見出し画像

ヘヴィ・メタルは永遠に癌に効くようにはならない

これだけメタルを愛していても、僕はメタラーじゃない。メタラーだと思ったこともない。でもたぶん、メタラーじゃない僕が、一番メタルを愛している。

そもそもメタラーという言葉がなかなかに嫌いなのだけど、それはまた別の話。とにかく、そんな訳のわからない重い十字架、レッテルを自分に貼りたくないと思いながら生きてきた。

何かに同一化したり、何かに完全に属するってとても恐ろしいことだと僕は思っていてね。その瞬間に自分の色が決まってしまう、牢獄のような閉塞感にとらわれてしまう、そんな恐怖を感じている。

だから、ヘヴィ・メタルを狂おしいほど愛していても、どこか冷めた目で見ている自分がいる。

僕は今のメタルの寛容さが好きだし、メタルの持つ音楽の、人種の、そして文化の多様性を愛している。だけど、どこか一歩下がって客観的な目でメタルを見ることも忘れていない。メタルを盲信はしていないし、ネットに居座る "メタルの人" になりたいとも思っていないんだよね。決してメタルを "疑うこと" も忘れてはいないんだ。

「ヘヴィ・メタルはまだ癌に効かないが、そのうち効くようになる」

だからこんなのではかけらも笑えないのよ。メタルの人がみんな喜んでも、僕は喜べないの。だって、もう面白くもなんともないんだもの。おちんぽ達郎のほうがまだ面白い。天丼にも限度がある。ぜんぜん共感できない。

メタルは永遠に癌には効かないの。こんなのでいつまでもグフグフ喜んでいるのは、インターネットの人だけよ。メタルよりも瀬戸環奈さまの方が、少なくとも前立腺癌に対しては効きそうだ。

つまり、僕はメタラーじゃないからこそ、メタルにまつわる面白くないものや邪なもの、共感できないことにはちゃんと好きじゃないと言えるんだ。盲信しないこと。それがきっと本当の愛情なんじゃないかなぁ。

インターネットの人は、現代を生きる人はあまりにもそのレッテルという重い十字架を自らで背負いすぎだと思う。それを呪いと置き換えてもいい。

そんなことを、"左翼言葉" "左翼仕草" という呪いで埋め尽くされた GEZAN の人の謝罪文を、目眩を抑えながら読みつつ考えていた。

今のインターネットに、本物の左翼や右翼などほとんど存在しない。存在するのは、ただ選民意識と空虚なプライドで他人をバカにしたい左翼もどきと、正義感という加害性で異物を叩きたい右翼もどきだけ。

だから、左翼を謳いながら弱者を腐し性加害を男性性そのものの問題へとすり替えたり、右翼を謳いながら平和を願う天皇家を貶めるような意味不明なキメラだらけになる。

それって結局、左翼はこうあるべき、右翼はこういうものだという十字架が呪いとなり、本来最も大切にするべき理性や人間性を、もしくは理想や理念、より良い世界の到来を置き去りにして、そうした "仕草" や "メンツ" を優先し、盲信してしまっているんだよね。

そこから始まるのは互いの "レッテル" を貶めるだけが目的のもはや泥試合、意味のない互いのなじり合いだけだ。ネットが加速させた分断ここに極まれり。

これだからパヨクは、これだからミュージシャンは、これだからネトウヨは、これだから移民は、これだから男は、これだから女は…違うのよ。小学生並みの主語のデカさ。

左翼だろうが右翼だろうが移民だろうがミュージシャンだろうが男だろうが女だろうが、犯罪を犯す奴は少なからずいる。ただ理性を抑えられなかった一人の愚かな人間が罪を犯しただけ。粛々と刑事民事、もしくは社会的に罰を受けさせればよいだけ。

"ネトウヨ"をこけおろしながら性加害をした GEZANの人も、彼と"パヨク" をまるで殺人鬼のように叩く人たちも、結局はそんなレッテルという重い十字架に支配され、盲信して愚行を積んでいる。

だからね、若い人には、何かに完全に染まらないで生きて欲しい。常に疑い、心に余白を持って生きて欲しい。重い十字架や呪いなんて背負うことなく、誰かを貶めるよりも人間性や優しさ、心からの共感を大切にして生きて欲しい。

世界で唯一本気で殺し合っていいのは、ARCH ENEMY のヨハン派とアンジェラ派の血で血を洗う抗争だけなのだから。


いいなと思ったら応援しよう!