メンタル崩壊するまで 第1話~幼少期編~母との関わりが生きづらさの始まりだった
どーも、真珠です。
自己紹介でも触れていますが
私が27歳でメンタルを崩壊するまでの半生~ヒストリー~を
本格的に綴っていきたいと思います。
はじめに 私の心の病気について
2010年の夏、27歳のときに心身のバランスを崩し、体も心も徹底的に壊れてしまうという —今振り返ればちょっと「お茶目」な(?)経験をしました。
当時ついた病名は「パニック障害」。
診断名としては採用されませんでしたが、実際には
体に強く症状が出た「うつ状態」
「強迫性障害」(強迫症)
といった状態もありました。
特に強迫性障害の「加害恐怖」の症状が強く、寝ているとき以外は常に妄想に苦しみ、行動も強迫に支配されていきました。うつ症状や強迫性障害が強くなると、パニック発作も連動して起こり、よく過呼吸で倒れてしまったのです。
中でも、私が一番つらかったのは「強迫性障害」でした。
(強迫症の詳しいお話は、また別の機会に綴っていきますね)
一時は、社会生活どころか家での日常生活にも支障が出るほどでしたが、幸運なことに、身体も心も総合的に診てくださるクリニックに出会えました。通院と服薬のおかげで、約2年の静養後に寛解。無事にパートながら社会復帰も果たせました。
とはいえ、その後も体調不良や不定愁訴は、15年経った今でも後遺症のように続いています。
→ そんな不調をどうにかしたくて、私が「4毒抜き」に出会ったわけです。
メンタル崩壊の原点は幼少期の母との関わり
大人になってからの心の病気、その他の不定愁訴の根本的な原因が形成されたのが、幼少期です。
特に「幼少期の母との関わり」が
その後の私の人生、生き方に多大な影響を与えました。
この幼少期編が、今後の私のストーリーにおいて、一番の“核”になるお話です。
〜幼少期の家庭環境〜
私は昭和末期の1983年生まれ。
父・母・4つ上の兄と私、4人家族の末っ子として育ちました。
当時は「一億総中流」といわれていた時代。わが家も例外ではなく、父は会社員、母は専業主婦(私が小2の頃からパートを始めました)
衣食住に困ることはなく、ごく普通の当時の一般的な、安定した家庭でした。
ただ…幼少期の母との関わりの中で
今も私の心に深く残り、大人になってからの生きづらさ、メンタル崩壊に繋がるやり取りがいくつかあります。
「間違える私」母に刷り込まれた思考
母との関わりで、特に印象に強く残っている4つのことがあります。
1⃣ 「お母さんの言っていること、間違ってる!?」
怒られるとき、母はすごい剣幕でこう言いました。
小さな私にとって、その迫力は怖くて仕方がなかったです。未だに鮮明に覚えています。
「こんなに怒っているお母さんが正しいに決まってる。私が間違っているんだ」
…そう無意識に思い込むようになりました。
そして次第に、
「私はいつも間違える存在だから、誰かに従っていれば安心」
そんな思考パターンが育っていきました。
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2⃣ 「あの時、こうしていればよかったのよ」
いわゆる“後出しジャンケン”です。
選択の結果が後から分かると、母はよく
「あの時、こうしていればよかったのに」
と正しい方を選択しておけば良かったのよ、言いました。もうほぼ口癖です。。
例えば兄の元妻が事もあろうことか、兄名義で借金を作ったことがありました。その事で兄が実家を頼ったときも、母は
「家なんて買うからこうなったのよ!お母さんは反対だったんだから!」
と口にしました。
でも実際には、借金は家計とは無関係で、家を買ったことが原因で借金をした訳ではありませんでした。
それでも母は「もしあの時◯◯していれば…」という言い方をする。
その論調を聞く度に私は、
「母の言うように正しい選択ができなかった私はダメな子なんだ」
「私はいつも間違えるんだ」
という気持ちを強めていきました。
次第に「挑戦して失敗したら責められる」という不安から、やりたいことなども言えなくなっていきました。
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3⃣ 会話が成り立たない、話がずれていく
母との会話は、本質から外れてしまうことが多かったです。
妄想で話が進んだり、誘導尋問のようになったり…。
2⃣の話で兄宅の借金のエピソードも、話が本質からずれているし、何の解決にも建設的な話し合いにもなりません。
また母との会話で、最後まで私の話を聞いて、共感だったり、いいも悪いもそのまま丸ごと受け入れてくれた記憶も乏しいです。
そんな何気ない普段の母との会話から
「私の話は最後まで聞いてもらえない」
「私の主張は受け止めてもらえない」
そう感じることが重なり、最終的には
「自分が悪いから聞いて貰えない、受け止めて貰えないんだ」
と無意識に思うようになりました。
話が通じにくに上に、母が不安を感じやすかったこともあり、私は大事なこと、肝心なことほど話さなくなりました。本心や本音も言わず、胸に秘める事が多かったです。
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4⃣ 母が安心、安全と感じる範囲の中でしか生きられなかった
母はとても心配性で、過保護・過干渉なところがありました。
母の行動範囲はとても狭いもので、半径2キロくらいで今も生きてます。
その上、興味関心も薄い母。そのためか世間知らずなところがあり、知らないことはすぐ「ダメ!」と否定しました。その影響で、私も行動範囲が狭く、不安を感じやすい子になっていったように思います。
また、外遊びはほとんど父と一緒だった記憶しかなく、母と遊んだ思い出も少ないのです。
母は私を産む前から自己免疫疾患(シェーグレン症候群)を患っていました。ひどいアレルギー体質でもあります。体の不調や不安気質も、もしかしたら病気や食生活の影響があったのかもしれません。
まとめ~無意識の思考が創る生きづらさ~
「私は何でも間違えてしまう存在なんだ。間違えてはいけないんだ」
「間違える私はダメな子で、母や誰かに従っていた方が良いんだ(そうすれば怒られないで受け入れてもらえる)」
「自分の話や気持ちよりも、お母さんや他人の話や事柄を優先しなければ、私は誰からも愛されない…」
「安全な範囲内で生きてくべきなんだ」
こうした思考や価値観が無意識のうちに私に刷り込まれ、形成されていきました。
子供の頃は気づけなかったけれど、この幼少期の母との関わりは、確実に私の生き方に大きく影響していきました。
それはそのまま、大人になってからの生きにくさへと繋がり…
そして、27歳で経験したメンタル崩壊の大きな要因となっていきます。
次回予告——メンタル崩壊までのストーリー~10代編~
これらの幼少期の経験が
具体的に私の人生にどう影響し、どう人生が詰んでいったのか。
次回は、都合よく友人に支配されてしまった10代の私について綴っていきます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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