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古本との出会い

 町で老舗の古書店が道路拡張工事によって、町の中心地から私たちの町内に引っ越してきた。その古書店で私は伊藤永之介に出会い、鴉をよんだ。
鴉とは織物工場の年季奉公の女工の足を表現したもののようだ。埃にまみれ、ひたすら働かされる女の子の垢にまみれた足のことである。



「おと、こまったな、おらなんとしたらいい」と、父親に対してナミはつぶやいた。
巡査にナミの身売りを阻まれた父親に向かってかけた、小学校卒業前の娘の科白だ。
自分のおかれた立場の理解、親の借金のために年季奉公に出される女の子の達観。そしてまた、口減らしになるはずが、ならずに戻ってしまった戸惑いが表現されている。

小作料の未納分に度外れた利息をつけて小作人を縛り、小作人の子供達を利息の代償に扱き使う地主。
小作地を取り上げられないように、金を工面して地主に収めようとする小作人。今日明日の生活のために娘を女工に売る親。
狡賢い周旋人はそんな小作人を巧みに罠に落としてゆく。
そしてまた、ろくな飯を食わせず、一日中働かせて利益を上げようとする織物工場主が登場する。

 できるだけ酷い工場に娘らを周旋して、子供らにもう耐えられないと親に訴えさせ、工場から小料理屋、酌婦へと斡旋して、周旋料を稼ぐ周旋屋。目先の金を追いかけ、結局手付金さえろくに手に入れられない小作人達。
そういう歴史があったのでした。

 小作地を分捕ろうとしている男がいる。その男の娘が働いている工場にナミは行った。男の娘は病気である。ナミが小料理屋に売られたとき、ナミは父親にその娘を連れて帰るよう頼んだ。ナミに頼まれその娘をおぶって帰って来るナミの父親と、その宿敵の男とが夜の雪道で出会うラストは出色である。


小説は特に酷い地主、周旋人、たちの悪い工場主をモデルにしているだろが、それなりのことがこの世にあったわけである。
そういう歴史を経て今がある。
この小説の時代においても、公共では小学校卒業前の子供の身売りを防ごうと警官たちも頑張るのだ。救えない世にも未来を見る目はあったのである。


現代史は市井の小説を読むと頭に入り易い、そんな気がしています。何故そう思うのだろうかと考えてみると、市井の小説には生活が書かれているからではないだろうか。その書かれた生活に実感を得るのだと思う。
私はこうして小説で歴史を学んで行くのだろう。

 終わり


 

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