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あの日の夕暮れ、今日の朝日。

あらすじ

まだスマートフォンがない時代。ちっぽけな町にあるレトロな喫茶店で、顔の半分を包帯で隠した若い女が働いている。彼女の本当の名は、あさひ。

彼女はこの店で、自分の顔を焼いた男を待っていた。再び現れた時、自分の手で殺すために。

そんなある日、店に「夕夏(ゆうか)」を名乗る女が現れる。夕夏は生き別れた妹を探しており、探偵に依頼して「あさひ」の行方を追っていた。彼女こそ、あさひの姉だった。

あさひは、復讐を果たすため、そして姉を危険に巻き込まないため、偽名を使って夕夏を遠ざけようとする。けれど、綺麗で人当たりのいい夕夏は喫茶店の常連客たちに気に入られ、店に居座るようにして妹の手がかりを探し続ける。

夕夏を引き離せないまま、妹探しを請け負った探偵が現れる。そして最悪のタイミングで、あさひの顔を焼いた男もまた、喫茶店の扉を開ける。



#1 朝露

日が昇り始め、街がゆっくりとオレンジ色に照らされていく。
それは皆平等に訪れる静寂と温もりの瞬間。

あさひはその時間が好きだった。

ひんやりと澄んだ空気。

夜中に歌っていた酔っ払いも今は眠っている。
ほら、あそこの公園のベンチ。昼間は子供たちが遊ぶすべり台やシーソーですら、時には彼らのマットレスや抱き枕になる。

公衆電話の中は寒い夜や雨の日になると、家に帰れない男たちが我先にと場所取りをしていたりする。
最近は携帯電話のおかげでわざわざ追い出す必要が減ってとても助かっている。そのうち、誰もあの緑色の電話を使わない日が訪れるのだろうか。

などと思って油断するとガラスに写る自分の姿に胸をアイスピックで刺されたような錯覚を覚える。

目の下まで、顔の半分を包帯で隠している。

まるで口裂け女みたいに。

すぐに目を逸らし、歩き出す。
でも、気にせずにいられるわけがない。なんと言っても顔なのだから。

腕や脚に包帯を巻いているのとは話が違う。

つい足元に目が落ちそうになるのをぐっと堪えて、気合いで前を向いて歩く。

この姿のいい所といえば、なんと言っても“誰も私だと気付かない”こと。そして鬱陶しい男が寄り付いてこないこと。
特に後者のメリットが大きい。酔っ払いのオヤジに絡まれることが減って、ナンパも来なくなった。素晴らしい、清々しい、空気が美味い。

——そんなことがちっぽけに思えるくらい鏡の前では辛くなる。

今朝も包帯のない自分の姿と向き合ってきた。最悪の時間。鏡を割らずに済んでいるのは、決して自分が前向きだからではない。

──あの男に会ったら、殺す。

違う。

探し出して、殺す。

自分を傷つけている場合じゃない。そんな余裕があるなら、一刻も早くあの男を見つけ出し、この手でやってやる。一番長く苦しむ場所に包丁を突き立ててやる。

この顔と同じくらい苦しむ場所に。

あの汚い股間がいいと思ったこともあるけれど、それではすぐに死んでしまいそうだから却下した。どこかに包丁を突き立てるついでに、そこを思い切り蹴り飛ばしてやるのはいいかもしれない。

金玉に脳みそが詰まってるような男でも、この顔を見せたら何か感じるだろう。一瞬でいい、後悔か、怯えた瞬間にやってやる。

——顔を洗わなければ。

歯を磨くのだって、包帯が濡れる。邪魔になる。鬱陶しい。

特に寝起きの包帯の裏側は黄色くベタベタした体液が肌と包帯をくっつけているせいで、包帯を取るこの瞬間が人生で一番憂鬱な気分になる。

息を荒げて、時折嗚咽を漏らしながら包帯を剥ぎ取る。自分で自分の皮を剥いているような気分だ。

やっとの思いで外すと赤い肌が空気と擦れてヒリヒリする。
柔らかく緩んだかさぶたが剥き出しの肌を刺激してかゆくなる。
間違って引っ掻こうものなら、跡が酷くなる。
眠っている間に無意識に引っ掻いてしまうのが怖くて包帯はいつも締め付けるほどに厚く巻いて寝る。

機械になったように水を掬って、また顔へ持っていく。
怖がって丁寧にやるより、雑でもパパっとやってしまったほうがいい。
どうしたって同じように痛むのだから。

まだ鏡は見ない。もう一度包帯を巻く時までは。

一度巻く前に鏡を見て、持っていたコップをひとつダメにした。僅かに入ってる傷はその時できたもの。軽いコップで良かった。

どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。

せっかく伸ばしていた髪の毛が燃えた。

バランスが悪いから全部切った。

鏡に映るショートカットは幼い頃を思い出させた。

でも、頬は、焼けてしまった頬は元には戻らない。

──小鳥のさえずりが響き、思わず空を探す。目に入る青。

たったそれだけのことで、今日もまだ生きていてよかったと思える。たった一瞬でも。

ため息が冷えた空気を温めてくれたら。

朝露は草花のため息なのかもしれない。きっと温まった結果の水滴なのだ。ため息を吐くせいで幸せが逃げるなら、世の中に幸せな人間なんていない。だいたい、逃げた幸せがどこへ行くというのか。深呼吸して、息を吐かない人間が幸せになる世界?馬鹿らしい。

そんなことで殺意から自分の気を逸らして、今の自宅へ向かう。


仮住まいの喫茶店「青空」


・・・カランカラン。


“CLOSE”の掛け看板を気にせずドアを開くと、ここのマスターこだわりのドアベルが響く。

留まり木のようなベルに金属でできた鳥が留まっているデザインだ。
きっとこの喫茶店ができた当時から今までの間、全ての人の出入りをそこから見守ってきたのだろう。塗装の剥がれたところが翼の模様のようにも見える。

「ベルがベル、ベル、ベル、ベル・・・」

踊りながら箒と踊っているオジ・・・お兄さんがここのマスター。

今日のBGMは“ノートルダムの鐘”というアニメ映画の曲だった。なんでディズニー?

「ベール、オーブ、ノートゥーダーーム!・・・あーー、あさひちゃんおかえり」

「なんでディズニーなんすか?」

「昨日借りて観てたのよ。何度聴いてもこの曲たまらんなー」

鼻歌まじりにメンテナンスの終わったコーヒーミルを組み立てている。

そのままカウンター正面の扉(STAFF ONLY)を入ってすぐ右手に仮住まいの部屋がある。

「そういえば、昨日は何か思いついたかい?」

扉を開けたままで、一瞬時が止まる。

「いえ、何も」

朝の店内の静寂の中に、コーヒーミルを組み立てる音だけがこだまする。

「いつでも歓迎だからね。あさひちゃんの新メニューなら」

「・・・ありがとうございます」

扉を閉めると向こうからまた野太い歌声が響いてくる。・・・新メニューか、考えなくなってどのくらい経っただろう。

歌声をよそに部屋へ戻り、包帯に気を付けながら着替える。

デニムのパンツ、Yシャツ、肩掛けエプロン。包帯以外、何も変わらない。ここに住む前から着替える時はこの部屋だった。その時は古くなったテーブルやガタついた椅子なんかがあって、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

それでも急に居候が決まった私のために住めるようにしてくれた。

ただのアルバイトだった私が、ここまでしてもらった。これだけじゃない。私はマスターのおかげで今、ここに居る。感謝しても仕切れな

急に扉が開く。

「そういえばあさひちゃ・・・」

マスターの顔に右手がクリーンヒットする音が響く。

「だからノックしてくださいって・・・!」

「いやもう着替えへる頃かなーと思っへね」

「何しに来たんですか?」

「やっはりちゃんと着替えへる。もういい加減、体内時計が覚えちゃっへるわけよ」

「はいはい。それで?何の用で?」

「んー、お顔の具合は大丈夫?あとは・・・」

こんな風に不意打ち気味にくるマスターが嫌いでもあり、心強いとも思うのだけれど、やっぱり嫌い。でも“経緯”を一番知っている人だから無視もできない。

「・・・」

「言いたいことや、言って楽になることがあるなら今聞こうかと思ってね。朝のうちに」

無意識が言葉をせき止める。鼓動が早くなり、喉が詰まったように音を遮る。マスターの目を見ることができなくなる。

「おっと・・・そうか辛いか。わかった。話さなくてもいいが、無理はするなよ」

朝の空気が吸いたくなったのは、そんなつもりはなかったけれど、マスターの思う通りなんだろう。

まだ時々思い出してしまう。火の海になった部屋を。あの男の表情を。
焼け焦げた肌の臭い、喉に入りこむ熱気。

『あさひ!俺を捨てるのかよ!』

うるさい黙れ。もう私には関係ない。次会ったら・・・。


ガシャン!


