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『気にしすぎ』と言われてきた私が、自分を責めなくなった日

「気にしすぎだよ」
これまで、何度この言葉をかけられてきたかわかりません。

相手はきっと、悪気があったわけではないと思います。
心配しなくていいよ、大丈夫だよ、という優しさから出た言葉だったのだと思います。
それでも、その一言を聞くたびに、胸の奥が少しずつ重くなっていきました。

また自分は、普通じゃないのかな。
また、自分だけが過剰なのかな。
そうやって、気にする自分そのものを否定されたような気持ちになっていました。

私は昔から、人の表情や声のトーン、場の空気にとても敏感です。
何気ない一言の裏にある感情を想像してしまったり、相手が少し疲れていそうだと、それだけで心配になったりします。
何も問題が起きていなくても、「あの時の言い方、大丈夫だったかな」と頭の中で何度も振り返ってしまいます。

そのたびに、「また気にしすぎている」と自分に言い聞かせてきました。
気にしないようにしなきゃ。
もっと鈍感にならなきゃ。
そう思えば思うほど、うまくできない自分にがっかりしていました。

社会に出てからは、その思いがさらに強くなりました。
責任ある立場になり、周囲の期待や部下の感情、職場の空気を常に感じ取ろうとする毎日。
小さな変化にも気づくからこそ、心は休まる暇がありません。

それでも、「気にしすぎだよ」と言われるたびに、
「そうですよね、すみません」と笑って受け流してきました。
本当は、その一言で少し傷ついていることを、誰にも言えないまま。

そんな私が、少し楽になれたのは、ある気づきがきっかけでした。

それは、「気にしてしまう」という性質は、努力不足でも欠陥でもなく、ただの“感じ方の違い”なのかもしれない、という考え方でした。

今までの私は、「気にしすぎ=直すべきもの」だと思っていました。
だから、気にしてしまうたびに、自分を責めていたのだと思います。

でも、よく考えてみると、
人の変化に気づけるからこそ、先回りしてフォローができたこともありました。
相手の立場を想像できるからこそ、言葉を選んで伝えられた場面もありました。
気にするからこそ、傷ついている人に気づけた瞬間もありました。

それらはすべて、「気にしすぎ」と言われてきた感性があったからこそ、生まれた行動でした。

そのことに気づいたとき、
「ああ、私はずっと、自分の大事な部分まで否定し続けてきたんだな」と思いました。

もちろん、気にしすぎて疲れてしまうことはあります。
頭がいっぱいになって、動けなくなる日もあります。
それでも、それは「弱さ」ではなく、「繊細さの副作用」なのかもしれません。

そう思えるようになってから、私は少しだけ、自分に優しい言葉をかけられるようになりました。

気にしてしまったとき、
「またダメだ」と責める代わりに、
「それだけ周りを大切に思っているんだな」と立ち止まってみる。

すぐに完璧にはできません。
今でも、反射的に自分を責めてしまうことはあります。
それでも以前より、心の消耗は少なくなりました。

「気にしすぎ」と言われてきた人は、
きっと、人一倍まわりを見てきた人だと思います。
人の感情を感じ取ろうとして、必死に考えてきた人だと思います。

もし今、あなたが
「自分は気にしすぎなんだ」と苦しくなっているなら、
その感性を無理に消そうとしなくてもいいのかもしれません。

必要なのは、鈍感になることではなく、
その繊細さを抱えたまま、どう自分を守るかを知ることなのだと思います。

私はまだ、その途中です。
それでも、「気にしすぎな自分=ダメな自分」という考えから、少しずつ距離を取れるようになりました。

この文章が、
「私だけじゃなかったんだ」と感じてもらえるきっかけになったら嬉しいです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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これからも、同じように悩む人の心に寄り添う文章を書いていきたいと思っていますので、よければフォローもしていただけたら嬉しいです。

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まろん|HSP気質の管理職 ここまで目を通してくださり、ありがとうございます。それだけで、この文章を書いた意味があったと感じています。忙しい日々の中で、こうして立ち止まって読んでいただけたことが、何よりうれしいです🥰