寿命はいつまで
不老不死がファンタジーである限り、いつか誰しも死なねばならない。
あれほど権勢を誇った秦の始皇帝ですら、その夢は叶わなかったのだから、一般人であれば尚更だ。
若かりし頃ジュラ紀、80歳を超えてなお元気な人は稀だった。
それが今やどうだ。センチネリアン(100歳越え)も珍しくない。ここらの自治体は、あまりにもその数が増えたため、100歳のお祝い制度をやめたと聞く。調べてみると、日本にはセンチネリアンが10万人前後いるらしい。人口比にすると0.08%程度だ。
センチネリアンと言えば、104歳を迎えてなお、毎年子宮がん検診を受けにきていた老マダムを思い出す。驚異的にも、百を超えているはずなのに可能な全ての検査で異常がなかった。いつもきちんとした美しい装いで、撫で付けられたグラデーションのある整った白髪は、ぱっと見、70代だった。
カルテに記載された年齢とのギャップに驚いて、ご本人にそう伝えると、彼女はいとも優雅に微笑み、茶目っ気たっぷりに答えたものだ。
「先生、70代に見えると言われて、誰が嬉しいと思いますかね。20代に見えるのならまだしも」
そういった、頭の回転が早く、洒脱なところが若さを保つ秘訣だったかもしれない。玄孫と住み、編み物教室をしながら永遠に生き続けるかと思われた彼女も、それからまもなく鬼籍に入っている。死ぬのを忘れたと冗談を言っていたけれど。
何歳まで積極的に医療を施すかは永遠のテーマだ。なぜなら年齢は、非常に個体差が出るところだからだ。
一般的に、救急外来に重症患者が来たとして、その患者が20代だったら現場は色めき立つ。絶対に死なせてはならないと奮闘するだろう。30代、40代も然り。なんならその人に小さいお子さんがいるのではないかと勝手に夢想し、なりふり構わず高い薬でも治療でもばんばん繰り出すだろう。多少侵襲的な手術でも、「治る」と見込めれば躊躇なく行うと思う。
ところが、50代、60代はまだまだ現役であるものの、基礎疾患の有無や体格、生活環境で健康の状態が異なってくる。70代、さらに個体差が顕著に出る。令和の世の中では少し早いが、完全に寝たきりである人も見かける。
正直、80代、90代と進むにつれ、私の気持ちの中では「寿命」という二文字が点滅し始める。ギョーカイ人、関わる患者さんの年齢層もあると思うが、だいたい似たり寄ったりの印象を持っているのではないだろうか。
「私の母に、もう治療は必要ないって言われたんですよ!」
だが、その印象はギョーカイ人だけのもので、きっと一般人とは違うのかもしれない。以前、そう言って70代の老マダムが嘆き悲しんでいたからだ。彼女の母は御年98歳、可愛くボケちゃってはいたが、まだまだ足腰はしっかりしていたという。そんな彼女が、ふとした風邪から肺炎を起こし、生死の境目を彷徨った。
慌てふためいた娘である老マダムは救急車で病院へ運び、手厚い治療を受けさせようとしたらしい。だが、状態があまりにも悪く、手の施しようがなかった。
感情の赴くままの老マダムの話をよく聞くと、母上には肺炎の他に進行したがんまで見つかったようだったから、「積極的な治療をしない」というギョーカイ人の判断は、やむを得ないことだったのかもしれない。
だが、実娘にとっては違った。
昨日まで笑って話せていた母を、今日見送らねばならないなんて、信じられなかったのだ。ギョーカイ人には一人の後期高齢者すぎなかったが、彼女には世界でたった一人の、かけがえのない母だったのだ。
母を突然失った老マダムは私の外来で怒りを放出し、しこたま嘆いて、母の担当医には言えなかったセリフを私に叫んで帰った。
「どんな年齢の人にも愛する家族がいるんです!ちゃんと、治療してください!」
ちょっとした、貰い事故だ。
98歳という年齢を見て、心の準備ができていなかった娘を嗤う人もいるだろう。私も彼女と心理的な距離が離れていたら、ある意味無茶を言う、非常識な人だと断定していたかもしれない。ただ、あれだけ実母と仲良く笑顔で過ごしていた彼女を知っているだけに、治療の対象を年齢だけで区切ってしまうのは、あまりにも酷いことだと思わざるを得なかった。
永遠に生き続けることが、さらに酷(むご)いことだとわかっていてさえも、それは確かな嘆きとしてそこにあった。
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