何らかの人間(言うまでもなくマスター)がこけた音。そして野太い悲鳴。

「はぁ・・・」

部屋を出て、ホールへ出ると前のめりに倒れているマスターとその手からこぼれたカトラリーが一直線に並んでいた。

「大丈夫ですか?」

「今日は踏んだり蹴ったりだ。さっき殴られたし、踏んだり蹴ったり殴られたり」

「何いじけてんですか。踏んでもないし、蹴ってもないし、さっきのはノックしないマスターが悪い」

「着替え終わってたじゃん・・・」

「そういう問題じゃないです」

とりあえずカトラリーを拾ってカウンター内のシンクで洗う。

「俺は?」

「いつまで寝てるんですか?汚いですよ」

「えー冷たーい。ここは極寒だー」

無視していると、飽きたのかすっくと立ちあがってカウンターへ入ってくる。

「汚いですって。エプロンだけでも替えてきたらどうですか?」

「ま、そうだな」

カッコつけて背中を軽く叩き、扉の向こうへ行くマスター。

「・・・なんでセクハラ」

「え!セクハラ!?」

地獄耳かよ。いいんだよ反応しなくて。

「いいから着替えてきたらどうですか!」

「今着替えてるー!」

いいんだって、反応しなくて。

洗い終わったカトラリーを拭いて水を切り、セットを作る。

カトラリーケースにそれぞれナプキンを敷いて、スープスプーンが2つ。ナイフとフォークを2つずつ。箸を2膳。

これを繰り返してだいたいそれぞれ10セット。なくなったらまた作るけど、注文が偏らない限りそうそうそんなことにはならない。

──時計を見ると開店30分前。作り終わったセットをトレイに乗せ、カウンターの中へ持っていき、毎朝のルーティン作業が終わる。

もうひとつ。

普段は使わない、棚の奥にしまってある綺麗な包丁。

静けさの中、マスターの着替える音だけが微かに聞こえる。

取り出して状態を確認し、軽く研ぐ。そしてまた丁寧に奥へしまっておく。

一度裏へ行き、包帯の具合を確かめる。色のない目。ほとんどわからない表情。嫌な女。

「あーさひちゃーん!おはよー!」
野太い声と共にドタドタと品性のかけらもない足音が鳴り響く。まだオープン前だっての。

「マスター。これ、おみやげ。こういうの好きだと思ってさ」

「これは・・・仮面ライダーブラックRXの可動フィギュアじゃないか!素晴らしい!」

「中古ショップやってる友達から譲ってもらったんだけどね。最近じゃ転売ヤーにやられてなかなか出回らないレアものらしいよ」

「これは、是非とも飾らせてもらおう!」

「さすがマスター!」

「変身!」
「変身!」

 店に戻ってみると大の大人が二人で変身ポーズを取っている。

「俺は、太陽の子!」
「仮面ライダー、ブラック!」
「RX!」
「RX!」

「楽しそう」

「お、あさひちゃん!どうだいこれ、あさひちゃんも見てみてよ!」

持ってくるマスターの目がキラキラと輝いている。まぶしい。遮光カーテン欲しい。

「そうだねーすごいねー」

とりあえずあしらって、オープン前の仕上げにかかる。ふさふさのモフモフでその辺の埃をさっくり払って、間違って仮面ライダーもモフモフしてしまったけど、きっと気持ちいいだろうから気にしない。埃も取れていいでしょ。

「え、そんな汚くないよ!?」

「あさひちゃん、今日もキレキレだねぇ。そういうあさひちゃんが好きなのよ~」

「マスター、もうオープンですよ?早くしまってきてください。丈さんはいつものですか?」

常連の丈さん。今朝のようにマスターに何かをあげて喜ばす。こうしてマスターの部屋は狭くなっていく。今日またひとつ増えた。

「飾りたい」

「ダメ」

「俺の店」

「ダメ」

「なんで」

「ダメ」

「ちょっと・・・ちょっとだけ考えて」

「じゃあ考えておくので、しまってください」

「・・・はい」

せっかくおしゃれなのにどうしてあんなの飾らないといけないのか理解に苦しむ。喜ぶの常連の男たちだけじゃん。

「キビシイねぇ」

「そうですか?ちゃんと考えてますよ」

「・・・ところで、大丈夫なの?お顔の調子は」

「・・・まあ」

「この間はごめんね。あんな酔っ払い連れてきちゃったもんだから、その・・・」

「口裂け女、ですか?大丈夫ですよ」

「あのバカにはキツく言っておいたから」

マスターが戻ってきたら開こうと思ってたのに、全然戻ってこない。仮面ライダーの場所なんてあとで決めればいいじゃん・・・。

「犯人って捕まったの?」

脳裏にあの男が浮かんで、内臓がギュッとする。

「・・・まだ」

「そうか、早く捕まるといいな」

「うん、そうだね」

やっと扉が開いて、マスターが顔を出した。

「遅いですよ」

「いやー大好きなRXをどこに置こうか迷っちゃってねー。結局、神棚の前で決めポーズ取ってもらうことにしたよ」

それは神様を守っているのか?とりあえず今日もお店を開きに行く。


いつもと変わらなかった。この時点で今日起こることを予想できた人がいただろうか。
いつもと違うことなんて、丈さんがこの間のことを気にしてくれたことくらいだった。

仮住まいの喫茶店に来るはずのない人間がまさかそこに居るなんて。
本当にあの男が現れるなんて。

すっかり日が昇った。今日も喫茶「青空」が開店する。


#2 見覚えのある顔

店の扉を開いて、掛け看板を〈CLOSE〉から〈OPEN〉へひっくり返す。

「あ、あさひちゃん!」

常連の蓮さんだ。小太りで金髪、汗っかき。アロハシャツみたいな柄シャツをよく着ている。そんな情報いらない。

「丈さんもう来てますよ」

「また開店前に来てるのか!ずるいなー」

「そんなことで対抗心燃やさないでください」

「ところでさっきあさひちゃん探してるって人見かけたから、教えといたよ」

「え、誰ですか?」

思わず、手に力が入る。・・・あの男だったら。

「めっちゃ綺麗なお姉ちゃん。髪が長くて、清楚系って感じだった」

男じゃない。でも、髪の長い女が「あさひ」を名指しで探している。胸をなでおろしきる前に全く別の方向からざわつく。

「なんて言ったんですか?」

「え?あさひちゃんなら〈青空〉って喫茶店にいますよって。お姉さんって言ってたから。あさひちゃんってお姉さん居たんだね」

「ちょっと中に入ってもらっていいですか?」

太めの腕をぐいっと引っ張って店内に戻る。そんな長くは居なかったはずなのに、汗が噴き出しているのを感じた。蓮さんの腕を掴んだせいかもしれない。

「お、蓮さんもきたんだね。おはよっ」

「いらっしゃい!」

「どうも~!っととと、どうしたっての?」

店内の三人を見渡す。毎日必ず来る常連はこのふたりだけ。ちょっと無茶だけど、やるしかない。

「今日一日だけ、私を“あさひ”と呼ばないでもらえませんか?」

深々と頭を下げる。こうするしかない。

「な、なんだい?藪から棒に」

「もしかしてあのお姉さんって言う人に知られたくないの?」

「・・・はい」

「蓮さん、そのお姉さんってのは?」

蓮さんが会った女性について、説明を始めた。時間がない。話に聞く限り、姉はもうすぐそばまで来ている。

「わかった。協力しよう」

マスターが最初に声を上げた。残るふたりはマスターに続いた。

「なんて呼べばいい?」

考えてなかった。確かに名前を呼ばないのは変だし。呼びやすそうで似てない名前。

「サヤって呼んでください」

「サヤちゃん・・・」
「サヤちゃん・・・」
「サヤちゃん・・・」

イマイチしっくりきてなさそうな声がこだまして消える。スーッという音が聞こえてきそうな静けさが残る。

「なんかAV女優みた・・・」

「やっぱり変えます」

扉がきしむ音が聞こえてきた。蓮さんが弁解する暇なくマスターが最小限の声で呼びかける。

「わかった。サヤちゃんって呼ぶからね。いいね?サヤちゃん」

「はい、お願いします!」

もう新たに考える時間なんてない。“サヤ”それが今日の名前。

鐘の音が鳴る。迷いがあるのか、響きが弱々しい。

「ごめんくださーい・・・」

柔らかく響く声。一瞬、店内の時間が止まっていた。

「あの?」

「おや、いらっしゃい!どうぞ、お好きな席へ!ほら、あさっ・・・サヤちゃん、お水!」

「はいマスター!」

こんなにテキパキ働いたことが今まであっただろうか。身体に余分な力が入って、まるでロボットにでもなったようだった。トレイに乗ったグラスの水が津波を起こしそうになっている。

清楚な女性(蓮さん談)は席を決めかねているようだった。どうやらカウンター席に座りたいけれど、常連の男二人の隣はちょっと気後れするらしい。それはそう。

「丈さん、蓮さん、良かったらテーブル席へどうですか?」(ニコニコ)

「あ、あー!お姉さんよかったらこちらどうぞ!いやー気が利かなくて申し訳ない!蓮さんほらっ」

「お姉さん、さっきはどうも!お店わかったみたいで何より!」

そそくさとテーブル席へ移動したふたりにあとでアイスクリームをサービスすることにして、今はまず清楚な女性(蓮さん談)にお水を出す。

「どうも先ほどはありがとうございました!」

清楚な女性(蓮さん談)はカウンター席に座るなり、マスターに何か聞いている。恐らく“あさひ”に関してのことだろうけど、マスターはまずメニューの話にすり替えていたように見えた。さすがマスター。

急な丈さんの耳打ちに思わず身体が仰け反りそうになる。ちょっと息がくさい。

「あさっ・・・サヤちゃん。あの客は誰なんだ?協力してるんだから教えてくれてもいいと思うけど」

「まだ確信が持てなくて・・・」

違う。確信が持てないんじゃない。現実を受け止められてないだけ。わかってるけれど、どうしても頭が拒む。姉がこんな場所に居るはずない、来られるはずがない。

「モーニングセットお願いします」

テーブルの男たちが「可愛い」だの「綺麗」だの「あんな彼女欲しい」だのと言っている。そう、姉は綺麗だった。おしゃれで、センスも良くて、男子たちにもよくモテた。それがコンプレックスで、男勝りに振舞ったこともあった。でも、髪の毛は切らなかった。姉と約束していたから。

