それでもなお歩もうとする姿を象徴的に表現しています。「戦士」という言葉には、闘う強さだけでなく、傷つきながらも前を向く人間の尊さが込められています。メロディと共に、再生や共感、そして静かな決意が伝わってくる楽曲です。希望を直接的に語るのではなく、喪失や迷いを通して希望を見出す構成が印象的です。
この写真は、他の4作品と異なり、歌詞から直接イメージを得て写真を撮ったのではなく、歌詞から新たにオリジナルの物語を紡ぎ出し、その世界観を3枚の組み写真として表現することに挑戦しました。
生きることは、時に苦しみや困難と同義です。人は弱く、壊れやすく、儚い存在です。絶望の中で生きる意味を見失いそうになる瞬間もあるでしょう。しかし、不安や孤独に押しつぶされそうな時こそ、自分の本当の姿を受け入れることで、内に秘めた輝きは誰にも奪われません。その信念こそが、自分の価値を支える鍵となります。向かい風にも抗い、人の波にも流されず、小さな一歩でも未来へと繋げていく――その歩みを止めない限り、自分の道は必ず切り拓ける―― そんな想いを抱きながら撮った作品です。
最後に
「生きる」ことに明確な意味を見いだせずにいる私が、それでも写真を撮り続けてきた理由を、今回改めて考える機会を得ました。無意識のうちに「生きる」ことを歌った楽曲に惹かれ、その世界観に共鳴しながら作品を生み出してきた自分。その背景には、きっと「意味を知りたい」「実感を得たい」という内なる願いがあったのかもしれません。写真は、答えを見つけるための手段であり、私なりの対話のかたちです。これからも、自分自身と向き合いながら、表現を続けていきたいと思います。
