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吉本ばななさんとお姉さんは何が違ったのか

吉本ばななさんの有料noteを読んだ。ばななさんの代表作は当時数冊読んでいて、不器用な人々がたくさん登場するけれどあの独特な世界観からオシャレ小説だと思っていた。でも確かに「キッチン」も「TUGUMI」も機能不全家庭がベースにあったような気がする、と今更ながら気づいた。(遠い記憶なので違ったらすみません)

有料noteは話題になっていていたものの、数日読むのを躊躇した。
私も最近やっと「うちの母親はきっと自己愛だったんだな~」と自覚したこともあり、同じような境遇の方のお話は「自分だけではなかったんだ」と一時的に救われるものの、今更過去は変えられないしどうしても気分が落ちる。

ばななさんは中学生の頃に早々にお母様を見限り、その後もお母様とお姉さんが自分にしてきた攻撃をちゃんと「酷いことをされた」と若い頃から自覚していた。個人的にそれは意外とすごいことだと思う。そういう家庭に育つと、幼少期から親は絶対的に正しいと植え付けられている。親がまさか気分次第で意地悪をしたり、子供をストレスの捌け口にしているだなんて思ってもいない。

ばななさんのお母様同様、うちの母も外ズラは異常に良くPTA会長をしたりして目立っていた。友達のお母さんや先生から「しっかりとした素晴らしいお母さんだね」と言われていた。大人のみんながそういうのであれば、母が言っていることは正しくて、母からネチネチと言われるのは私に落ち度があると思っていた。子供なりに次は言われないようにしようと考えても、今度は前回のやり方が正しいと言われ、「どれが正しいの?」と頭が混乱するということをずっと繰り返してきた。
なので大人になってからは、考えられるリスクはなるべく防ごうと異常にちゃんとした人間になり仕事の面ではこれが役に立っている。でも相手のちょっとしたミスも気になってしまい、B’zの『LOVE PHANTOM』の歌詞にあるように「少しのズレも許せないせこい人間」になってしまった感も否めない。

ばななさんのお姉さんは本来、優しく聡明な女性なのだと思う。自分の中にはない価値観をお母様がお持ちで、それを理解しようと努め、結局浸食されてしまった。自分にはない価値観の人も受け入れ、求められたら誠心誠意で答えることが人として正しいことなのだと思っていて、お母様の毒の部分に飲み込まれ、蝕まれ、壊れてしまった。

一方ばななさんは別ベクトルの聡明さを持ち合わせていて、身内であれその価値観はやっぱりおかしいというセンサーが作動した。お友達や外の世界と自分の境遇を客観的に見ることができたため、イヤだったことの記憶も鮮明にあり、それをきちんと恨むこともできたことはある意味健全である。
そう思うと反抗期は本当に必要で、子供が意見を言うことで親も「あれ、自分の言ってることっておかしいのか?」と自分を見直す時期になるのかもしれない。そこで子供が反抗しきれず親を受け入れてしまうと、親は「やっぱり自分は正しい」と思ったまま年老いてしまうのだろう。
うちはとにかく母親が口が達者なので、反抗期も口で負けてしまったのが敗因だ。もっと口汚く罵れば良かったのかもしれないが、やっぱり「これは言ってはいけない」と人としてのブレーキがかかり、それはできなかった。

うちはばななさんや大変なご家庭に比べたら屁のようなものだと思う。
でもイヤだったな~というモヤモヤの気持ちは残っているものの、不思議なことに具体的な記憶があまりない。ばななさんのnoteを読んで、程度は違えどうちでも同じようなことがあったと思い出した。
うちも体調が悪いと言うと母は一応看病はしてくれるが、すごく不機嫌になったので、兄妹全員体調が悪くても我慢するようになった。どこかに出かけても「急ぎなさい!」と言われるので、楽しむ前に帰ることになったからお出かけは嫌いだった。私がゆで卵をレンジでチンしてしまいそれを口に入れた途端ゆで卵が爆発して、私が口の中をやけどしても大笑いされた。
こんな人、うちの母親以外にはいなかったけれど、世の中のお母さんはみんなこんな感じなのだと思っていた。

昭和のドラマでは決まって親が正しくて子供が未熟であると描かれる。「お母さんがそんなに私の事を思っていてくれたなんて知らなくて。ごめんなさい!」と泣きながら抱き合って和解、みたいなのが多かった。だから子供は母親を嫌いになるばずもないし、ひどいことをしている母親も本当は愛情を持っているのだと思っていた。これを信じていた単純な自分の思考回路にも笑えてしまうが、おそらく母もこれを真に受けている。まじでこんなの嘘っぱちだ。積年のあれこれがこんな簡単に和解できるはずがない。

ばななさんはお母様のことは見限れたけれど、お姉さんのことは同じようにはできないのが読んでいて苦しかった。今度はばななさんがかつてのお姉さんのように飲み込まれてしまっているように思えてならない。お姉さんがお母様によって壊されてしまったことを、ばななさんが自分のせいなのではないかと思って罪悪感に押し潰されそうなのだろうか。悲しいかなこのメカニズムは理解できてしまう。
違うと分かっていても「罪悪感」が顔を出してきて、結局自らその方へ手を差し伸べてしまう。そうしたくないのになぜか自分が悪かったのではないかと償いのためと納得させて、本人よりも先に、懸命に、動いてしまう。
なぜか自分も納得の上だからいいのだと思い込んでしまい、ここまでやればもう大丈夫と思っても、要求はどんどん増え、またかと思いながら同じように動いてしまい、必要ないスキルばかりが向上してゆくような感覚。

「吉本ばなな」というあまりにも著名な作家さんがこんなにも自分のご家族を赤裸々に語るまでには、想像を絶するようなことが葛藤があり、色んな人の支えをもってしてもこうせざる負えないほどギリギリのところに立たされているのだろう。きっとばななさんもお姉さんも大人になればいつか解決すると思っていたのではないだろうか。私もそうだった。でも50歳や60歳のいい大人になっても頭の片隅にずっとあり消えない悩み。

でも悩んでいるのは子供のほうだけで、親は全く悪いと思っていないのがこの問題の解決を遠ざけている。親ってなんなんだろう。

ばななさんもお姉さんも本当に大切にすべきは自分であることはきっと分かっているはず。だけど相手を完全に憎めないから悩む。
多かれ少なかれ家族や近しい人間関係で悩んでいる人はとても多いはず。悩ませている側の人たちが、ばななさんのnoteを読んでくれたらいいのに。でもそういう人に限って興味を持ってくれないんだよな。いつか自分たちのしている事に気づいてくれますように。
それぞれが自立できる心を持つことが一番だと思う。

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