お正月【エッセイ】一二〇〇字
あと3回寝るとお正月、と多くのひとが楽しみにしているのに申し訳ないが、私は、正月は好きではない。
「もういくつ寝るとお正月―――」。なんて、子どものころは歌うこともあった。むろんお年玉をもらえるから。しかし、2コ違いの弟と金額が同じことに「公平じゃないよな」と感じていた。毎年少しずつ増額してくれていたのだが、同額で上がっていくと、「弟はオレの2年前の金額よりも多くなる。これおかしいよ」と、母を困らせたこともある。しかし、人間ができているワタクシである。グっと我慢の子であった。
年越しは、母がお決まりの料理(我が家では、ご馳走は豚カツが定番。なので、1週前もそうだったのだが)を作ってくれ、カツを食べながらの紅白歌合戦は楽しみだった。しかし、番組が始まると父は、すぐに寝室に入る。「いまの歌手は好きじゃない」と言って(田端義夫だけは好きだった)。仕方なく、母と弟と3人で観ていた。母は、「この歌、いいね、いいね」と言いながら盛り上げようとしてくれるのだが、寝室を意識して大声を出すわけにもいかず、静かだった。しかし、寝室のラジオから「バタヤン」の歌が聞こえていた。そんな父親だった。
正月は、我が家では、お屠蘇代わりに「赤玉スイートワイン」を飲む。子どもにも小さなグラスで1杯だけ飲ませてくれた。小学校に入る前まではよく千鳥足で歩いて、おどけた。その姿が面白いと、あと1杯飲ませてくれた(そのせいで酒好きになったのかも)。
ささやかなおせち料理と雑煮を食べ終わると、父は将棋盤を出し、ひたすらラジオの将棋番組を聴く。母は、子ども2人相手に、トランプや双六などで遊んでくれたが、家全体が、やはり暗かった。姉か妹がいれば、わが家も明るく母も助かっただろうな、と子ども心ながらも、思った。
学生時代も、淋しい正月だった。帰省は、盆も正月も混雑が嫌で避けていたし、大学2年で母が鬼籍に入ってしまったので、なおさら。
4年間で2人の女性と付き合ったのだが、いずれも家庭の事情で、ひとりで過さざるを得なかった。ひとりは東京のひとだったのだが、日頃から門限が6時と厳しく、そんな家柄なので行事がいろいろあったようで外出もできなかった。あとひとりは実家が名古屋だったので、クリスマス前には帰省していた。よって、クリスマスも、正月もひとり—――。
1年からバイトしていたのだが、大学が休みの期間は社員だけで間に合っていたので、休み。しかし、年中無休だったから店に行けば寂しさを紛らわすことはできるのだが、行けない。「正月、オレひとりなんだよね」と言っているようなもの。だから、部屋でひとり、暮さざるを得なかった。
社会人になってからも、付き合ったひとは地方のひとが多く実家に帰っていたので、やはり、ひとり。正月ってそういうものだと思っている。
「おひとり様正月」は、このご時世には、ふさわしい過ごし方かもしれない。
ヘッダー画像:NHKの「News Up」(2020年12月21日)から

北海道の雑煮です。
とにかく北海道は醬油味と豚肉、and油揚です。今回は、それにエビ、タケノコとしめじ、とネギを具材にしました。写真にあるにんじん、サトイモ、シイタケは、買ってきた煮物をトッピング。主役の餅は、のし餅。今回、いただきもので、美味しかったあ!
「餅を喉に詰まらせて死ねる」ぐらいに、腰が強かったです。(笑
ショートホープ(煙草)の箱も大きさのものを3個。^^
アルコホールは。白ワイン(シャブリ)。なぜかモンドリアンのコースタが。スコッチウイスキーのオンザロックを1杯、と思えどもサントリー角しかなく、妥協。^^
本日の9時の投稿は時間設定なので多少飲んでも大丈夫!(笑
