見出し画像

NO, BONCHI Log Vol.11 - ファストリサーチ2025-1001 参考図書:街、サウンドスケープ、ムーブメント_1 NO,NEW YORK

久しぶりに荒木カムバック。

いくつかnote更新してたんですがちょっとバタバタしてて、間は京都市立芸大のプロジェクトメンバー学生たち、アシスタントの大澤くんに執筆してもらいました。どれも面白いのでぜひ全編読んで上演に来てください。

9月に韓国はMMCA ソウルでの新作パフォーマンス、そのまま豊岡演劇祭は竹野浜一帯でのツアーパフォーマンスと展示をロンドン拠点の作曲家・サウンドアーティストのニール・ラックさんと行っていたため、その間、ノー・ボンチのクリエイションはブランク期間。これらの新作たちについてはまたいずれ整理できるタイミングで。

現在はノーボンチ再始動してバリバリクリエイション中です。(このnoteアップ日には上演終了しています)

KEX期間には、クリエイション中の参考図書を岡崎は蔦屋書店にて紹介するコーナーを設けてくれるそうで、プロジェクトの構想段階から引っ張り出してきて、チラ見していた本たちから3冊紹介しました。

・既にそこにあるもの 大竹伸朗
・平安京 音の宇宙 中川真
・シュトックハウゼンのすべて 松平敬

この内1冊(平安京 音の宇宙)は現在取り扱いがないため、他の2冊だけ店頭で紹介されるそうですが、この3冊について1,2,3と振り分けてちょっと触れておければと。

・既にそこにあるもの 大竹伸朗

バイブルのようにたまに読んでしまう本が結構あります。ルーティーンもあったりちょこまか変動もあれど、この一冊はどんなルーティーンでも大体入ってることが多い。

大竹さんの文章はどれもめっちゃ好きで、意外と作品だけ見ていて文章に出会ったことのない人もいるかもわかりませんが、僕が大竹さんの文章に出会ったきっかけは、若かりし頃に古本屋で見つけて購入したのが最初。
また、確か武満徹が大竹さんの絵について書いている章があって、かつ、大竹さんの本でも元JAPANのデビットシルヴィアンの個展かなんかのつながりで武満さんに会ってどうのこうのっていう文章があって、展示で膨大な作品を見ていたのとは違った印象を持ったことを覚えてる。
大竹さんはノイズやらロックやらパンクしか聞かない、みたいな身勝手なイメージを見事に崩されたわけです。イメージって本当にあてにならぬ。

大竹さんはJUKE/19やパズルパンクスやブッダブなど、バンドやユニット、パフォーマンス、音を使った作品も多いけど、この本にも(この本以外でも)様々に音や音楽について言及している記述が結構あったり、時折武満徹について言及していることもあり、それがまた面白い。
なんというか、時間と音、土地と音、といった、そういうつながりも感じるし、されど、ただの音って感じもある。

プロジェクトをスタートしてから、この本の、とあるロックバーでアルバム「NO, NEW YORK」を聞く話を読んで、久々に聞きたくなって、棚からレコード引っ張り出し、聞きました。

なんでしょうね。最高でした。
なんだろ、ただそのへんに置いてあったからとりあえず聞く「NO, NEW YORK」の触れ方とは違う、「触れ」があった。
たはー、接触したなーみたいな。

音楽ってこういうことありますよね。

ありますかね?
あって欲しいんだけど。

タイミングっていうんですか、なんか、出会うタイミングなのか環境かで触れ合いの強度が全く違うみたいな。
体験というものに振幅があって、そのてっぺんのところでバチコン、と体験したみたいな感じ。



この本に書かれているものは結構そういうことが多い気もして、それは音や音楽だけでなく、日常の中でのちょっとしたもの、まさに既にそこにあるもの、との出会い方、触れ合いの強度、薄さ、みたいなものを行ったり来たりして、時にメモリーと接続したり、ふとしたアイディアに接続したり、誰かを思い出したり、夢に見たり、めっちゃ考えちゃったり、ずっと考えていたことがサラっとどうでもええな、となったりと、そういうことのロードムービーを読んでいる、みたいな感覚があります。

でまあ、
今回タイトルの「ノー・ボンチ」、の「ノー」は、このNO, NEW YORKのNOなのです。
しかしながら、というか、このアルバムが好きな人にはわかると思いますが、このNOは安易に「違う」ってことのNOではない。

「NO, NEW YORK 」における、NO とは、何なのか。
アルバムを聴きながら、このNOについて考えると、とても面白い。
これは、単なるアンチテーゼとしてのNOだけではなく(もちろんそうも捉えられる)、その後にくるのが、NEW YORK、という地名だ、ということも大事ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=nul3A0pS_oc


このアルバムは、当時のタイミングでの、NEW YORKのとあるムーブメントの記録でもあって、当時のNEW YORKでNOを体現しているアーティストたちそのものでもあり、音たちでもある。
NOのムーブメント。
これまでの体制や、音楽のあり方に対してのNO、楽器が弾けないけどNO楽器は鳴らせば音は出る、しかも誰でも、のNO。

様々なNOのかたちがある。

これをパンクムーブメントに寄せて話すこともできて、
今回のKEXではパンクを扱ったプログラムもちょうどあるみたいなんですけど、そもそも、パンクって何だ?、ということとも繋がるわけですね。
最近パンクの研究をされている方の展示が名古屋であったり結構増えてて、気になってチェックはしていたんですが、

「パンク」は、音なのか、メッセージなのか、態度なのか、ファッションなのか、精神なのか、パフォーマンスなのか、DIYなのか、ZINEなのか、チラシやフライヤーなのか、叫びなのか、政治なのか、これら全部なのか。

