「与える人ほど苦しくなる社会」でいいのだろうか
最近、ずっと考えていることがある。
それは、
「優しい人ほど苦しくなる社会で、本当にいいのだろうか」
ということだ。
学校現場には、本当に温かい先生が多い。
子どものために、
学級のために、
保護者のために、
同僚のために、
見えないところでたくさん頑張っている。
でも、その“優しさ”が、
時に自分自身を削ってしまうことがある。
「子どものためだから」
「先生だから」
「みんな大変だから」
そうやって、自分を後回しにしてしまう。
もちろん、
誰かのために動けることは素晴らしい。
でも最近、
僕は思うのだ。
“自己犠牲”は、長く続かない。
どれだけ志が高くても、
自分自身が満たされていなければ、
いつかエネルギーは枯れてしまう。
だから僕は今、
「満たされたギバー」
でありたいと思っている。
心理学者のアダム・グラントは、『Give and Take』の中で、与える人(ギバー)が成功する可能性について述べている。
ただ一方で、
“自己犠牲型ギバー”は疲弊しやすいことも指摘している。
僕はこの話を読んだ時、
教育界のことが頭に浮かんだ。
日本の教育界には、
「与えること」が美徳として根付いている。
もちろんそれ自体は尊い。
でも、
・学びたいのに時間がない
・挑戦したいのに余裕がない
・家族との時間が取れない
・疲れ切って本を読む気力もない
そんな状態で、
本当に豊かな教育ができるだろうか。
だから僕は、
“学び続けられる自分”を大切にしたい。
全国に学びに行きたい。
本を読みたい。
人に会いたい。
新しい価値観に触れたい。
そして、
そこで得たものを、
また子どもたちや先生たちに還元したい。
僕にとっての発信は、
単なるアウトプットではない。
学びの循環であり、
人とのつながりであり、
未来への投資だ。
だから最近、
noteでの発信も始めた。
自分が学び、
動き、
出会い、
還元する。
その循環が大きくなれば、
出会える子どもも、
先生も、
学校も増えていく。
誰かのために生きることと、
自分を大切にすることは、
本来、対立するものではないはずだ。
「自分も幸せでありながら、誰かのために生きる」
働き方改革で生み出された余白が、先生たちのそんな生き方に繋がればいいなと心から思う。