一緒に伸ばそうって。

マスターの声で引き戻された。すっかりボーっとしていた。

「サヤちゃん!サヤちゃん!モーニングセット入ったよ!」

「あ、はい!」

マスターがコーヒーを淹れる間、カトラリーセットを席へ運ぶ。

姉と思しき女性に顔をまじまじと見られて思わず逸らす。

「あの、大丈夫ですか?」

「はい、お気遣いなく」

「あの」

「なんでしょうか?」

「“あさひ”という人がここで働いていると聞いたのですが」

「彼女なら今日はお休みです」

「そうですか」

「それでは失礼します」

「あの」

「なんでしょうか?」

「どこへ行ってるとか、知りませんか?」

「すみません。見ず知らずの人にそこまで答えることは」

「私、その子の姉なんです。天野夕夏と申します」

「天野さん・・・ですか。確かにお姉さまのようですが、あいにく知らされていないのでお答えできません」

「そう、ですか」

背中から「なんかちょっと冷たくない?」とか聞こえるけれど、知ったこっちゃない。姉だということが確定した。この綺麗なお姉さんが。

“あさひ”という女がコンクリートの地面を舐めている間に、この女は実に快適な生活を送っていたに違いない。それはあの長く伸ばした艶のある綺麗な髪の毛を見れば一目瞭然だ。

そんな考えが頭を過ぎる自分が嫌になる。

話は終わったので、モーニングセットを作りにカウンターの中へ入る。

背中でマスターと姉の会話を聞いていた。

「夕夏さんだっけ?ごめんなさいね。あさひちゃんちょうどお休みで」

「いつまでお休みなんですか?」

「えっ・・・と」

どうして自分から墓穴を掘りにいくのか。思わずマスターの後頭部を一瞬睨む。

「あと一週間は戻らないと思います。どこかに旅行でも行ってるんじゃないでしょうか」

「え、あの子が・・・」

「どうかしたんですか?」

「ええ、こんなことを話していいのかわかりませんが、妹は生活に困っているはずだと聞いていましたので」

「・・・どういうことですか?」

思わず手が止まる。なんだ、どこの情報なんだ。

「実は妹とは中学生の頃に離れ離れになってしまっていて、私も最近までは詳しいことは知らなかったのですが」

「へぇ、中学生の頃に?」

「はい。それで先日、ラジオを聞いていたら聞き覚えのある名前が出てきて」

椅子を引く音がして、振り向くと蓮さんが椅子をこちらに向けていた。

「それは俺も聞いた。放火されたアパート、最も激しく燃えていた部屋の借主の名前は」

「浜田あさひ」
「浜田あさひ」

そうだ。放火事件がニュースに乗らないわけがない。

「犯人は逃走中。あのラジオで聞いた時には名前は公表されていなかったはず」

「はい。私には妹の名前だけで十分でした。あれを聞いて、探そうと決めたんです」

皮肉だと思わずにはいられない。あの男のせいで人生をめちゃくちゃにされたと思ったら、まさか姉に引き合わせられるなんて。こんな状況で。

「こういう時、どうしたらいいかわからなくて、探偵の方に頼ってみたんです」

「た、探偵ですか?仮面ライダーみたいだ・・・。本当に居るんですねぇ」

彼女は鞄から名刺を取り出して見せた。モノクロなデザインで男物のハットのワンポイントに〈南雲探偵事務所〉〈探偵 南雲洋介〉住所、電話番号、メールアドレス。

「そういえば、駅前で看板か何か見たことあるかもなぁ。“ナンクモ”?“ナンウン”?“ウンナン”?」

常連ふたりが腕を組んでウンとかナンとか唸りだす。実際なんて読むのかわからなかった。ウッチャンナンチャンではない。

「“ナグモ”さんだそうです」

「“ナグモ”か!」

マスターに背中を小突かれた。お皿にはキャベツの千切りが乗ったまま、すっかり話に聞き入って手が止まったままになっていた。このままではシナシナになってしまう。

「話の途中だけど、まずはみなさん、コーヒーをどうぞ」

マスター自慢のコーヒーが姉の前に置かれ、テーブルのふたりにも出される。

食パンをだいたい4センチに切って、トースターへ放り込み、フライパンを熱して卵を割る。蓋をして、ベーコンも焼く。

予め切ってあるきゅうり、トマトを飾って、ドレッシングをかける。
卵とベーコンの様子を見ているとパンの焼けたいい香りが漂ってくる。

焼けたベーコンと目玉焼きを盛って、「チン!」と聞こえたら、まな板でサクッと切ってお皿へ。バターを塗ってあがり。

姉の前にコーヒーとモーニングが並び、テーブルのふたりにも並ぶ。

「え、どうして!?」

「今日はサービス」(ニコニコ)

「あっ・・・なるほど。あさ、サヤちゃん、ありがとう」

「いただきまっす!」
「いただきまっす!」

一時の平穏。店のBGM以外はみんなの食べる音だけが聞こえる。

このままでいいのに。サヤとして、あくまでもお客さんと一店員として、当たり障りのない会話を続けていたい。でも自分の奥深いところで、それでは満足できない黒い炎が燃えている。

「うま~」

「やっぱりあさ、サヤちゃんの作るモーニングは美味しいわ」

姉の手が全然進んでいない。コーヒーは飲んでいるけれど、サラダに少し手を付けただけで止まっている。

「よかったら最近のあさひの様子を教えてもらえませんか?」

「ちょっと待って、先に・・・」

「よかったら、食べてやってください。きっととても気にかかって落ち着かないんだと思います。けれど食べなきゃ、回る頭だって回らないですよ」

よく見るとナイフとフォークを持つ手に力が入って震えていた。
彼女はゆっくりと息を吸って、吐き出した。
一度ナイフとフォークから手を放し、やっとトーストに手が伸びた。

「その・・・暖かいうちに食べた方が美味しいです」

「そうですね。そういえば朝から何も食べていませんでした」

「これはあさひさんと同じ作り方です。彼女から・・・教わったので」

「あの子が料理だなんて考えたこともなかったのに。そっか、いつかここで食べてみたいな」

反応できなかった。なんて返せばいいのかわからなかった。「私があさひです」なんて今更言えない。今のを聞いた全員が私を見ている。姉だけが、夢中で食べていた。

静寂のなかで、姉の食べる音だけが店内に響いていた。


#3 「龍翔」

長い長い15分。姉は綺麗に完食してくれた。口を拭く仕草すら上品で、まるで別世界の住人。

「このトーストはとても美味しゅうございますわ。どちらの小麦を使ってらっしゃるの?」とでも言いそうだった。近所のパン屋でもらってるごく普通の食パンだよ。1斤150円。

ったく姉がお姫様なら、妹はなんだ?毎日カップラーメン啜ってる貧乏学生か?

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

手を合わせて軽くお辞儀をする。何度見ても髪の毛が綺麗。どんなトリートメント使ってるんだろう。姉妹のはずなのに、根本的に何かが違うような気がしてくる。さあ、早く帰ってくれ。あまりここに居られると、いろいろややこしいんだ。ごめんね。

突然の電子音。全員がビビった。音の発信源は姉のポーチだった。

「探偵事務所・・・。すみません、ちょっと失礼します」

そそくさと外へ出ていく姉を全員が見守っていた。閉まりきる前のドアから「もしもし」だけ聞こえて、閉じた。

「・・・とりあえず、お姉さんに手料理食べてもらえて良かったじゃない」

「良くない」

肩に乗ったマスターの手の重みがやけに重く感じるのはたぶん自分のせい。

「ん?」

「いま再会したくなかったのに」という言葉が喉まで出かかって止めた。

「おかげでそこのふたりにモーニング奢ることになった」

「ご馳走様でした!姐さん!」
「ご馳走様でした!姐さん!」

「誰が姐さんだって!奢った理由ちゃんとわかってる?」

息の合ったコンビによる「お口チャック」のジェスチャー。よろしい。

続いて蓮さんが「あ、ひらめいた」のジェスチャー。え?

「そういえば、お姉さんが居たからタイミング見失ってたけど、言っておいた方がいいと思ったことがあって」

「なんすか?」

「龍翔(りゅうと)を見た」

#4 痛み

カーテンを締め切った薄暗い部屋の明かりを点ける。薬箱を探す。なめ猫のやつ。

“龍翔を見た”

気になったものの痛みで思考がかき消される。今は早く取り替えないと、どうにかなってしまう。

あの言葉で視界が揺らいだ。“龍翔”。実際に音にされると全身の毛が逆立つような気持ち悪さが走った。

何をしたか覚えていないけれど、洗い桶の水が包帯に掛かって洗剤が染み込んできた。最悪だけど、痛みで正気に戻った。

薬箱を取り出して洗面所へ向かう。何か当たって物が落ちる音がしたけれど、構ってられない。さらに指を角にぶつけた。でも気にしていられない。

早く、早く取りたい。

隣の洗濯機に薬箱を置く。ぬるま湯を出して包帯を濡らす。これで剝がす時に痛みがめちゃくちゃ減る。やらないと痛みで死んでしまう。一度死んだし、先生に怒られた。

痛みがすこし落ち着いてきた。まだ荒い呼吸を落ち着けてこめかみのテープへ手を伸ばす。慣れてきたとはいえ、未だに緊張する瞬間。

取れた包帯の内側にはまだ黄ばみがある。これがもっとなくならないと包帯は無くせない。でも今、無くせないのには別の理由もある。

鏡を見た。まだらに赤みを帯びた顔のショートカットの女。

姉とはもう似ても似つかない。

綺麗な長い髪、手入れの行き届いた肌。隠す必要のない笑顔。

目の前の女は誰だ。一体誰だ。あれが姉?本当に?笑えない冗談だ。

目を逸らした。なんとなく薬箱を眺める。「なめんなよ」と書かれた旗を猫が持っている写真のシールが貼ってある。もちろん自分で貼った。開くと中には包帯、ガーゼ、テープ、綿棒に軟膏やクリームが入っている。乱雑?確かに整頓はされてない。

