あるミャンマー人の若い友【エッセイ】一六〇〇字(本文)
昨年の6月、ミャンマー人のヌイ君のことを書いた記事、『理不尽』と重なる部分もあるが、その続報です。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、「ウ〇〇〇ナ」(「注意書き」回避のため、表記)の難民が400万人に達すると、警告する。これは、最多であるシリアの670万人(2021年時点)に次ぐ。国連では、欧州で第二次大戦以来の危機と危惧している。
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彼は日本への留学生であり、そもそも難民ではなかった。

ヌイ君と知り合ったのは、6年前。彼が24歳のとき。馴染みの焼肉屋に、バイトで入ってきてからだった。日本語学校の留学ビザで来日。日本で仕事に就くか、カナダの大学に留学し就労後、国籍を取得するかを考えていた。ミャンマーを離れ、国際人として活躍することを夢見ていた。その費用を稼ぐために、深夜の地下鉄工事も、掛け持ちしていた(違反を承知で)。母国の大学で勉強していたらしく、会話は見事(が、書くのは少々苦手のようだ)。接客もこなれていた。それ以上に、英語が得意だった。バイトは彼ひとりで、早い時間は私の貸し切り。そのころ私は、英検2級をめざしていて、「焼肉を食べながらの英会話教室」の先生と生徒という感じで、仲良くなっていった。彼は焼き鳥が好きで、何回か、比内地鶏の店に連れて行ったりもしていた。
英検はその後取得できたのだが、前期高齢者のワタクシが準1級を受験できるレベルに達することができたのは、彼のおかげでもあると思っている。そんな関係が、2年で店を辞めたあとも続く。しかし、半年後のある日、電話があった。「ビザが切れて、施設に収容されていますよ。日本に受け入れてもらうのは難しいみたいだから、国に帰るかもしれません」と。結局、1年近く収容されていた。
彼のことが気になりながらも時が過ぎ、昨年の1月、LINE電話が入った。ミャンマーに戻った、と。そして、2月1日。勃発する。

「東洋経済」
ミャンマーの最大都市ヤンゴンの抗議デモ中に負傷し、運ばれるデモ参加者(2021年3月、写真:EPA=時事)
4か月後の6月。電話が鳴った。「キクチさん、大変なことになっていますよ。ボクも、銃を持つかもしれませんよ。映画のようですよ。国軍に撃たれ、仲間が死ぬのを見ましたよ。お母さんも逃げていますよ。学校の先生は、狙われているから。いまは、食料とか資金を運ぶ役目ですけど、この先、わかりませんよ」と。
「ヌイ君、危険なことはしないでな。逃げるのも勇気ある行動だよ」と伝えた。
3月にも、当時はネットが使えなかったので、国際電話で連絡があった。
彼が住む町は、タイのほぼ最南端。ベンガル湾のアンダマ海に近い、ミェイク。主産業は漁業。養殖真珠が特産品でもある。800島に及ぶメルギー諸島への入口にあり、島々の観光は船からの観察に限られており、自然保護を重視している地域だ。
タイの国境まで100km。首都から1000km以上離れているせいか、緊迫した雰囲気は、なかったのだが・・・。
【ミェイク市】




【ミャンマー文字(ビルマ文字)】

丸文字のような字形は、紙代わりに用いられていたタラパヤシの葉が裂けてしまわないよう、直線を使うのを避けたためであるといわれている(Wikipedia)。
その後、3回ほど電話があり、昨年の12月に友人たちとタイに脱出し、難民として受け入れてくれる国を探すことにした、と話してくれていた。
つい最近、6日。また、連絡が。
「キクチさん、元気ですか? 目は大丈夫ですか?(なんと、私がnoteに書いた、白内障の手術の記事を読んでくれていたのだ)」
明るい声で、なにか良い知らせであることの、予感が。
「キクチさん、オーストラリアの大学をめざします。難民申請を受けてくれて、学費と生活費を政府が援助してくれますよ。卒業後に仕事すれば、国籍もとれますよ」と、捲し立てた。
7月にメルボルンに渡り、英語学校に入り大学入学の準備をするという。大学でのテーマは、環境問題。やはり世界を視野においている。志が変っていないことに、安堵した。
「オーストラリアに来てくださいね。ボクも日本に行きますよ。ヒナイジドリ食べたいなあー」と。
ようやく彼も、ゆっくり寝られそうだ———。
(良かったなあ、がんばったなあー、比内地鶏喰おうな、ヌイ君。収束したら、メルボルンにも行くよ)
「ウ〇〇〇ナ」と「ロ〇ア」の地に、ヒマワリの大輪が咲くことを、願って。
(後記)
Noteにこの記事をアップするにあたって、彼から了解をとった。写真は目を隠してほしいと言われたのだが、ナイスガイなので全てをオープンにすることの許可はもらった。だが、万が一のこともある。細い線だけは入れた。やはり、国軍の監視を恐れている。この間の電話で、脱出中の詳細なことを話してくれなかったのは、際どいこともあったのだろう。幸い、国の南端であったこと、タイの国境に近かったことなどが、幸いしたのだろうと、思う。メルボルンで、ゆっくり話を聞きたいものだ。オーストラリアワインを飲みながら。おっと、オージービーフ、ワンポンドも食べながら、ね。

日本では、スキンヘッドじゃなく、ヒゲもなかった。人相を変える必要があったのだろう。でも、このほうが似合う。
白豪主義で知られてきた排他的なオーストラリアではあったが、近年、難民による経済効果の期待が高まり、その数を増やしつつあるようだ。パプアニューギニアのマヌス島(昨日、大噴火があった地域)の収容施設での難民の扱いへの国際社会からの批判を受けて、あらためて難民政策を変更してきているのだろうか。
会計大手デロイト傘下のシンクタンク、デロイト・アクセス・エコノミクス(DAE)は、このほど公表した報告書の中で、オーストラリアが一時的にでも難民の受け入れ数を増やした場合、向こう50年間で377億豪ドル(約2兆7,002億円)規模の経済成長が見込めるほか、3万5,000人のフルタイム雇用の創出が期待できると指摘した。
報告書によると、年間当たりの難民受け入れ数を、2019年の上限数である1万8,750人から徐々に引き上げ、2023年に4万4,000人受け入れた場合、国内総生産(GDP)は2018/19年度から67/68年度までに、年平均で約49億豪ドル増加するという。
(https://www.nna.jp/news/show/1944409)
一方、日本の難民受け入れ人数は、2018年時点では、10493人の申請に対し、42人と先進国の中でも非常に低い。
