金の舟 銀の舟
「もうあなたとは話をしない!」
病棟中に響き渡る大きな声とそれに続く号泣。
今でもあのシーンを鮮やかに思い出せる。
大学病院に三回目に戻された時、私は指導医として常時何人かのレジデントを受け持っていた。かつての私がそうだったように、それぞれに個性があり、それぞれに主張があった。
彼らはだいたい7〜8人程度の患者を受け持っていたが、 皆、悪性腫瘍と診断がつけられた人ばかりだった。ただでさえ、自分の運命が呪わしいのに、万事大仰な大学病院。ストレスがかかっているのは明白だった。終始ご機嫌で朗らかな患者など稀で、病棟には常に一即触発の雰囲気が漂っていた。
担当になったレジデントの中に問題児が一人いた。頭脳明晰で、その経歴に挫折を思わせる事柄が一つもなかった。医学部受験は、理系科目が得意な学生が圧倒的に有利だが、医者になってからは言葉を紡ぐ力の方がずっと役にたつ。彼が放つ言葉は的確だが、事実を真正面から突きつける分、容赦がない。そういう意味では全く言葉の訓練ができていない彼が、患者とぶつかるのは当然の成り行きだった。
一方、りらさんは進行した頸がんと診断された、若い女性だった。敬虔なクリスチャン。長期に渡り、アフリカ大陸のあちこちで海外協力を担っていた人だ。彼女が自分の病状に気がついた時、すでに頸がんはかなり進んでいて、自力で排尿ができなくなっていた。無理に無理を重ねていたらしい。発覚当時、海外にいた彼女は飛行機で丸一日以上かかるところから帰ってきたその足で、故郷の土を踏むことなく、大学病院に入院してきていた。
りらさんの当初の望みは、治癒が望めないならそっと逝かせてほしい、だった。だが、そうするには彼女は若過ぎ、誰もが惜しんだ。精査が進むにつれ、病巣が広がり過ぎていることが徐々にわかり、もはや手術はできないだろうと思われた。ただ、まだ抗がん剤と放射線治療が手段として残されていた。根治が望めなくても共存を探る、そんな治療方針が立てられつつあった。
だが、りらさんには、治療するなら手術しか受け入れないこだわりがあった。
なぜならずっと前から彼女は大きな子宮筋腫に悩まされていて、圧迫感が強かったからだ。海外で井戸を掘ったり農業を教えたりする活動の中、その筋腫は常に彼女の邪魔をしていた。その地の医療事情は日本と比べていつもやや劣っていたから、彼女は治療をせずに我慢していたのだ。せっかく日本に戻ってきたのだから、とりらさんは手術を希望していた。抗がん剤はともかく、放射線を当ててしまうと骨盤の中はひどく癒着する。その説明を受けて彼女は手術ができなくなるのは困る、と抵抗した。
その抵抗が、担当医になった彼には理解できなかったのだろう。彼は常に理路整然としすぎていて、もっと恐ろしい病魔を前にして子宮筋腫にこだわるりらさんの気持ちが全くわからず、寄り添えなかった。手術をするのは常識的ではなかった。同時に治療のスケジュールを采配する病棟医長にせっつかれ、彼自身も相応のストレスを受けていたのだ。
そんな中、あの事件は起こった。
状況から、売り言葉に買い言葉で、彼だけが悪いのではないと思う。だが、彼は、自身が医者であることを自覚しているなら決して言ってはいけない言葉を、苛立ちに任せてまるで爆弾のように投げつけた。怒号を聞きつけ、駆けつけた私にりらさんは抱きつき号泣した。
「頸がんは性病だから、自業自得じゃないかって・・・ひどい・・・」
泣き続ける彼女のそばで、彼はただ、なすすべもなく、呆然と立ち尽くしていた。
ヒトパピローマウイルスは、確かに性交渉で感染する。だが、一度でも性交渉をした人なら誰でもその身に飼ってしまう類のもので、狭義の性病には含まないとする医者が多い。だが、彼の見解はそれとは違ったのだろう。所詮、子宮頸がんは。面と向かってご本人に言ってのける配慮のなさが、彼にはあった。日頃から失言や失礼の多い彼は、その想いとは裏腹な言葉を言ってしまう傾向にあったのだ。治療をすれば助かるのに、という焦ったさがあっただろう。だが、言ってはいけないことは、この世に確かに存在した。