とりあえず顔を洗う。包帯を巻いていたあたりを重点的に。ぬるま湯が不快な体液の固まりや汚れを落としていく。傷に液体が当たると一瞬痛むけれど、乾けばヒリついた痛みがだいぶ引いていく。

フェイスタオルもガーゼ状の物を買った。ポンポンと優しく叩くように余分な水滴を吸わせていく。傷を擦ると泣けるので、細心の注意を払う。
——どうしてこんなことをしなければならないのか。

あの男にさえ出会わなければ。

あの日、彼に別れを切り出した。実の親も知らず、姉とも別れ、親のように接してくれた人たちは片方が事故で死んでから変わってしまった。
一人で暮らすために高卒で働いて、お金を貯めた。家を出た後すぐに“親だった人”は再婚し、それからほとんど連絡はとっていない。

時々、姉のことを思い出した。

憧れていたつもりはなかったけれど、姉のように髪の毛を伸ばしたし、子供ながらに化粧も教わった。今思えば、あの時は姉も上手くはなかった。

短気なところがあるせいで仕事でも順風満帆とは言えなかった。そんな中で喫茶店「青空」に出会った。初めて飲んだ喫茶店のコーヒーは苦かったけれど、缶コーヒーよりずっと美味しかった。あと、喫茶店でコーヒーを飲んでいるというシチュエーションがなんかオシャレっぽくて好きだった。

酒なんか飲んでいないのにマスターに絡んでは愚痴ばっかり言っていた。ほとんど仕事のことで、あとは男たちへの文句や「彼氏が欲しい」とか。

マスターはいつも「うんうん」と聞いてくれた。あの頃は人を殺したいなんて夢にも思わなかったし、ただのめんどくさい客くらいだったと思う。
常連のおっさん達に会ったのもそれほど遅くはなかった。初対面でいきなりナンパされて、手を握られて張り倒した。

マスターのおかげで大事にはならなかったけれど、さすがに怒られた。もちろんふたりも。後で悪い人じゃないとわかったけれど、しばらく口も聞かなかったし、「丈さん」「蓮さん」と呼ぶのは喫茶店で働くようになってからだった。

喫茶店で働くきっかけは、元職場での上司からのセクハラ。

あの姉の妹だから、それなり見た目は良かったってことだけど、それが災いした。

高卒だということに付け込まれて、給料と“面談”を天秤にかけられた。最初はビビって何もできなかったけれど、ある日“あの禿げ頭”をぶん殴ってやったら、そのままクビになった。

みんなが見てる前でまた「面談の時間だな」と耳打ちされて、常連のおっさんを張り倒した時を思い出した。同じように今度はグーで殴ったら、上司のヅラが吹っ飛んで机に倒れこんだ。めちゃくちゃ気持ちよかった。周囲の人間が全員明らかに噴き出すのを堪えていた。最高の瞬間だった。

そのことをマスターに話してたら、アルバイトに誘ってくれた。ちょうど女性のホールが欲しかったとか。それまではマスター1人でやっていて、食事のメニューもほとんどなかった。
今思えばどれも解凍するだけで出せるものや、アイスクリームみたいなデザート類だけだった。

それからこの喫茶店で働くようになって、コーヒーを淹れるのは今でも下手くそだけど、食事メニュー担当に立候補して創作(ありそうなメニューのマネ)もした。一人暮らしで多少料理していた経験が役に立った。

当時、今住ませてもらっている部屋は亡くなった奥さんの部屋としてそのまま残っていた。中はほとんど倉庫のようだったけれど、奥さんの写真やマスターの若い頃の写真が並んでいる棚だけはとても綺麗で、毎日手入れされていたように見えた。

実は今使わせてもらっている家具もほとんどが亡くなった奥さんが使っていたもの。火事で住む場所を追われた時にマスターが間に合わせとして用意してくれた。

喫茶店で働くようになって、給料は下がったけれど、毎日が楽しかった。雑誌や本を読んで、新しいメニューを考えるのが趣味のようになっていった。料理教室に通ってみたこともあったけれど、なんとなく合わなくて辞めてしまった。

もしかしたらあの時続けていれば、あの男に惑わされることもなかったのかもしれない。

——静まった洗面所に、顔を洗う音だけが響く。

姉はとても恵まれてそうだった。

きっといいところに引き取られて、育ててもらったのだろう。

そんなことが過ぎると胸が冷たくなった。どうして私だけ。どうして私は今、ここで醜く焼けた顔を洗っているのか。どうして、あんな男と出会ってしまったのか。どうして、あんな綺麗な姉をこんなタイミングで見せつけられなければならないのか。私だけ、私だけ、私だけ・・・。

なんとか、この這い出す黒い感情ごと洗い流してしまいたくて、何度も、何度も洗っていた。

#5 あさひの居ないところで

常連ふたりがどんよりする中、マスターはモップでびちゃびちゃになった床を拭いていた。キュッキュッと滑るのを必死に耐える音が店内に響く。

「蓮さん、本当なんだろうな?龍翔を見たってのは」

「噓じゃねえよ。丈さんだって見てるはずだ。ジーパンにダボダボのパーカー、首にシルバー巻いてて・・・」

「ああ!見た見た!!あいつか!」

「丈さん気付かなかったの?」

「チャラいのがいるなーとは思ってたけど、まさかあいつがその辺うろついてるとは思わないだろ?」

「鈍いなぁ。そもそも捕まってないんだよ?あいつが行くところなんて、パチ屋か、女の部屋か・・・」

「そういえば、ここにも来た事あるんだよな」

「そういや、あさひちゃんの料理ベタ褒めしてたの思い出した」

「あーアレ、絶対きっかけだよな?」

「最初はすっかり懐いたように見えてたのに・・・」

「やめよう。なんにせよ、警察に追われてる人間がこんなところに顔出すとは思えないし」

「確かにな。ああいうのはどっかの女の部屋にでも匿ってもらって、いいことしてもらってんだろうな」

「願望混じってない?」

「俺ももっとイケメンだったらなぁ・・・」

「ハァ・・・」
「ハァ・・・」

マスターがモップをしまって戻ってくる。床の洗剤はすっかり消えて、水滴が残るのみになっていた。

「はぁ、誰もコケなくてよかった。主に俺」

軽やかな鐘の音が響いて、夕夏が戻ってくる。

「ここに来れて良かった!探偵事務所の方とここで待ち合わせすることにしました。ここなら失礼もなさそうで、変に緊張しなくて済みそうです」

「ここで」
「ここで?」

「ええ、皆さんも直接探偵の方を見たそうだったのでせっかくだし、と」

「えーまあ興味あるのはそうだけどねぇ?蓮さん」
「現実の探偵もハット被ってるのかは気になるけどね?丈さん」

「それはよかった!」

ぴょんぴょんと跳ねるようにカウンター席へ戻り、マスターへカフェオレを注文する。どうやら探偵との待ち合わせが決まったことで、肩の荷がひとつ降りたようだった。ところが周囲をきょろきょろ見まわして、サヤが居ないことに気が付く。

「サヤさんはどうしましたか?」

「え、サヤちゃん・・・サヤちゃんねぇ?」
「そういえばどこ行ったかなぁ?」

「サヤちゃんならさっき小休憩入ったから、もう少しで戻ると思いますよ」

「そうですか・・・」

なんともわかりやすい。妹と認識していなくとも、サヤとは話しやすいようだった。

「あの、気になっていたんですが・・・包帯のことって、聞いてもいいんでしょうか?」

全員が夕夏を凝視する。明らかに触れてはいけない何かに触れたような、今、パンドラの箱に手を掛けたような。思わず両手が上がる。

「あれ?あんまり、よくなさそう、ですね?」


#6 天野夕夏

夕夏という姉は元々信じやすい性格で、妹のあさひが自然とそんな姉を守るような立ち位置になっていた。

ひとつ、わかりやすいエピソードがある。


夕夏が同級生の男子にノートを隠されたことがあった。

後から考えるとたぶん、まだ純粋で男女の何も知らない男の子はただただ可愛い子に振り向いてもらいたかったのだろう。「自分だけを相手にしてほしい」気持ちを伝える方法を所謂“いじわる”でしか表現できなかったのだ。

夕夏は「砂場に隠した」という言葉を信じて、学校帰りに公園の砂場をひたすら掘っていた。
不思議なことに夕夏という女の子はこういう時「不安」や「泣きそう」とは無縁だった。信じていたのだ。

数年後、あさひだけは姉のこの強さに気がつく。
姉は決して“騙されていたわけではなかった”。

空がオレンジ色に染まる頃。5時の音楽が鳴りやんだ後に様子を見に来た男の子は、帰らない夕夏を心配して友達と探しに来たあさひと出くわす。

泣かされるのは必ず男の子の方だった。

それでも夕夏は「あの子が嘘を付くはずない」と信じて探す。
男の子は良心の呵責に耐えられなくなり、持っていたノートをつき返す。

そしてさっさと返さなかったことでまたあさひに泣かされて帰っていく。

そういう男の子が思春期になって初恋に落ちるのは「あさひ」の方だったりするわけだけど、それはまた別のお話。


夕夏はあさひと離れて以来、この“守られる立場”にコンプレックスを抱きつつも、あさひのように積極的(攻撃的とも言う)になれないことに悩んでいた。

面倒見のいい里親と出会うことができ、元来の素直な性格で多くの経験をさせてもらった。
都市部へ引っ越してから電車の乗り方に慣れるのが大変だった。真っ白で幻想的な雪国や、透き通った海にカラフルな魚たちが泳ぐ南の島への旅行は忘れられない。
ピアノを習い、飼っていたシベリアンハスキーの「ポム」とは一緒に寝るほど仲良しだった。

