仏教に学ぶ生き方、考え方「仏の子」
以前テレビで、どれくらい自分の子どもを怒らないようにできるかどうかを検証する番組がありました。
家のリビングにいくつかのカメラを設定し、お母さんと子どもの様子を捉えます。
最初はお母さんも優しく言い聞かせたり、一緒になって遊んだりしていますが、そのうち子どものほうが退屈してダダをこね始めたり、散らかしたりするようになると、数時間も立たないうちにいつものように怒って叱ってしまうのです。
きっと番組の趣旨としては、お母さんになるべく穏やかに接してほしいという意図があるのでしょうが、思いとは裏腹になかなか実践するのは難しいようです。
でもよく考えてみてください。
もし怒る相手が子どもではなく、会社の上司だったり、先輩だったりしたらどうでしょう?
きっと子どものようには怒ることはできないはずですよね?
同じことをしてもきっと我慢して愛想笑いして、ストレスが溜まってもなんとかその場をやり過ごすはずです。
つまり相手が自分の「子ども」だから怒れるわけで、子どもからすれば「怒らせてあげている」わけです。
子どもに何かをする時、人はついつい「してあげている」という気持ちになります。
「ご飯を食べさせてあげている」、「遊んであげている」、「身の周りの世話をしてあげている」と思いながら育てているのではないでしょうか?
そして「この子ったら世話のかかるこ子どもだこと!」と「自分がいないといけない」と思うこともあります。
でもそういう子どもに限って、大きくなり手が離れると寂しく感じるものです。
そして今まで「育てている」と思っていたことが実は「育てさせてもらっていた」ことに気づくのです。
仏教の教えの中に慢(まん)というものがあります。
慢とは自分のことを「上に見ている」ことで、慢心とはそう思う心です。
つまり自分のほうが偉い、自分がこれだけやってあげているんだと思う心です。
実は名だたるお坊さんでも、慢の心を理解し修めることは「なかなか難しい」とされています。
修行して「満行」(修行をすべて終了する)すると、その達成感からどうしても慢心が湧いてきてしまうのです。
自慢(じまん)はもとはと言えば、自分から「俺はこんなことができる、どうだすごいだろう」とひけらかすことを言います。
いわば「成功した人」や「なにかに長けている人」に多い心だと言えます。
でも先ほどの例で言えば、それは子どもに「俺が育ててやっているんだぞ」「俺がいないとお前は困るだろう」と言っているようなものです。
でも本当は子どもには「育てさせてもらってありがとう」「あなたの親でいられて本当に幸せです」という感謝の心を示すことが大切なのです。
とはいっても絨毯にジュースをこぼしたり、服を脱ぎ散らかして遊んでいたりするとどうしても「感情に任せて」怒ってしまいますよね?親もまた人であり凡夫であり煩悩がある以上、それは「仕方のないこと」です。慢心を完全に抑えることなど実は「誰にもできない」のです。
でも子どもが寝静まったころに寝顔を見ながら、「今日も一日いっぱい怒らせてもらってありがとう」「あなたは私の仏様です」と感謝の気持ちを込めて拝ませていただくのはいかがでしょう?
きっとそういう気持ちはいつか子どもにも伝わり、愛情あふれる関係になれるのではないでしょうか?
☆今日の一句☆
ありがとう
あなたは私の
ほとけさま