泣き疲れたりらさんを部屋に返し、私は彼をカンファレンスルームに呼び出した。
「患者が思い通りに動かないからと言って、あなたが先に、医師であることを降りてはいけない」
彼は一度大きく息を吸い込み、何か反論しようとして、・・そしてやめた。多分、私がまばたきも出来ずに静かに泣いていたからだ。
その日から彼と交代し、りらさんの担当は私になった。
結局、最終的にはりらさんは全ての治療を拒否し、緩和ケア専門の病院に移ることを希望した。担当を交代した当初は私も熱心に治療をするようくどいていたが、その後も続いた検査で大動脈の近くに大きく腫れたリンパ節と、肺に無数に飛んだ転移を見つけて、彼女の翻意を諦めた。
ソーシャルワーカーが転院先を打診している間、彼女はひときわ明るい特別室にいて、窓の外を眺めて過ごす生活をしていた。骨盤の中がほぼ癌で置き換わっていたから、彼女の背中には腎臓から直接尿を排出させる腎瘻が作られていて、少し寝返りが不自由だったので、背もたれを起こして横になっていた。窓から溢れる柔らかい陽の光を全く遮らず、カーテンを全て開けて、もうすぐ冬が終わる空を見ていた。
日本人には珍しい、りらさんの名前の由来を尋ねると、彼女は笑って、
「亡くなった母の名が、アンなの」と言った。
赤毛のアンのシリーズに、「アンの娘リラ」がある。彼女の赤毛を揶揄ったギルバートと結婚し、幸福な家庭を築いたアンの、末娘の名がリラなのだ。
「先生、私、クオーターなの。日本のことが大好きなのに、ここにいるのが辛かった・・・いつも周りの人と喧嘩ばかりしてた。」
そして、あの先生とも喧嘩しなければよかったな、とひとりごちた。私が彼女の顔を見ると、絶対に謝りたくないけど、とリラさんは笑った。
転院が決まったその日、車椅子に移ると、りらさんは私を見上げて言った。
「先生、私はクリスチャンだから、天国に行く金の舟のチケットが用意されているの。だから死ぬのは怖くない。向こうには母もいるし」
うん、と私が答えると、りらさんは微笑んで
「先生、お世話になりました。私、神様に頼んで先生のチケットもお願いしておきます。先生はクリスチャンではないから、きっと別の舟になると思うけど・・・」と茶目っ気たっぷりにそういい置いた。
私は、「2枚ちょうだいよ。彼の分もいるから」と答えた。
彼女の車椅子が病院の自動ドアに吸い込まれていくのを眺めていると、りらさんと派手に喧嘩した彼がやってきた。見送りに来たのだ。彼も不器用な男だった。彼は私の横に並んで、りらさんの背中を一緒に見送ったが、やがてポツリと「僕、医局をやめて関東に戻ることにしました。研究職に就きます」と呟いた。
それがいいかもね、と私は残酷に頷いた。彼が人間関係、こと患者との関係に悩んでいたのを知っていた。知っていたが、教え諭してなんとかなるものでもなかった。素質のないことを頑張ってもその先に成熟が待っているとは限らない。
「先生に言われたこと、忘れません」
私はそれには答えず、彼に
「りらさんが、私たちに、天国に行く銀の舟のチケットくれるってさ。あなたの分も預かっておくから。頑張ってね」と言った。そして二人でしばらく、無言でドアの前に立ち続けた。
少し力を持ち始めた日差しが足元まで柔らかく延び、すぐそこまで春が来ていた。風が心地よい。まだ使わない銀の舟のチケットが白衣のポケットの中で、かさ、と音を立てた。彼に渡すはずのもう一枚も、もうしばらく預かるのだ。
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