パンクとひとえに言ってもジャンルや時期、土地柄での違いもかなりあって、初期パンクとかガールズとかUK、US、そしてアジア諸国でもめっぽう変わる。

FUGAZIとかCrassのドキュメンタリーがアマプラで見れるので(今はわかりませんが)、それ見ると結構わかりやすくパンク的なもののある1部分に触れることはできます。住んでいる土地との関わりやコミュニティについても。同時にコンプトンのN.W.Aのドキュメンタリーも合わせてみると、感じることも多い。

もはや音楽というより総体。ゆえに、ヒップホップともつながる部分がある。街との繋がりも含め。

とはいえ、個人的に調子に乗って、いわゆるスタンダードなパンクのサウンド面についてだけで話すと、実際はかなり似通った音楽なわけで、まあ大体同じようなサウンドが出る。となると、メッセージ、態度や精神、がパンクだ、と言われることが多いのでしょう。
ですが、この状況に対して違和感を感じた人たちがやはりいて(どの時代にもいる)、そこからサウンド面でのNOを強化していったものがNEW WAVE、ポストパンクと言われるようなものだったり(僕は年代別に分けてどういう派生で、とかまではしないので詳細はそれ専門の方にお願いするとして、音の面について話すにとどめる)。つまり、音の塊自体がいわゆる普通のパンクサウンドでいいの?に対してもっと可能性を見出していくムーブメント。メッセージを音に乗せるのも大事だが、サウンド面の態度としてのパンクの更新、みたいな。
いいサウンドであれば問題ない、最高!ってなるけど、そこに体制批判や政治性などが入ってきたとすると、その態度はサウンドに還元されているのかどうかなどが気になったりするわけで。音楽なのか、メッセージなのか。メッセージだとしたら、音楽を活用しているということ。
では音にメッセージを乗せることこそがパンクだと言うならば、ヒップホップはどうなんだとかなってくるわけです。
サウンド面のみでいうと、ノイズバンドの方がパンク感あったりするし、とかなってくると、で、結局何がパンクなんでした?メッセージ?

まあ、いいんです。「細かいこと言ってんじゃないよあんた」と聞こえてきました。これらも含めて音楽。
永遠に続く、何者かによって括られる名付け・ジャンルわけ。

てんこ盛りの話いらねーぜ、えん突つから煙の拳骨(TWIGY)
こうやって都合よく離れるのも音楽。しかしここは引かぬ。

大竹さんの昔のドキュメンタリーで、パンクムーブメントと呼ばれる時代にロンドンにいて、その時のことをラッセルの家で話すくだりがあって、音楽が気になってたわけじゃなくて、動き、ムーブメントが刺激をくれていたんだよな、ああ、その通りだぜ、みたいなことをラッセルと話してて、そことも繋がってくる話。

ともすれば、NO,NEW YORKは、当時において音の塊にとっても、ある意味パンクとは言わないまでも(所々でそう言われたり言われなかったりしてるのがまたややこしい!)、重層的なNOのムーブメントだったと思える。態度として。

アンソニーブラクストンばりにピーヒャラうねりまくるジェームズチャンスのサックスしかり、それとバンドサウンド、シャウトとの重なりは当時においてそれまでの音楽的体制を打ち崩すような音としてのムーブメントであったと想像できるわけで、lydia lunchのシャウト、楽器をまともに弾けない当時のアートリンゼイのフニャキャングルーヴノイズギターにikue moriさんが森高千里ばりの最高のドラム叩いてて、音楽的にもかなりおNEWなサウンドだったんだろうという(想像)。


もち荒木は実際に当時のNEW YORKにいたわけじゃないからわからないんだけど、アルバムからそのことは伝わるし、FRICTIONのレックさんたちが当時のNEW YORKに行って帰国し(その時にikue moriさんも行っててそのまま電子音楽で賞とってるのがまた面白さ倍増)、FRICTIONを始め、日本でもNEW WAVE的なと呼ばれたようなバンドが一気に増えたりと、こういったことにも思いを巡らせることができるということが、名アルバムたる所以でもあるのでしょう。
だが結局アルバムは後から来たものなので、当時、事は現場で起きており、そのパワーは結局のところ計り知れない。

FRICTION

https://www.youtube.com/watch?v=x7DyQmIRnVc


といったわけで、では、NOボンチのNO、は何なのか、上演に来てぜひ感じて考えていただければと。
同時に、一体何がパンクなのか、と考えを巡らせるきっかけにもなれば幸いですし、KEXのパンク特集にも足を運んで感じて考えてみようと思う今日この頃の秋の夕暮れ。

__

君らパンクなの?
んー、パンクだと思ってないよ
じゃなんなの?
ん、アイドンノー

クレイジードリーム
ノーノーノーノノノノノノノノノ


〜〜〜
追記:1018
先日、Punk and Beyond 上映会とトーク@メトロに行ってきた。
ショック。

上映作品の最後、ネパールの映像が特に。
女性バンドのFemale Egoの映像はやられた、、。

まだまだ浅はかでした。
我らは裕福に機材に楽器に買えて(買ってもらえて)、何の問題もなく自由に音を出せて、好きにバンドやって。ただ酒飲んで、騒いで。
何の問題もない奴らがやる音楽と、問題だらけでやる音楽と。

そこで発生した音と、お金と、交流と、その価値の違いというか、重みの違いと言いますか。

かつ、Female Egoの音楽がめちゃかっこよかったのがまた凄くて。
繰り返されるベースラインとか、なんか響くし、最後のリハのシーンでスーツ着てるし、、

パンクって何すか、と答え求めたらいかんなと。
答えなぞないってまま、こういう活動を続けていくのがいい、
と思った秋の夜。



いいなと思ったら応援しよう!