共生の黎明 #133 第25章 第10節:データと実感 連続小説
「数字は、嘘をつけない」
そう語ったのは、ある大学の社会学研究者だった。
この半年、国内の主要な研究機関や大学が共同で、アヤ/ユラの影響を追跡する調査を行っていた。
調査の対象は広範にわたり、幸福度、孤独感、地域連携の実感、支え合いへの参加率など、従来の経済指標では測れなかった「日常の質」にまで及んでいた。
そして、その結果は、彼ら自身の予想を超えるものだった。
アヤ/ユラのアプリ利用率は、すでに国民全体の9割に達していた。
とはいえ、その多くは日常の買い物や給与支払いに代わるものではない。
あくまでも、善意に対する「ありがとう」の気持ちを伝え合い、関係性を積み上げていく手段として使われていた。
たとえば、
高齢者が近所の子どもに庭掃除を頼んだあと、その親に「ありがとう」を伝える。
保育園で働く職員が、保護者からのささやかな手紙とともに、アヤで受け取った感謝に目を潤ませる。
被災地のボランティアたちが、共に助け合った記録をユラとして送り合い、絆として記録を残す。
そんな日常が、全国のあちこちにあった。
「“通貨”と違って、“アヤ”は減らないんです。誰かに贈ったからといって、自分の信頼がなくなるわけじゃない。むしろ、共有されて、積み重なっていく。そういう感覚が、今の社会を支えているように思います」
そう語るのは、ある自治体のデータ分析官。
彼はアヤ/ユラの流通ログを日々確認しながら、「数字では説明できない何かが動いている」と、よく言っていた。
実際に、幸福度をめぐる指標《心の充足感、地域への愛着、自己肯定感など》は、調査を始めた当初から着実に上昇していた。
特に、「孤独感」の数値はここ数ヶ月で急激に下がっていた。
驚くべきことに、それは高齢者だけでなく、若年層、特に思春期の中高生にも顕著に表れていた。
「今まで“つながり”って言葉は聞き飽きていたけど、ユラでありがとうを送ると、本当に誰かがそばにいる感じがする」
ある高校生のアンケートに、そんな記述があった。
もう一つ、政府と民間の共同研究チームが注目したのは、「無報酬の行動が増えている」という傾向だった。
給与や報酬が目的でない「ちょっとした助け合い」や「見返りを求めない贈与」が、アヤ/ユラの記録として急増していたのだ。
「これは経済現象というより、文化変容だ」
ある研究員は、そう記していた。
確かに、今この国で起きているのは、制度の変革以上に、「人のまなざし」の変化だった。
“何に対して”行動するのか、“誰のために”日々を過ごすのか。
その問いの答えが、少しずつだが、社会全体に共有され始めていた。
それは、アヤ/ユラの普及がもたらした数値ではなく、人と人のあいだに静かに編まれた、信頼という実感そのものだった。
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