「老爺心」― 日本国民が経験した「普通でない」こと ―【エッセイ】二〇〇〇字
なぜ私が、憲法を変えようとする動きに、「何か忘れているんじゃねえ?」と思うのか。
なぜ私が、「国家」を必要以上に崇めさせようとする動きに強い違和感を覚えるのか。
それは、日本がかつて「普通の国」でなかったからにほかならない。
ふたつの世界大戦では、多くの国の民が悲惨な経験をした。だが日本の民の場合、とりわけ太平洋戦争では、他国とはかなり異なる、「普通でない」経験をしている。
だから日本の場合は、ほかの国以上に、「国家」というものを厳しく監視していなければならない、と思うのだ。
日本では、「国家のために生きること」が、いつの間にか「国家のために死ぬこと」へすり替えられていった。
「欲しがりません勝つまでは」
「進め一億火の玉だ」
「一億玉砕」
そんな言葉が、ラジオ、新聞、学校を通して、毎日のように流された。いまなら危険なスローガンに見えるが、当時は、それを疑う空気そのものが存在しにくかったのである。
しかも、戦争は兵士だけのものではなくなっていった。
一九四五年になると、東京、大阪、名古屋、神戸、地方都市などが大空襲によって焼き払われた。中でも東京大空襲では、一夜で約十万人が死亡したとされる。逃げ惑う人々の頭上から大量の焼夷弾が降り注ぎ、木造住宅密集地は巨大な火災旋風に包まれた。隅田川へ飛び込んでも助からず、道路は黒焦げの遺体で埋まったという。
もちろん、空襲は日本だけではない。ドレスデン爆撃、ロンドン大空襲、ワルシャワ蜂起など、ヨーロッパの市民もまた、戦争によって日常そのものを破壊されていた。
だが日本では、それが東京だけでなく全国の都市へ広がっていった。もはや「銃後」と呼べる場所そのものが失われていた。
さらに日本では、子どもまで戦争に駆り出された。学童疎開、勤労動員、少年兵、女学生動員。本来なら学校で勉強しているはずの年齢なのに、軍需工場で働かされ、竹槍訓練まで行われた。子どもまで、「国のため」に使われるようになっていった。
沖縄戦では、その異常さが極限まで進む。住民は米軍の砲撃だけでなく、日本軍によっても死へ追い込まれた。「スパイ」と疑われて殺害され、壕を追い出され、「生きて捕虜になるな」と手榴弾を渡され、家族ごとの集団死へ追い込まれた人々もいた。
そして最後に、日本は世界で唯一、原子爆弾を実戦で投下された国になった。一瞬で都市が消えた。だが、戦争はそれで終わらなかった。放射線障害、後遺症、被爆差別――「終戦後も終わらない戦争」を、多くの人が背負うことになったのである。
にもかかわらず、国は最後まで「必勝」を叫び続けた。ところが、一九四五年八月十五日、天皇の敗戦放送によって、それまでの価値観は一夜で崩壊する。「昨日まで正しい」と教えられていたものが、突然ひっくり返ったのである。
だから私は、「国」を必要以上に美化する言葉に、どうしても警戒してしまう。国は、ときに国民を守る。だが歴史を振り返れば、その「国」が人々を熱狂させ、利用し、最後には切り捨てることさえある。そのことを、日本人は一度、身をもって経験しているのだ。
でも私は、日本が好きだ。
治安の良さ、秩序、助け合い、災害時の忍耐強さ。空気を読み、他者への配慮を重んじる文化も、日本社会の大きな長所だと思っている。日本以外で暮らす自分など、まったく想像できない。
だが、その「空気を乱さない」という気質は、ひとつ間違えると、戦時中のような危うさにも繋がってしまう。
「みんながそう言っている」
「非常時だから」
そうした空気の中で、異論は飲み込まれ、「おかしい」と言う声は小さくなっていった。そして、その先にあったのが、あの「普通ではなかった日本」だったのである。
そして戦後日本は、ある意味では「普通ではない平和国家」になった。戦前の反省から、「国家」よりも、個人の暮らしや平和を優先する国を目指してきたのである。
ところが今、その「普通」という言葉が、別の意味で語られている。
「普通の国へ」
憲法を変え、防衛力を強化し、「国家」を優先できる国へ――という意味である。
実際、最近は、「国家」を前面に出す言葉が、以前よりずいぶん大きく聞こえる。「国家情報局」「スパイ防止法」「緊急事態条項」「国旗損壊罪法案」――。戦後日本が抑え込んできた「国家優先」の空気が、また少しずつ広がり始めている。
だが私は、いまさら「普通の国」など目指さなくてもいいと思っている。
もちろん、安全保障は必要だろう。
だが、日本人は一度、「国家」が暴走した時代を経験している。そして、その時に最も苦しんだのは、普通の国民だった。
だからこそ私は、「国」を愛することと、「国家」を疑うことは、矛盾しないと思っている。
むしろ、過去の「普通ではなかった日本」を知っているからこそ、再び同じ道へ進んではならない、と強く思うのである。
(おまけ)
「国旗損壊罪法案」も一見もっともらしく聞こえるが、危険な動きのひとつ。「ブラック校則」ならぬ「ブラック拘束」と言える。詭弁に注意しようね。

