私が産婦人科医になったわけ
ご存じの方もいると思うが
平成14~15年くらいから研修医制度が大幅に変わり、最初の2年間は希望の科だけではなく、内科、外科、その他の科をまんべんなく研修するようにカリキュラムが組まれるようになった。イマドキはじっくり腰を据えて将来を考える時間を得て、学生時代に目指していた科とは違う科に進むこともあるようだ。
実際、業務内容が思い描いているイメージとは違う部分も多いので現実と照らし合わせて進路を考えることができるのは羨ましい。彼らと接すると、真剣に、そして現実的に自分たちの行く末を考えていて好感が持てる。
私は言わずもがな旧体制の人間で、
ふわふわとした学生の気持ちのまま
部活を選ぶノリで進路を決めざるを得なかった。
医学部も6年生となると臨床実習と称した
白衣を身につけ見学に毛が生えているくらいの
まねごとはあるが、実践とは程遠い。
医療関係者である自覚がないが故の珍事件もあった。
実習レポートを書くのに割り当てられた
糖尿病を患っている担当患者のおじいちゃんが
枕頭台の引き出しから
「嬢ちゃん、うまいものもらったけん、食べんしゃい」
と、まんじゅうを出してきた。塩豆大福。
担当医に言うべきか言わないべきか一瞬だけ迷ったが身も心も一般人とさほど変わらないため出されたものはやはり食べなくてはとの気持ちになり、
ありがたくもらって食べた。
食事制限が何よりも大切な糖尿病、本当は塩豆大福などもってのほかである。ちなみに排尿障害もあったおじいちゃんの枕頭台の引き出しには剥き出しの導尿チューブがそのまま入れてあって使用済みかどうかが聞けないまま、まんじゅうを食すのは勇気のいることではあった。
そんな勇気も担当医の叱責により無駄で無意味なものに終わった。
実は学生時代、産婦人科など候補にも上がっておらず
麻酔科に入ろうとしていたと話すと、たいていの後輩は驚く。
正直に言うと
自分には対人恐怖症と引きこもりの気があると自覚していた上、入院患者の担当がなく、手術だけ引き受ければいい麻酔科なら勤務の融通が多少なりとも利くだろうというくだらない皮算用をしていたのである。
先方に本気度を見せるために夏休みには麻酔科に入り浸って手術室での様子を張り付きで見学したしペインコントロールと称した外来も見に行った。
側から見ると、やる気満々であるが、本人はひたすら医者になった後のQOLしか考えていない。
いよいよ医学部6年生、
誰もが私のことを麻酔科に入ると思い、自分でもそれ以外の選択肢を考えていなかったが国家試験も押し迫った12月。麻酔科の医局に赴き、入局の挨拶をしようと医局長と面談したところ「考え直せ」と翻意を促された。
晴天の霹靂である。
イエスキリストそっくりの風貌の医局長は当時卒後10年目。今考えると10年目などハナタレ小僧レベルだが、学生から見るとベテラン中のベテラン、おいそれと口を聞くのも緊張して憚られた。
そんなキリストは重々しく言った。
麻酔科に入ったところで君が思うような楽はできないよ。今、楽をしたい女子が殺到してて、断るのが大変なんだよね。本気で麻酔をしたい、一生続けますと言うならまたおいで。
本気で麻酔をしたいわけではなく
楽をしたい女子であることも見破られ、
ぐうの音も出なかった私はとぼとぼと帰路についた。
一生は・・・
したくないかな・・・
どうかな・・・
そして、安全牌と思っていた相手にふられる、という衝撃。
そこへ産婦人科に入局の決まった私の同級生が通りかかった。
「どうしたの~。僕ね~今日産婦人科に入局して、お祝いにお寿司を食べに行くんだよ~。一緒にいかな~い」
見れば、彼の後ろで産婦人科の医局長と病棟医長が2人、人が良さそうににこにこしていた。ふられた心にその笑顔が沁みた。つい、ついていった高級な寿司屋でしこたま良い酒を奢ってもらい、寿司をたらふく食い、気持ちが大きくなったその勢いで産婦人科に入局した。
そう、人生なんて思い切りと勘違いの連続である。
勢いと当てつけで入局したものの、いつまでも金の卵とチヤホヤはされない。引っかかりもっかかりしながら皆、大人になっていく。30年も経てば生まれながらに産婦人科を選んだかのような顔つきになり冗談みたいな経緯で入局したことも忘れ去られる。
ところで一緒に入局した彼はその後、婦人科分野の基礎研究で名をあげ大学病院で偉い先生に出世している。私を産婦人科に誘ったことなんて覚えていないだろうがあの時彼が最大に凹んでいた私に声をかけなかったら、今こうやって熱心に婦人科エッセイを書いている私もいない。
蛇足ではあるが、あれからキリストには思わぬところで再会し、当時のことを覚えているかと尋ねる機会を与えられた。ご本人は私をふったことなど全く覚えておらず、ひたすら認知症の初期症状だろうかなどと恐縮していた。
得てしてそんなものである。
人生にはそんなたいそうな選択など、ない。
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