それでもあさひのことは忘れられなかった。

鏡を見るたびに、後ろにあさひが居たらどんな顔をしてるだろう?と考えた。
どこに行っても「あさひが居たら、きっと・・・」という考えが過ぎった。

彼ができた時も、あさひに自慢したかった。

別れた時にはあさひに話を聞いてほしかった。

一人暮らしを始める時、あさひと住んでいた町を選びたかった。
「せめて携帯電話がもっと早くできていれば、番号をメモ帳に書いて渡したのに」そんなことを思っても仕方がないことくらい、よく分かっていた。


あの日、ニュースで“浜田あさひ”の名前が流れてきた。

どうやら火事に見舞われたらしい。

再会の糸口が見えた嬉しさで心が躍った。
すぐに「そんなことは言ってられない」と自分に言い聞かせ、ニュースの情報だけで彼女の元へ向かうと決めた。

どこかの神様が、機会を与えてくれた。今度は私が守る番。


#7 来た。

全員に凝視されて思わず両手を挙げる夕夏。ここで白旗を持っていたら振っていたに違いない。

「すまない。そのことを俺の口から言うことはできない」

「も、もちろん俺も」
「俺もむりむり!」

十分想像できた答えでも、実際に言われるとちょっと肩が下がる。

「どうしても聞きたいなら、サヤちゃんの、彼女の口から直接聞いてもらいたい」

「そうですね。ちょっと無神経でした。すみません、サヤさんと話してたら、なんだか妹を思い出してしまって・・・」

奥の扉が開いた。ゆっくりと開く様子は落ち着いて見えたが、それは落ち着きではなく、緊張だった。

「蓮さん、さっきの話を・・・おね、夕夏さん」

出てきたサヤに包帯はなく、男性用のブカブカのマスクで頬まで覆われていた。それでも隠しきれない傷跡がわずかに覗かせている。

「その傷・・・」

龍翔のことで頭がパンクしたあさひは姉が戻ってくることを完全に忘れていた。

姉が、マスクのふちを凝視している。

ところが、夕夏の取った行動はあさひ以外の全員を驚かせた。

「サヤさん大丈夫ですか!?包帯は?これはひどい・・・」

「えっ・・・」
「えっ・・・」

夕夏以外の全員の心の声が一致していた。「今、絶対にバレていたはず」

「よかったら私にやらせてもらえませんか?包帯。きっとひとりで巻くの大変なんですよね?」

「あ、いえ、大丈夫です。マスクでも大丈夫なんでホント・・・」

「そうは見えません!あまりこういうのに詳しくないので、どういったケガなのかまではわかりませんが・・・軽いものでないことくらいわかります!」

見かねた常連ふたりが間に入った。とても助かった。

「夕夏さん、とりあえず一旦落ち着きましょう。ね?」

「でも・・・」

「傷の具合については本人が一番よくわかってますって!ねえ、丈さん!」

「そうそう!ね?マスクして出てきたってことは、その程度の痛みしかないってことなんですよ」

なんか引っかかる言い方だけど、助けられた。夕夏は深呼吸して、一度席へ戻った。

「すみません、取り乱してしまって」

「まあとりあえず、アイスカフェオレです。どうぞ、一息つきましょう」

夕夏の前に冷えたカフェオレが置かれた。氷の音が心地いい。

「この氷・・・」

「コーヒーを凍らせて作ったものです。試しに作ってみたらよかったんですよ。これが」

「コーヒーゼリーみたい」

「ええ、これなら最後まで濃いカフェオレをお楽しみ頂けると思いまして」

マスターのおかげで夕夏はすっかり落ち着いた。

それにしても、あの姉の必死な行動。あれは気づいていないのか?本当に?

丈さんも蓮さんもホッと一息ついている。束の間の平穏に思える時間が訪れた。マスクだと、擦れてピリピリする。それでも耐えられないほどではなかった。本音を言えば、姉に巻いて欲しかったけれど。

マスターや丈さん、蓮さんと仲良く話している姉が輝いて見えた。

こんなマスクなんか取って、話したい。笑いたい。髪の毛だって、本当は・・・。

目の前が潤む。咄嗟に壁の方を向いて隠す。どうしよう、溢れてくる。

「サヤちゃん・・・大丈夫かい?」

「あの、ちょっと、大丈夫です!」

「・・・それならいいけど?」

鐘の音。扉を開けたのは黒いジャケットにハットを被った、いかにも探偵という出で立ちの男だった。

煙草をふかして入ってくると、なんの迷いもなく夕夏の隣へ座り、ホットコーヒーと灰皿を注文した。その場のマスター以外が全員どよめく。

「南雲さん、ですか?」

「ええ、初めまして、南雲探偵事務所の南雲洋介と申します。天野・・・夕夏さんでお間違いないでしょうか?」

「はい!よろしくお願いします」

「では手短に・・・浜田あさひさんの件ですが」

マスターが置いた灰皿に流れるように灰を落とし、懐から取り出したメモ帳をペラペラめくっていく。

「どうやら偶然にも、こちらの〈青空〉で働いていらっしゃるようで」

「それは私もここで聞きました。今はお休み中みたいです」

「・・・?そんなはずは」

「それよりも、どうぞ。ウチの自慢のコーヒーです」

探偵は相変わらずメモ帳をペラペラとめくりながら、マスターのコーヒーを口に含む。顔は整ってはいるが仏頂面で、どうにもあさひには好きになれないタイプだった。

「これは・・・マスター、とても美味しいです。こんなお店を知らなかったとは」

こういう時にマスターはすごいと思う。あの表情筋が息をしてなさそうな男を一発で笑顔にしてみせる。あのコーヒーには何かの魔法がかかってるに違いない。

そんなことを悠長に考えている場合ではない。

「んー美味しい・・・。しかし、あさひさんという方の現住所は」

「どこなんですか?」

「ここのはずなんですが・・・」

「ここ、とは?」

「〈青空〉です。調べたところ、ここの一室に住んでいると」

常連たちはもう探偵が来た時点で諦めていた。

マスターはなんとか引き延ばそうとしてくれていたけれど、もう限界。

マスク一枚では、もう逃げ場はなかった。

「夕夏さん、いや、お姉・・・」


「うわー懐かしー!」

乱暴な鐘の音に全員が振り返る。真っ黒な恰好でダボついたパーカーにシルバーのネックレスやピアス、脱色した髪の毛。聞き覚えのある声。

夕夏と探偵以外の全員の空気が変わった。あさひの身体は意思とは関係なく、予めプログラムされていた機械のように迷いなく冷徹に、誰にも気づかれずに任務を遂行した。シンク下の棚は半開きの状態で、既にその手には、よく研がれた包丁が握られている。あさひには“握った”という感覚すらなかった。

「あーマスター!お久しぶりっす!」



#8 震える腕。

久しぶりに対面した彼はすっかり別人になっていた。でももう、そんなことに戸惑う女は居ない。

不思議とあさひの頭の中は澄み切っていた。まるで一点の曇りもない、穏やかな風が頬を撫でるような気分だった。目の前にいる獲物にいつ飛び掛かるのか、タイミングを見定め、姿勢を低くして待つような自分とテレビで見た猫が重なった。

「ねぇマスター、またあのコーヒー飲みたいな」

なんの躊躇いもなく、夕夏と探偵の間に割って入った男。そのまま夕夏をナンパし始め、守ろうとした探偵に絡み始める男。上手くいかないと分かると常連ふたりに絡み、憂さ晴らしを始める男。

全て、彼だった。

「お前、金はあるのか?」

「ちょっとやめてよマスター。あるに決まってんじゃん。さっきさぁ、10万くらい勝っちゃったの。今日めっちゃついてるのよ俺」

「今、どこに住んでいるんだ」

「え、マスター知らないコのとこ。うざいけど、毎日ご飯つくってくれてちょうどいいんだよね」

包丁を握る手に思わず力が入る。震える腕を反対の手で抑えた。まだ、ダメだ。みんなにバレてはいけない。あの男以外、傷つけたくない。時を、待って、その時を。絶対にやるために、落ち着け私の腕。

探偵が何やらメモをめくり始めた。それでも夕夏に意識を向けていることはわかる。今はそれが助かった。

「小西、龍翔か」

「え、何?おっさん。なんで名前知ってんの。こわ」

「探偵、だからな。偶然にもお前の情報も集めていた。浜田あさひはわかるな?」

突然出てきた「あさひ」の名前に夕夏が反応する。

「どうして妹の名前が出てくるんですか?」

「え?妹?なに、あさひのお姉ちゃん?あさひにお姉ちゃん居たんだ!へぇー」

夕夏にベタベタと絡み始める。明らかに嫌がっている様子にも関わらず、堂々と身体に触れる。

「綺麗だね・・・お姉ちゃん、好きになっちゃいそう」

身体が動く、頭で考える間もなくその男の脇腹に

「ダメだあさひちゃん!!」

丈さんの声で男がこちらを向く、一瞬姉から手が離れて脇腹が逸れる。黒いものが腕を掴んだ。強い力が進むことも戻ることも許さない。

あと、数センチなのに・・・。

全員があさひを見ていた。正確には、あさひの手にあるものを。男だけがあさひを見ていた。

「あ、さひ…?マジで?」

「ああ、そう。わからないよね、お前は」

「なにそのマスク」

全員の視線が龍翔に移る。再び包丁を握る腕に力が入る。次は邪魔な黒い腕が揺らぐ。これなら何度かやれば、届く。

「やめるんだ。あさひさん!」

「あさ、ひ…?サヤ…さん?」

姉は状況を飲み込めずにいるようだった。あまりに多くの事が起きすぎているのだから無理もない。

「なにコレ…?お前、俺を裏切っておいてさ…今度は殺そうっていうワケ?なんだよ、その髪ダッサ」

腕を振り上げようとするが揺らぐだけで止められてしまう。黒いスーツの腕を掴んで抵抗を繰り返す。絶対やる。今やる!目の前に居るのになんで届かない!

