ハイコンテクストについて1
ハイコンテクストとローコンテクストについて、私見を少し述べます。
ハイコンテクストというのは、
high(高い)+context(文脈)で、high context。
文脈の度合いが高い、ということですね。
ローコンテクストというのは、
low(低い)+context(文脈)で、low context。
文脈の度合いが低い、ということですね。
lawじゃないので法律の文脈ではないですね。
さて、本題。
ハイコンテクスト、文脈の度合いが高いというのは、前提知識を持って、文脈化出来たほうが良いよね、という意味合いで使われていました。
前提知識を要さずに、気楽に楽しめるものであるべきかな、というローコンテクスト寄りの人々も少数派ですがチラホラいました。
私はハイコンテクスト派です。
ヒストリカルヘリテージは、ハイコンテクストであるべきだと思います。
ラーニングレディネスに限界がある修学旅行は、ローコンテクストにならざるを得ないため、理屈からいけば完全廃止がベスト。
現実的には軟着陸、漸進的減少が図られるべきだと思います。
勿論、ギフテッドもいると思います。
ハイコンテクストなケーススタディに昇華して、セマンティックなアプローチでニューセオリーにできる生徒もゼロではないと思います。
しかしながら、それは飛び級の制度問題なので、修学旅行の制度問題ではありません。
いや、飛び級じゃなくてもFITの日本人版でいい。
DITでいいわけです。
修学旅行が観光地をダメにしたのだから、真逆をいけば再興の道筋はあるわけです。
生徒でなく大人、集団でなく個々、パッケージでなくツーリズムというわけです。
それができているのが高野山ですね。
児童や生徒が体育座りで待機させられているのを一度も見たことがありません。
メインは車でしたが、バイクツーリングの集団もちゃんと見かけます。
競技用自転車の男女も見かけました。弱虫ペダルの自転車みたいな人たちです。
(弱虫ペダルは読んだことがありません。)
高野町が過疎化してしまって、子どもがいないという意味ではありません。
高野町はちゃんと学校がありました。
九度山町の祭りでフライドポテトを食べる普通の子どももたくさん見かけています。
※九度山町の祭りは普通の町議挨拶も普通に見かけました。
過疎だとか過密だとかでなく、高野町と九度山町は、修学旅行に最適化されてしまったエリアではない、ということが言いたいわけです。
もちろん、修学旅行に最適化されてしまった都市は過密です。オーバーツーリズムそのものです。
体育座りの待機時間に消費は発生しないから。
道路渋滞の待機時間も同様です。
食べ歩きしたり、賽銭入れたり、合掌したりを、自分のペースで出来るほうが良いのです。
徒歩圏内にあると思えたり、思えなかったり。
昔の人は健脚だなと思ったり。
流石にこの距離は一泊するわと思ったり。
前提知識の上で自由行動をして、楽しむのが消費を生み、再訪を生み、また消費を生む。
ハイコンテクストの利点はたくさんあります。
一方、ローコンテクストはそれはそれ。
本物である必要性があるかな、と思います。
スポーツチャンバラのほうが良いのでは。
サービスエリアのあのソフトビニールの刀、児童は絶対チャンバラしたいですよね。
募金箱を持つ地元の生徒も、体育座りで待機させられているどこかの生徒も、偶々見かけましたが、公式指導員付きでどうにかやらせてやれないものかなと思いました。
