【第1話】「ベッドから起き上がれなかった朝。コロナ後遺症“寝たきり”から私の再スタート」
1. コロナ後遺症で“突然、立てなくなった朝”

2025年1月末。
私はコロナに感染しました。
熱は40度近くまで上がり、水も飲めないほどの喉の痛み、咳、鼻水。
それでも約1ヵ月後には症状が落ち着き、
「これでコロナは終わりかな」
と、ほっとしていました。
2月下旬には家事もできるように。
健康診断オールA、インフルも一度もかかったことがない私。
「私ならすぐに元に戻る」フルマラソンはもちろん、100キロウルトラマラソンや、トライアスロンも完走していた元気な私。
……でも、それは錯覚でした。
3月中旬。
名古屋シティマラソン直前の朝。
ベッドから起き上がろうとした瞬間、
立ち上がるだけで肺の周辺が苦しく、
数歩歩くだけでも息がしんどくなる。
少し歩くだけで胸がピリピリして、
「これはまずいぞ…」 と直感しました。
2. “寝たきり生活”の始まり

そこから私の生活は一変しました。
トイレまで歩けず枕元に尿瓶
電気・テレビ・スマホの光や電波が胸の苦しさを悪化させる
リビングのソファが生活のすべて
県内の呼吸器内科へは車椅子で受診
検査はすべて「異常なし」。
薬もなし。
「日にち薬なので3ヶ月ほど様子を見ましょう」とだけ。
身体は明らかに壊れているのに、
データはすべて正常。
この“矛盾”がいちばんつらかった。
「なんで私だけ……?」
旦那さんはすぐに回復したのに、私は立つことすらできない。
孤独と焦り。
そして、「このまま治らなかったら」という恐怖。
さらに、その頃の私は・・・
スマホを見るだけで息苦しくなる
光と音に過敏でテレビも音楽もつけられない
誰にも連絡できず“世界と遮断”されたような感覚
主人は仕事中も室内カメラで私を見守ってくれて、
「大丈夫?」と声をかけてくれると、私は手をゆっくり挙げて“OK”のサインを返すだけでした。
主人も私も結婚後初めて一緒に辛くて泣いてしまいました。
3. 私を救った“たったひとつの行動”

携帯も触れず、SNSも見られず、ただ暗闇の中で時間が過ぎていくような日々。
そんな中で決めたことがありました。
「もう一人で抱え込むのはやめよう」
そして・・・
主人
隣に住む義母
県外の両親
弟
会う予定だった友人たち
みんなに、ありのままの状態を伝えました。
「頼れることは頼る、そしてひたすら寝てじっと休むのみ」
ただやれることはそれだけでした。
人生でただ寝るだけ、じっとしていることは初めてでした。
正直私は人に頼らないと生きていけない状況でした。
SNS(X)に投稿できたのは、体調が少し落ち着いたもっと後。
でも、この“頼る”という選択が私にとって確実な第一歩でした。
4. 少しずつ希望の光が見え始めた

寝たきりの頃は、未来を考えるたびに落ち込んでいました。
でも、少しずつ「できたこと」を数えるようにしました。
着替えができた
ご飯が食べられた
主人や義母に「頼ること」ができた
パソコンを5分触れた
どれもほんの小さなこと。
でも、それは確かに “私が回復していくサイン” でした。
当時は、コロナ後遺症についての情報も何を信じていいのか分からない状態でした。
調べる気力すらなく、ただ不安な気持ちを抱えたまま、横になって過ごす時間がほとんどだったと思います。
【5. コロナ後遺症で悩まれている方へ】

今振り返ると、あの頃の私は「休むことが大切」なんて思える余裕もありませんでした。
できない自分を責めて、ただ焦るばかりだったのを覚えています。
当たり前にできていたことが突然できなくなる。
その苦しさは、実際に経験して初めて分かるものでした。
私はこれからも、少しずつ回復までの道のりを記録していきます。
「同じ状況で悩む誰かの力になれますように」
そんな思いで、続きを書き続けていきます。
次回予告

次回は、私が後遺症で最も苦しんだ「3月」の記録をお届けします。
スマホも触れず、音も光にもカラダが過敏に反応、立つこともできなかった日々。
検査はすべて“異常なし”で健康そのもの。
それでも息が苦しくて動けない。
その絶望の中で、私は何を感じ、どうやって生活していたのか。
「あの頃の自分」を思い出しながら書きました。
同じように悩んでいる方へ届くように、心を込めて綴っています。
▶ 第2話はこちら
https://editor.note.com/notes/nb9b64ee13913/edit/