「ふざけるな・・・」

マスクを取った。…マスクを取った。そう、マスクを取った。みんなの前でマスクを、取った。
全員の表情が歪む。誰にも見られたくなかったこの顔。あの男の目にだけは焼き付けさせないと気が済まなかったこの顔。


今だ。


「あさひダメ!!」

姉が立ちはだかった。常連ふたりが既に動いていた。探偵が掴みそびれた手首の代わりに二の腕を掴まえる。包丁をつかもうとする姉を蓮さんが引き離す。

あの男を丈さんが引き離す。なんで、邪魔するんだよ・・・!

「見ろよこの顔・・・おい、見ろよ!目ぇ逸らすな!!」

切先を、全力を男へ向けた。暴れるのを探偵が必死に止めているのがわかる。抗った。全身で抗った。声が枯れるほど叫び、探偵も立っているのがやっとのようだった。言葉にならない言葉が口から吐き出された。何を言っているのかなんてわからなかった。なんでも良かった。この包丁があの男に届けば。

マスターが腕を掴んで明後日の方向へ向けた。思わず、包丁が落ちる。


姉が包丁を取り、抱き抱えた。


#8.5 夢。

ある晴れた日のことだった。綺麗な景色の公園で、彼とピクニックに来ていた。

ランチバスケットを開くと、そこにはカラフルで美味しそうなサンドイッチ。中身は卵、イチゴジャム、ブルーベリージャム、オレンジマーマレード・・・。

かわいいシートの上で、二人で一緒に缶ジュースを開けて、好きなサンドイッチを頬張った。

バスケットの中にはまだ、レタスに乗ったトマトやきゅうりのスライス、キャベツの千切り。

彼は何度も「美味しい」と言って、笑顔で食べてくれた。

その顔を見てるだけで幸せだった。

そんな時間が永遠に続けばいいのにと思っていた。

でも

これは、夢。
起こらなかったこと。
そうはならなかったこと。
全ては燃えてしまった。

“彼”も、全て。

#9 あの日の夕暮れ。

喫茶店で働くことにも慣れてきた頃に彼は現れた。パッと見、綺麗な黒髪のイケメンでここに来る客の中では上位に入れてもいいレベルのカッコよさだった。

マスターに「久しぶり」と言った彼は迷わずコーヒーを注文し、マスターに何やら近況を話していたようだった。堂々としていて、自信に溢れているように見えた彼があの時少しだけ気になった。何より決め手は当時出し始めでまだ注文数が伸びていなかったモーニングを「美味しい美味しい」と食べてくれたことだった。

そして彼はこう言った「これなら毎日でも食べたいなー」なんて。目を見つめて、その料理を作った手をまじまじと観察する仕草までして褒め倒した。

「俺、お姉さんの作る目玉焼き、好きなんだ。なんでかな」

「ねえ、お姉さん。このパン美味しいよ」

「お姉さん・・・あさひって呼んでもいい?」

——あの時、初めて自分の力でお客さんと仲良くなれたと思った。本当に嬉しかった。でも、あの男は私の料理など見てはいなかった。気が付けなかった。あの日まで。

それから毎日通っては、彼と話した。仕事が終わって、創作メニューを考える時間を削って彼と会うようになった。彼は作った料理を喜んで食べては「もっと食べたい」と褒め、そのうちに「食べ過ぎちゃった」と部屋に泊まっていくことが増えていった。最初は寝ている彼に布団を掛けたりもしたけれど、すぐにベッドへ潜り込んでくるようになった。

それから毎日のように彼は喫茶店の前で待ち伏せるようになった。一緒に帰っては身体を重ねた。彼はベッドの中でいつも私と料理を褒めてくれた。食べている時よりもたくさん褒めてくれた。

「今日も美味しかったよ。あさひ」

「あさひ。あれ、もっと食べたかったな」

「俺、あさひの料理以外、嫌いになっちゃいそう」

でも彼は徐々に料理を食べなくなっていった。皿に残った食事そっちのけで触り出し、食べるように言ってもそのまま身体を重ねられるような日々が続いていた。

いつか言っていた。「俺がこうやって元気で居られるの、あさひのメシのおかげだよ」


そんな言葉を思い出すこともなくなっていった。


それでも、悲しむ顔や辛そうな表情を見るとつい身体動いてしまった。バカみたいだと思っていた時も。

少ない時間で創作を続けていたものの、その時間さえ彼にすり替わるようになった。最初の頃、料理を褒めてくれた彼は部屋に来て、軽く食べてはすぐに求めるようになっていった。それでも毎日彼のために料理を作った。

マスターに「暗くなってきた」と言われて、ハッとした。

月替わりのメニューは使いまわしになり、週ごとに考えていたメニューも隔週で固定になった。

気が付けば、新しいメニューを考えることがなくなっていた。

朝は彼に朝ごはんを作って喫茶店へ向かい、終われば待ち伏せた彼に身体を触られ、帰れば晩御飯を作り、求められて寝る生活。「どうかしている」そう思うと、綻びは急激に膨れ上がった。

きっと、求めてくれる誰かが欲しかった。どこか寂しかった。何よりも長い夜が私をおかしくしていた。

気が付いたらそれまで持っていたあらゆるものが手からすべり落ち、“彼”だけが残っていた。でも、わかってしまった。彼が求めているものは今や“身体”と空腹を満たすだけの“食事”だと。

彼が普段何をしているのか知らなかった。ただ料理を褒められるだけで嬉しくて、求められると安心するようになっていた。

彼がベッドで寝息を立てる横で、久しぶりに創作料理メモを開くと埃が舞った。中には色鉛筆で描かれた料理のイメージと、その作り方が書かれている。味が思ったようにならなくて消しゴムで消した跡や、忘れないようにカラフルに囲ったところを見て、少し噴き出してしまった。色がぼやけて、絵が滲み、咄嗟に目を拭う。

止まらない。ノートに雫が落ちて濡れていく。あれ、どうして・・・。

寝ぼけた彼の手が身体に触れて、この時初めて悪寒が走った。

なんとか誤魔化して、着替え、彼を部屋に置いて外に出ると、まだ冷たい空気と明るくなり始めた空が心地よかった。小鳥が鳴き始めている。朝露で草や葉が濡れている。それだけで何もかもから解き放たれたような、自由を感じた。同時に、縛られていた。その事実を感じていた。

その日の夕暮れ時、いつも帰る場所が燃えていた。

書き溜めた創作メモも全て消失した。

パニックになった。野次馬をどかして部屋へ向かうと彼が笑っていた。訳の分からないことを喋って、抱き着いてきた。
何一つ理解できないまま、突き放すと顔が焼けるように熱くなった。

髪の毛が燃えていた。

なんとかキッチンへ向かおうとするが、彼の腕が力任せに絡みついて上手く動けない。真っ赤な火が彼に燃え移って初めて解放され、熱くなった蛇口を全力で捻って水を出し、顔へ、身体中へかけた。彼は服を脱ぎ捨てて、尚向かってきた。

再度抱き着いてきた彼が耳元で「君は俺のものだ」と言った声が忘れられない。

現実に存在する悪魔のような、地獄から這い出してきた声に耳の中を舐めまわされたような気分だった。「死にたくない」と思った。全力で身体を振り回し、どこでもいいから蹴られる場所を探した。

上着ごと彼の腕を脱ぎ捨てて、怯んだ隙に太ももを蹴り飛ばした。その時に彼が初めて叫んだ。

「いってぇ!!おいウソだろ、あさひぃ!なんでそんなことするんだよ!くそ、いってぇ!!」

なんの感情も湧かなかった。

びしょ濡れの身体。部屋は燃えている。目の前で男が何か叫びながら転がっている。何もかもが現実離れしすぎていた。これは夢か?実はまだ眠っていて、悪い夢を見ているんじゃないか?

もう、寝てしまおう。

そうしたら現実で目が覚めて、またいつもの喫茶店へ通う日々が始まる。

そんなことが頭の中を回っていると、オレンジ色の服を着た男が部屋へ入ってきた。何かしゃべられて、掴まれそうになった手を咄嗟に振りほどいた。

「やめて・・・触んな!!」

とにかく触られたくなかった。気持ち悪くて仕方なかった。それでも、知らない男は腕を掴んで外へ引っ張っていった。すれ違い様にもう一人の男が部屋へ入っていった。勝手に入るな。男が勝手に入ってんじゃねぇよ。そこは私の部屋だ。私の部屋なんだよ。なんで燃えてんだよ。ああ、熱い。顔が熱い。痛い。なんで痛いんだ。気持ち悪い。

「てめえ誰の女に触ってんだ!」

龍翔のドスの利いた声に背筋が冷えた。

今朝なら、いや、昨日なら少し“カッコいい”と思えたかもしれない。でもこの時はもう恐怖しか感じなかった。

消防隊の人に引っ張られながら、吐いた。まるで身体の中から現実を拒んでいるような気がした。吐き出された臭くて気持ち悪い物体は、今まで飲み込んでいた現実だったものなのかもしれない。

後ろから男の叫ぶ声が聞こえてきたけれど、頭が理解を拒んだ。

ネエ、ゴメン。ゴメン、アサヒ。オレ、アサヒガダイスキダカラサ、ツイ、カットナッチャッテサ。ネエ、ユルシテヨ。イツモユルシテクレタジャン。マタゴハンツクッテヨ。アサヒー。アサヒー。アーサヒー。

