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屋根裏にはまだ住んでいる

#なんのはなしです家

久しぶりに、兄妹げんかの音がした。
ダン、ダン、ダンッと、
あの頃と同じ足音で娘が階段を駆け上がっていく。
プンスカ、という言葉がぴったりな背中。
見えなくても、だいたい想像がつく。
少し遅れて、息子の声。
言い返してはいるけれど、追いかけはしない。
ここも、前と同じようで、少し違う。
前はもっとすぐに追いかけていた気がする。
言葉も、もう少しとげとげしていた。
今は、距離の取り方を知っている。
たぶん、どちらも。
やがて二階から、泣き声が聞こえる。
それも、少しだけ控えめになった気がするのは、気のせいだろうか。
しばらくして——
話し声。
ああ、と思う。
変わっていないものも、ちゃんとある。
娘はきっと、あの場所で、
あの誰かと話している。
ひとしきりのやりとりのあと、
くすくす、と笑い声。
そして、静かになる。
降りてきた娘の顔は、すっきりしている。
「落ち着いた?」
と聞くと、
こくり、と小さくうなずく。
「誰かと話してた?」
「内緒」
即答だった。
その言い方が、少しだけ上手になっている。
前はもっと、隠しきれていなかった。
夕方、キッチンで妻と並ぶ。
特に会話がなくても成立する時間。
こういうのを、たぶん大人っていうんだと思う。
「さっきさ」
と、僕が言う。
「ひさしぶりに聞いたよ、あの感じ」
妻は少し笑って、
「ああ、あれね」と言った。
通じる言葉は、だいたい短い。
「まだいるんだね」
と僕。
「いるでしょ」
と妻。
「むしろ、こっちが見えなくなってるだけで」
なるほど、と思う。
それはちょっと、困る。
掃除のときとか、ぶつかりそうだし。
「ちゃんと避けてくれてるよ、たぶん」
と言うと、
「気遣いのできる住人だね」
と妻が言う。
その評価は、なんだか正しい気がした。
ふと、二階を見上げる。
気配は、あるような、ないような。
前よりも、薄くなっている気もするし、
ただ静かになっただけのような気もする。

変わったのは、あっちなのか、
それとも、こっちなのか。

「そういえばさ」
妻が言う。
「最近、あの子もあんまり話さなくなったよね」
あの子、で通じるのが、少しおかしい。
「うん」
とぼくは言う。
「忙しいんじゃない? 向こうも」
向こうがどこかは、わからない。
でもたぶん、ある。

夕方の光が、少しだけ長くなっている。
春だな、と思う。
「今日はパパに淹れてあげるよ」
息子が言った。
毎朝ママにコーヒーを淹れている息子。
少しだけ背筋を伸ばして、
少しだけ誇らしげに。

豆を挽く。
ドリッパーにペーパーをセットして粉を入れる。
お湯を、ゆっくりと落とす。
前よりも、ずっと静かな手つき。
円を描く、その動きが、
どこか落ち着いている。
毎日、積み重ねてきたものは、
こういうところに出るんだな、と思う。
言わないけれど。


屋根裏には、たぶん、何かがいたんだ。
娘のともだちかもしれないし、
息子のひみつかもしれないし、
もしかしたら、ぼくの忘れものかもしれない。
でも今は、もういない。
いなくなったわけじゃないのかな。
見えなくなった、のか。
形を変えて、
ちゃんとこの家のどこかに溶けて、
屋根裏にはまだ住んでいるのかもしれない。


コーヒーの湯気が、ゆらゆらと揺れる。
その中に、なにかが混ざっている気がして、
すこしだけ目を細める。
湯気が、ふわりと立ちのぼる。
その向こうに、
さっきまでの喧嘩も、
あの頃の気配も、
全部が混ざって、揺れている。
そのとき、
たたっ
と、小さな音がした。
ほんの一瞬だけ。
屋根裏のほう。
僕と妻は、同時に少しだけ目を上げて、
でも、何も言わなかった。
確認するほどのことでもないし、
否定するほどでもない。
ちょうどいい、あいまいさ。
「はい」
と、息子がカップを差し出す。
受け取る。
あたたかい。
ひとくち飲む。
少しだけ、大人の味がする。
「どう?」
と聞かれて、
「いいね」
と答える。
本当に、いい。


家ってなんだろう。
同じ場所で、同じように暮らしているのに、
少しずつ、すべてが変わっていく。
喧嘩の仕方も、
泣き方も、
内緒の言い方も、
コーヒーの味も。
そしてたぶん、
見えない誰かとの距離も。

屋根裏には、きっと、まだいる。
でももう、前みたいには会えないのかもしれない。
それでもいい、と思う。
ここには、ちゃんと残っているから。
声にならなかった言葉とか、
笑いそこねた笑い声とか、
誰にも見えなかったやりとりとか。
そういうものが、少しずつ積もって、
この家をつくっている。


コーヒーの香りが、僕らを包み込む。
そのなかには、きっと、いる。
ひと口。
またひと口。
湯気を飲み込むたびに、そう思う。

子どもたち、
ずいぶん遠くまで来たんだな、と思う。
いつの間にか大きくなったものだ。


引っ越したのは、あっちじゃなくて、
こっちなのかもしれない。
そんな気がしたんだ。





君がいれば大丈夫。


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