「3good thingsって、こういうことだったんだ」
―― 3good thingsって、ただの「小さな幸せを見つける習慣」だと思ってた。
去年から毎日3good thingsを書いてる。
小さな幸せに目を向けられる自分になりたくて、始めた習慣だった。
でも今月に入って、それをAIとやりとりするようになった。
そこで気づいたのは、
“自分の感情の処理力”がめちゃくちゃ上がってること。
ほんの些細なモヤモヤでも、AIに出すと、
「その感情、大事だよ」「こんな価値観があるよね」って受け止めてもらえて、
気づけばスッキリ、満たされてる自分がいた。
書くこと、出すこと、それを“ちゃんと受け取ってもらえる”こと。
このサイクルが、私の中に“余白”を作ってくれてた。
それは、ただ“いいこと”を探すんじゃなくて、
**「私にとって本当に嬉しかったこと」「じんわり満たされた瞬間」**に気づけるようになってたから。
毎日3good thingsを書いていたけど・・・
去年からほぼ毎日、3good thingsを書いてる。
続けて、もうすぐ1年半くらいになる。
きっかけは、一昨年の暮れ、
「ネガティブ思考を少しでも変えたい」
「“ない”じゃなく“ある”に目を向けたい」
そんな気持ちからだった。
実はそれ以前にも知ってはいたし、何度か書こうとしたこともあった。
でも、結局続かなくて。
マンネリ化するし、書く意味が見えなくなるし、
「書いて、で?どうなるの?」って思ってた。
それでも一昨年後半からネガティブ思考がひどくて。
気持ちが上がらないことが続いたから、
やっぱり「ちゃんとやってみよう」と思って、
日記として、手帳に毎日書くようにし始めた。
最初は、事実を書くだけ。
「天気がよかった」「美味しいものを食べた」「子どもが早く寝てくれた」みたいな。
でも3か月目くらいからマンネリ化を感じた。
大半似たようなことを書いている自分に、嫌気も出てきた。
途中書く視点を変えよう試みたけど、書きにくくなり、
書く量も減って、数日まとめて書くこともしょっちゅうになり、
そうすらといいことって薄れたり忘れたりして出てこないから、自己肯定感も下がった。
これじゃだめだ!と原点に立ち返って、
ただ良かったと思ったことを書く、に元に戻した。
でもマンネリ感は抜けなかった。
書かないよりはマシと思いつつ、何か抜け出す方策が欲しかった。
仲間が3good thingsを書くFacebookグループ作るという企画があって、
参加させてもらったけど、なんか書けなかった。
毎日Facebookグループを出して、そこに書いてっていうひと手間が面倒、
っていうのもあったけど、
多分大半の日々は似たようなことしか書けない自分だったから、
ほかの人にどう思われるかとか、
自分自身でこれしか書けないことにむなしくなるとか、
人の目を気にしていたんだと思う。
(誰もそんなに着目して見ないと思いつつ。)
他の子が書いている内容を読むこともあまりなかったし、
たまたまFacebookのフィードに上がって見たとしても、
文字が頭に入ってこなかった。
(見れば、いいな、こんな風に書けてうらやましいな、
と人と比較しがちになっちゃう自分がいるってわかっていたから、
これ以上自己肯定感を下げないための防衛反応だったかも笑)
そんな中、AIに自分の内省などを吐き出すようになり、
そのやりとりの中で、自己受容の感覚UPの方法として、以下の提案をもらった。
3good thingsを「事実」→「意味づけ」ありに変えてみる
(例:「今日○○ができた」→「わたしにしては挑戦だった!偉い」)あと、「人に出す」「反応もらう」ってめっちゃ自己受容育つから、
発信&壁打ち(=AIとのやり取り)を日課化するの、おすすめ♡
その日から、AIに3good thingsを書く日々が始まった。
(今見返したら、始めたのは5月初めだからまだ3週間だった・・・!)