気が遠くなり、ここで記憶が途絶えた。

#10 あさひ

氷がグラスに当たる音。
カフェオレの氷が浮き始めていた。飲まれないグラスは汗まみれで、まるでこの状況を理解しているかのようだ。もちろん、そんなことはない。

夕夏は包丁の扱いに困り、結局抱きかかえるように持っていた。とにかく、誰にも渡さないことだけを言い聞かせて。

丈さんと蓮さんは龍翔の腕を捕まえている。ごちゃごちゃと文句をつけられているが、どうやら意に介していない。こういう時のふたりは頼りになる。

怒りに震える女をマスターが羽交い絞めにしていた。それを見ている男が一言

「キモ、口裂け女じゃん」

決して大きな声ではない。それでも確かにこだました。全員が聞いた。

全員に緊張が走る。

マスターの羽交い絞めにした腕に力がこもる。それでも揺れた。これでは抑える方だって痛みが伴うだろう。

「は、なんだよ・・・今さら。そんな顔の女にもう興味ないんだよね」

男は、もう自分が安全だと確信していた。恐れは感じていただろう。それでも、包丁はない。目の前の猛獣はしっかり押さえつけられている。この余裕が男を暴走させた。

「あーあーすっかり冷めちゃった。マスターまた、今度来るわ。ねえ、お姉ちゃん、名前なんていうの?あさひのお姉ちゃんだから、浜田?また会いたいなー。おい、おっさん放せよその臭い腕。服に付いたらどうすんの?」

あさひの全身が震えていた。マスターが抑えているのは、バネだ。全力で抑えつけている今、気を緩めれば、男の方へ全力で飛んで行く。あの男以外を傷つけないという理性が辛うじて、マスターの足を蹴り飛ばすという行為を止めている。

これだけの騒ぎ、外に漏れていないと考える方が難しい。マスターの考えでは、龍翔をここに留めておけば、誰が呼ばずともいずれ警察がやってくる。というものだった。

もし警察がきたら、龍翔を連れて行ってもらえればとりあえず一息つける。

探偵の手は既に携帯電話に伸びていた。しかし何が刺激になるかわからない今、音が出るため迂闊にボタンが押せない。

もし、警察を呼ぶなら探偵か夕夏が携帯電話を使うしかない。でも夕夏は両手で包丁を守ることで頭がいっぱいになっていた。そもそも、そんなことよりあさひのことが気になって仕方がない。

怒りなんてそう何分も続くものじゃない。あの男が燃料を投下しなければ、あさひの怒りは包丁が手を離れた時点でとっくに収まっているはずだった。

「もう関係ないから言っちゃおうか。なんで髪の毛燃やしたと思う?」

「おい、もうやめろ!」
「てめえ、いくらなんでも・・・!」

「うるさいよ、おっさん達。喋んなくていいから、早く手ぇ放せよ。・・・なんで燃やしたと思う?まあ、顔まで燃えちゃったのは予想外だったけど。へへ、こういうの天罰っていうんだっけ?」

マスターの脚に激痛が走り、腕の力が緩んだ。屈んだマスターの目の前にはもうあさひは居なかった。

「うっ!だっ、あさひちゃん、ダメだ!」

振り上げた拳が男のこめかみを直撃する。一発、もう一発・・・。

丈さんが男を放し、あさひを止めた。

間に割って入り、その大きな身体で受け止め、両腕を押さえつけた。

「マズイってあさひちゃん!気持ちはわかるけど、このままじゃ龍翔が」


天罰だって?


今、「天罰」って言ったのか?


誰が?


誰に?


私に?


お前じゃないの?


ねえ


お前じゃないの?


ねえ


「お前、今なんて言った!!」

誰かが腕を押さえつける。どうして邪魔をするんだ。殴らせろ。あの男を殴らせろ。ダメなら包丁をよこせ。ねえ、許されるでしょ?なんであの男が許されてて私はこんな・・・!


「あさひ!」


懐かしい声が響く。金属の落ちる音。背中から何か、暖かくて優しい何かが包み込んだ。

「聞いて、あさひ。私はずっとあなたに会いたかった。どれだけ、あなたが居たことが心強かったか。居なくなって、私は“守られてた”って何度も思った。あさひ、あなたは強い。とても強い。その強さをこんなことに使うべきじゃない。使って欲しくない」

逆だよ。逆なんだよ。どれだけ心細かったか。お姉ちゃんのような“信じる強さ”にどれだけ憧れたか。

私の腕を抑えていたのは丈さんだった。

「あさひちゃん、ダメだって。人殺しになんて、なっちゃいけない。こんな男のために、君が手を汚すべきじゃない」

周りの景色が帰ってきた。とても久しぶりに感じる。

探偵が携帯電話を持っていた。警察へ連絡を取っているようだ。

マスターがしゃがみ込んでいる。どうしたんだろう、とても痛そうで心配になった。


男は、いの一番に警察に駆け寄った。「自分は被害者だ」「羽交い絞めにされた」「包丁を突き付けられた」「こめかみを殴られた」など、自分のされたことだけを並べ立てていた。

探偵と警察の人はどうやら知り合いのようで、メモ帳をペラペラとめくりながら事情説明をしているようだった。その後に全員が事情聴取を受けた。


「あさひが捕まるの?」


#11 「青空」

懲役2年と6ヶ月。殺人未遂。それが罪状だった。

これでも情状酌量とかでかなり軽くなったと話していた。

探偵が紹介してくれた弁護士の人は模範囚として真面目に過ごせば2年くらいで仮釈放になるだろうと話していた。


——あの日はめちゃくちゃだった。

夕夏に龍翔に探偵・・・。悪いことは重なるというけれど、重なり過ぎだ。
夕夏は泣かなかった。

パトカーが来て、騒ぐ龍翔が連れて行かれた。そして、私の番が来た。
みんなに見送られた。

常連達と初めて抱き合った。マスターもそう。

夕夏の手はとても熱かった。力も入っていて、痛くて・・・。

でも他のみんな俯いたり、暗くなってる中で夕夏だけはずっと明るかった。
震える声で「待ってるからね」と言った。

最後に抱き合ってパトカーに乗せられた後に気がついた。肩が濡れていた。

私は振り返らなかった。

たぶん夕夏は泣きたくなかったはずだから、見られたくないはずだから、笑顔の姉を覚えていようと思った。

──あれから、ずいぶんと長い時間が過ぎた気がする。

毎週のように「青空」から手紙が届いた。それはいつからか誰が思いついたのか【週刊「青空」】というタイトルが付けられるようになった。

“中の生活はどうだい?”

“顔の具合が心配です”

“あさひちゃんの部屋、どうしようか?”

“行きたかったけれど、面会は難しいみたい。ごめんね”

“お姉ちゃんが働いてくれることになったよ”

“戻ってくるまであさひの部屋に泊めてもらうことにしました。ちゃんと毎日掃除するからね”

“お姉ちゃん、メニュー考えるって最近張り切ってるよ。やっぱり姉妹なんだねぇ”

“メニュー考えるって大変だね。あさひすごい。”

“あさひちゃん、お姉ちゃんの出すメニュー、どれもこれも高級志向なのばっかりでウチじゃ手に負えないよ。早く帰ってきてぇ”

決して長い時間ではないけれど、鉛筆とノートを使うことを許された。月に一度、手紙を書いた。

でも姉に手紙を送るのがなんだか恥ずかしくて、言葉が紡げずに毎回送ってくる姉の考えたメニューへの改善案ばかりになってしまっていた。

文句ばかりで我ながらひどい内容だと思い、フォローしようと思うのだけど・・・これがなかなか難しかった。

姉の案はあまりにもひどくて、面白くて、これはマスターも大変だなーと思っては「青空」を思い出した。

最初に思い出すのはいつもマスターの淹れるコーヒーの香り。

それからカウンター、キッチン、料理を作る時の音。

包丁。モーニングのトマトを切る時やきゅうりを切る時。

最後に考えたメニューはなんだっけ?

久しぶりに絵を描いた。

ここでは色鉛筆はダメらしく、全て鉛筆で描いた。色のない料理の絵は驚くほど美味しそうに見えない。なんとか具材だけでも見分けられるように工夫するものの、やっぱり美味しそうには見えない。

それでも週刊「青空」でコメントが返ってきた。

マスター、姉はもちろん、時々丈さんや蓮さんが書いてることもあった。2人とも字は汚くて、読むのに苦労したけれど、あの空気を思い出して嬉しくなった。


一度絵日記を送ってみようかと思って書いてみた。

いつものように朝7時前に起きて、ご飯を食べた。特に美味しくもない。私ならもっと工夫するのにといつも思う。

8時には作業場で作業。

裁ほうでミシンを扱う作業をした。帰ったらエプロンに刺しゅうくらいしてみようかな。

仮しゃくほう前にはいじめられることが多いらしくて、ちょっと不安。今でも顔のことを言ってくる連中が居て——

10時からの外での時間が一日の楽しみになっている。けっこう動けるから、チームになると喜んでもらえる。ケンカもよくしていたからか、今のところ人間関係にも大きな問題はなくて順調——


——丸めて捨てた。


こんな日々を送って、気が付いたら2年になっていた。


部屋に置けない手紙が段ボールいっぱいになって手渡された。重くて、懐かしくて、直前になってたくさん苦しくなっていたのが一気に噴き出した。

久しぶりに袖を通した服はなんだか小さく感じた。絶対に筋肉が増えたせいだ。最悪。

・・・マスクも懐かしい。

中では付けることができなかったから、不思議な気分だった。でも、2年前のマスク・・・。だいぶ治ったけれど、このまま外へ出るしかないのはとても緊張する。

久しぶりの外の空気は埃っぽく感じた。まだ塀の中だからだと思うけれど、その辺に生えている木や雑草の緑色がやけに輝いて見えた。揺らめく葉っぱを、風を感じていられる。目をつぶってもいい。
深呼吸をいっぱいした。日差しが暖かい。もうここから動かなくてもいい気がした。