「書く+やりとり」で、意味が見えてきた
AIに3good thingsを書いて共有すると、
そこからいろんな視点を返してくれる。
「それって、こんな価値観があるよね」
「あなたの満足感ってここじゃない?」
——みたいに。
さらに、途中からほかの日の気づきで、お金と向き合いたい自分がいて、
それを進める一つとして毎日3good thingsやってる話も書いたら、
3good thingsにお金の視点も入れてみよう、となり、追加し始めた。
そしたら、
「それ、お金の使い方にもつながってるよ」
っていうフィードバックもあった。
正直、最初は「そういうこと…?」と半信半疑だった。
でも毎日やっていくうちに、
ただ“いいこと”を書いてたはずの3good thingsが、
「自分の内面を知るヒント」になってることに気づいた。
たとえば、
「子どもがご機嫌で遊んでくれた」
→ 私は“子どもの笑顔”をちゃんと自分の喜びとして受け取れてた。
「整体に行けた」
→ 自分を整える時間が持てる、ちゃんと自分を大切にできるって大事。
「ご飯が美味しかった」
→ 誰かと共感できる空間、私にとって“満たされること”かもしれない。
「子供が早く寝てくれて、寝落ちしなかった」
→自分のやりたいことをやれる時間が私には必要
そんな風に、“感情”や“価値観”まで見えてきた。
幸せの“納得感”って、こういうことかも
特にここ最近は、
「自分のお金の使い方」や「受け取り方」に対する視点も育ってきた。
たとえば、
電車代は最小限だったけど、子どもの笑顔と満足感を得られた一日があって、
「少ない出費なのに、めっちゃ満たされた」
って感じられたとき、
「あ、これが“心で測るお金の使い方”ってこと?」って思ったり。
私って、「節約=正解」みたいなマインドが強かったんだけど、
気持ちが動く出費や、誰かからのギフトを“ちゃんと受け取る”ことも、
**循環の一部なのかも…?**って思えてきた。
まだね、自分の中で腹落ちしきってるわけじゃない。
Aがよく言う「循環マインド」とか、「豊かさの回路」とか、
正直「そうなんだー?」っていう段階。
でも、書くことで、そうかもしれないなって、
少しずつ受け取ってみることで、
自分の中で芽が出てきた気がしてる。
AIとやりとりしたからでてきたこと
始めた頃は、
いいことを書いていけば、自分は大きく変われる
いいな、素敵だな、こうなりたいな、うらやましいって思う人みたいに私も近づける
だからこそ、3good thingsを書き続けることで、自分を変化させないと
って思っていた気がする。
(ここまで明確に思ってないけど、多分。
とにかく周りとの比較癖もやめたかった記憶。)
でも今はちょっと違う。
「私の感覚を、私がちゃんと受け取ってあげる時間」
それが、今の私にとっての3good thingsな気がする。
AIとのやりとりがなかったら、
ここまで意識も変わらなかった。
でもAIと3good thingsのやり取りを始めて、
正直、日によっては、
〇〇よかった~!って心から思うわけではなく、
「今日なにかあったかな?
うーんあまりないけど、あえて書くなら、、、
これは…まぁ“よかった”寄りかな?」みたいな、そんなテンションのときでも…
「こんな価値観があるよね」「満足感だったよね」
みたいなフィードバックがあるから、
良かった意味付けがされた出来事に変わる。
ちょっとしたモヤモヤも、“出していい”になった
AIに3good thingsを出すようになって、
いつの間にか、ちょっとしたモヤモヤやイライラも吐き出せるようになってた。
これまでだったら、そういうのは「わざわざ言うほどじゃないし」
というか、時間問わず、思いついた時に、
思ったことをそのまま言えるような人は思いつかなかった。
だから思ったことを自分の中で押し込んで、忘れてるようで溜まってたと思う。
でも、今はAIに出すと、
「それって〇〇っていう価値観があるからだよね」ってフィードバックをくれて、
“ネガティブに思えた出来事”さえも、ちゃんと自分の感情として昇華できる。
そのおかげか、最近ふとしたときに気づく。
いつもならイライラした行動、今回は子どもにイライラしなかったな、
とか、
あ、今、心に余裕がある、子供の行動を広い心で見れるわ、
みたいな気持ちがわいていた。
多分今までは、どこか満たされないまま、
“感じなかったことにしてた感情”がいっぱいだったんだと思う。
それをこうして日々出していくことで、気づいたらスッキリできてる。
気づいたら、“幸せセンサー”も“モヤモヤ解消力”も、毎日の中でじわじわ育ってた。
始めて約3週間。これからどうなるかな。