——刑務所の門の前で、ふたりが待っていた。


探偵と、お姉ちゃん。

探偵が会釈する間もなく、姉に抱きしめられた。一気にいろいろ言われて何も聞き取れなくて・・・とにかく嬉しかった。やっと帰ってきたんだって。

探偵に益々強そうになったと言われた。一発殴ってやろうか。

姉のしゃべることは相変わらず言葉になっていなかった。「嬉しい」とか「どうして」とか「良かった」とか「ごめんね」とか、言いたいことが多すぎて整理されない濁流がそのまま口からあふれ出していた。

探偵がまず、行かなければいけない場所へ乗せていってくれるらしかった。

保護観察所。仮釈放の際にはそこへ行かなければならなかった。


探偵の運転する車の中でぐしゃぐしゃになっていた姉がやっと落ち着きを取り戻してきた。

膝にはティッシュペーパーの山ができていた。まだズルズル音がしている。


流れる景色をぼーっと眺めていた。なんだかずいぶん変わった気がする。そういえば、探偵の携帯電話がパカパカしていた。通り過ぎる人たちもみんなパカパカする電話を持っているようだ。なんだかかわいい。

青空が眩しい。

風が涼しい。気持ちいい。長いこと手入れできなかった髪の毛が風に流されている。そういえば、伸びたな。

姉の髪の毛は相変わらず綺麗に整えられている。このまま、また伸ばしてみるのもいいのかもしれない。そんなことを考えているうちに目的地へ着いた。

保護観察官に働く気はあるのか聞かれた。

もちろん

私は喫茶店「青空」で働きたい。


#12 夕暮れの香り、朝焼けの匂い。


探偵は「青空」まで送ってくれようとしていたけれど、姉と相談して途中の河川敷で降ろしてもらった。

オレンジ色に染まる川が綺麗に見える場所にふたりで座った。並んで座ると当たる肩の温もりがちょっと気持ちよかった。

ちょうど夕暮れ時で、風がひんやりとし始めた。

姉が持っていたサンドイッチとおにぎりを食べた。本当はお昼に食べたかったらしいけれど、忙しくてそれどころじゃなかった。

それにしても、サンドイッチとおにぎりを同時に持ってくるなんて。ちょっと笑ってしまった。

座ったあと、どっちも黙って食べていた。

お腹が空いていたのもあるけれど、改まって姉と向き合うと何を話そうか考えてまとまらなかった。チラッと見た表情から、姉も同じようだと思った。

「うわ、しょっぱい」

「えっ?」

鮭のおにぎりに塩の塊が混じっていた。

「これ、夕夏?」

「たぶん・・・」

いや絶対姉が作ったと、顔が白状していた。

「ていうか、お姉ちゃんって呼んでよ」

「いや、ちょっと・・・」

「なんで?青空でお姉ちゃんって呼びかけてなかった?」

「覚えてない」

「何それ、寂しいなあ」

「夕夏は夕夏なの」

「意味わかんない」

ゆっくりと日が沈んでいく。あちこちで明かりが灯り始める。オレンジ、白、信号機の色。

心なしか車の音がよく響くようになった。一段と空気が冷えて、ふたりは自然と肩を寄せ合っていた。

「よかった。またあさひに会えて」

「・・・うん」

「あさひも嬉しいんだ」

「ホントは嫉妬した」

「え?」

「夕夏はいい生活が送れてそうでさ。私、引き取ってくれた人とうまくいかなくて、いや、いい人達だったんだけど、お父さんが早くに死んじゃってさ。それから、ね」

「そんな・・・」

姉が抱きしめてくれた。こんな感覚、久しぶりだった。前は・・・いつだったろう。

「夕夏が青空に来た時、思ったんだ。なんで私だけって。本当に。そう思う自分が嫌になったよ」

「・・・サヤ、だっけ」

「ちょっとやめてよ。思い出したくない」

「私は好きだったなあ。サヤさん。綺麗な名前」

「茶化さないでよぉ。常連どもはAV女優みたいとか言ってて、めっちゃ後悔したんだから」

「それは、丈さんと蓮さんが悪い」

「でしょ?あのふたり・・・。聞いた?あいつら初対面で私をナンパしてきたんだよ」

「初めて聞いた・・・」

夢中になっていたら、星空が綺麗に見える時間になっていた。車の音も減って、どこからか「ホーホー」と鳥の鳴き声が聞こえてきた。風に流されて、どこかの家の晩御飯の匂いも流されてきた。

「いい匂い。最近カレーって食べてなかったなぁ」

「そういえば夕夏のメニューにもカレーなかったな」

「カレーってどう作るんだろ?簡単そうなイメージあるけど」

「夕夏の牛100%ハンバーグランチや、マスクメロンの箱舟よりは簡単そう」

「それ嫌味でしょ!」

「うん」

「ひっどぉー」

「マスターから悲鳴が届いてたよ」

「絶対美味しいから!間違いないんだって!」

「だからお店で出す以上はコストとか、価格ってもんがあって・・・」

「美味しい!お客さんたくさん来る!良くない!?」

「良くない」

「えー」

「こりゃ大変だなぁマスター」

「んーなんでかなぁ」

夕夏がふくれっ面でポイっと石ころを投げる。

「川に届いてないよ」

「うるさい」

「よいしょっと」

その辺の石ころをさがして投げる。

ポチャン。

「跳ねてないけど」

「は?」

「今、跳ねるところでしょ」

「いや、むりむり」

「えーつまんない。あさひなら絶対水切りできると思ってたのに」

「そういうの苦手なんだって」

「ガサツだから」

「もういっぺん言ってみろ」

「キャーこのお姉さんこわーい」

ちょっとの沈黙があった。

なぜか、訳も分からずにふたりで笑って転げまわった。

久しぶりに涙が出るほど、お腹の底から笑った。

通りすがりの人が居たら、酔っ払いのふたりだと思われたに違いない。

たくさん笑って、たくさん泣いて、その後は一言も話さなかった。

不思議な時間。

肩を寄せ合って、なんとなく眠いようなそうでもないような時間。

時々姉の寝息が聞こえた気がするけれど、視線を向けると起きているようだった。

笑い転げた身体に夜風が心地よかった。

もう一生訪れないと思っていた時間がそこに流れていた。

皮肉にも、部屋が燃やされたから私は姉と、姉は私と再会することができた。

もう思い出したくない過去でも、そこは否定できなかった。その一点だけは。

姉は何を考えているのだろう。

これからどうするんだろう。

何もわからないことだらけだけど、今はただ夜風に吹かれていたかった。


そのうち、東の方が明るくなってきた。

私の一番好きな時間。

私の名前。

あさひ。

でも、今朝は雲がかかっていた。


「実は私、ちょっとだけ覚えてるんだ」


突然、姉が口を開いて驚いた。

「なに?」

「お母さんのこと」

「え、ホントに?」

「もしかしたら夢かもしれないけど、なんとなく」

「何を覚えてるの?」

「お母さんにね。もう顔も思い出せないんだけど「夕夏なら、あさひと一緒に生きていけるから」って抱きしめられた気がする」

「・・・どういうこと?」

「わかんないけど、それを思い出すとなんだかお母さんが信じて守ってくれてるような気がして、もっと頑張れるって思えるんだ」

「へぇ・・・」

草が湿って濡れていた。今日は雨かな。

「知ってる?夕日は綺麗な方がいいけれど、朝日は少し曇ってるくらいがいいんだって」

「嫌味?」

「違う違う」

「嫌味にしか聞こえないんだけど?」

「言い伝えでね。夕日が綺麗なのは、これから天気がよくなる前兆。そして朝日が綺麗なのは、その後天気が悪くなっていく前兆だって」

「へぇ、知らなかった」

「だから、きっとこれから晴れるね」


薄い雲に覆われた空に、朝の光が広がっていく。

曇り空の朝日は、晴れる前兆らしい。

そう、姉はそう言った。

水面に淡い光が映って、揺れている。

小鳥がさえずり始める。

まだ少ない車のエンジン音が、町の起床を伝えている。

お腹が鳴った。そういえば、めちゃくちゃお腹が空いた。

姉が立ち上がって、手を伸ばした。

「帰ろ?」

久しぶりに手を繋いだ。

あの時は私が姉の手を握ったけれど、今朝は違った。姉の手を支えにして、立ち上がる。

「青空に」

「うん」


「そういえば、新しいメニュー考えたんだよね」


いい匂いが漂ってきた。きっと、今朝もマスターがコーヒーを淹れている。


#イメージソング『そばにいて黙るとき - Silent By Your Side -  (東京スカパラダイスオーケストラ)』

行ったり来たりの旅と
終わりなく漂う魂
静かに歩いてるだけで
急に勇気が湧きあがる
きっと幸せなんだろう
何度も考えたけど
天国はどこか分からず
夕焼けの街をさまよい
明かりが灯るのを見て
その数を数えてた
遠く離れてる時も
そばにいて黙るときでも
穏やかな幸せ祈り
また風に吹かれてく
明日は星にまかせて

東京スカパラダイスオーケストラ『そばにいて黙るとき - Silent By Your Side -』より
ソングライター:谷中敦
作曲:沖祐市


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さかいまさティル お金を払って見てもらうのではなく 「面白い」「いいな」と思ってもらった上で読者の気持ちを形にするものとしてチップというのがいいなあと思いました。 あなたの気持ちが私の活動力(主にやる気、元気、ひらめき)になります!ホントか!?