『ラインの黄金』徒然〜その5〜 予示
大評判になったドラマ『VIVANT』の中にこんなシーンがあった。ジャミーンの家で乃木憂助(堺雅人)は小麦粉を手のひらに載せて「1kgまでなら10g誤差」で重さを量り約500gに調整する、という別班の特殊能力を見せた。このエピソードはのちの第8話で、児童養護施設での給食の米が本来より少なく盛られていることを乃木が手で持ち上げて見抜くことに繋がった。またクライマックスにおいて、銃弾の有無を察知し、黒須(松坂桃李)に「故意のフェイク射撃」を仕掛ける緊迫の展開になった。第1話でのエピソードがのちの展開へのきっかけだったわけだ。
このような「予示」は、未来の出来事や状況を前もって示すことを意味する。言葉や行動、作品の中に隠された「予告」のようなものであり、それは見る者、聞く者に期待感や緊張感を与える重要な役割を担っている。
文学作品でも「予示」は巧みに使われる。物語の序盤でさりげなく置かれた小さなヒントや象徴が、後の展開を暗示し、読者の興味を引きつける。これを「伏線」とも呼ぶが、予示の一形態と言える。例えば、ある登場人物の言葉や行動が後の事件の鍵となることをほのめかすことで、物語に深みと統一感を生み出す。
同様のことは冒頭のVIVANTの例以外にもテレビドラマや映画でも多く行われている。いや、むしろそうした「予示」がなければドラマが成り立たないとまで言えるだろう。視聴者はちょっとしたエピソードとして描かれた事柄が後々重要な意味を持つことを知っている。だから真剣なウォッチャーは隅々まで見逃さない。
ではこのようなアイディアを音楽作品に活かすことはできないだろうか?実は『ラインの黄金』に於いては、この「予示」が効果的に行われているのだ。それは主に第2場に登場するライトモティーフについてである。のちに完全な形で現れるはずの「ライトモティーフ」を断片のような形で仄めかしておくのだ。それが表す登場人物がまだ舞台に現れる前に、音楽的な特徴を提示しておくワーグナーの秀逸なアイディアだ。
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まずは「槍・契約のモティーフ」と「巨人のモティーフ」の予示について見てみよう。
第2場冒頭すぐ、ヴォータンは夢現の中、目覚め完成した城に見惚れている。

上記譜例3小節目からの下降音形はのちの「槍・契約のモティーフ」の原型である。すぐ先の会話中にその下降音形が何度も聴こえてくる。ヴォータンは契約の神様であり、それを担保しているのがルーン文字が刻まれた槍なのだ。それゆえ「槍」と「契約」は同じ音楽モティーフを持つ。実際はその使い分けはされており、以下のシーンでは「契約」に話が及ぶとこのモティーフがそれと結びつけて聴こえてくる。

ヴォータン「よく覚えているよ、あの城を作った者どもが何を条件としたかを。私はあの反抗的な一族を契約によりなだめすかし、気高い大広間を作らせたのだ。あの屈強な者どものおかげで広間はできた。」
そして注目したいのが2段目最後、付点付きのリズムで始まるティンパニのリズム。これは「巨人のモティーフ」の予示、「あの城を作った者ども」というテキストがあるように巨人族のことを暗に示している。
そして彼らの登場の際に鳴る本来の「巨人のモティーフ」は以下のようなもの。


このモティーフは『ラインの黄金』の中でも群を抜くキャッチーさを誇っている。一度聞くと頭から離れなくなる大胆さを備え、思慮深く作品を織るワーグナーにしては至極単純なモティーフだ。しかしこれ以上的確な巨人の表現はないだろう。このモティーフがなければ、フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』の「魔女の騎行」は生まれなかったであろう。

低音の4度の動きは明らかに「巨人のモティーフ」からのアイディアだろう
巨人たちの登場後、ファーゾルトが歌い始めると契約の履行を迫るように「契約のモティーフ」が聞こえるのがわかるだろう。
続いて以下の譜例は、争いを諌めるためにヴォータンが槍を振りかざすシーン。ここではトロンボーンによる「槍・契約のモティーフ」、トロンボーン群が拡張され追加された楽器「コントラバストロンボーン」の低音域の威力を味わえる。振りかざす「槍」と「契約」を守る存在である自身の立場、両方の内容が同一のライトモティーフで示されている箇所だ。

この純然たる下降音階の進行を、目覚めのシーンの柔らかい下降音形が「予示」していたわけだ。
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続いて「ローゲのモティーフ」の予示。

巨人族の登場の前にヴォータンが歌う一節、2段目の最初の小節に注目してほしい。ローゲのことを喋っている小節だが、主和音の第1転回形が半音で連鎖しているのがわかるだろう。歌唱声部の完全5度の動きも特徴として覚えておいてほしい。またこの小節にだけ!歌にレガートが付されている。ワーグナーは特別な表現が必要な時にだけ歌唱声部にレガートを書いた作曲家だ。これはワーグナーの譜面を読む時に大切なこと。つまりこのローゲを説明する小節には大きな意味があるよ、と示しているのだ。これらが後の「ローゲのモティーフ」の特徴を備えており、その予示となっている。
また巨人族が登場した後初めてファーフナーが口を開く箇所はこのような音楽。

やはり主和音の第1転回形の連鎖に歌唱声部の完全5度上昇、さらに下降、さらにはレガートが付されていることなど、上記のヴォータンと似ているのがわかるだろう。ここではローゲを表すというより、奸計に長けたファーフナー自身の特徴を表明していると見た方が良いだろう。力と愛欲にしか脳のない兄ファーゾルトに対して、策略奸計知恵に優れているのが弟ファーフナーである。皆さんもご承知の通り、ローゲは策略奸計知恵に長けている存在で(それは上記の箇所でヴォータンも説明済み)その特徴をファーフナーも備えている、と音楽が教えてくれるのだ。
で!このような予示があったのち、本家「ローゲのモティーフ」が登場する。

ローゲ「何だって?私がどんな取引をしたって?」
火がメラメラと燃えるような16分音符の連続、半音階進行に主和音第1転回形の連鎖、「ニーベルングの指環」の中ではこれから何度もお世話になるモティーフの初登場シーンだ。なおローゲモティーフには様々なヴァリエーションが存在する。
このモティーフが鳴ると誰もが「ローゲ」「火」をすぐに連想してしまう。ワルキューレの「魔の炎🔥」や黄昏の「ヴァルハル炎上🔥」もこのモティーフによるものだ。「ライトモティーフ」ってモノによっては「テーマソング」って呼んだ方が良い場合もある。
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最後はちょっと地味だが通を唸らせてしまう予示をお見せしよう。「思案のモティーフ」の予示だ。
ローゲが登場して間もなく「どう解決すべきか、思案に思案を尽くして考え抜く・・・確かにそう私は約束しました。ですが、それが、私から見て、これまで一度もうまく行かず、今後もうまく行くはずがないことだとすれば、どうして約束なんぞしたことになりましょう?」
と惚(とぼ)けると、フリッカ、フロー、ドンナーに寄ってたかって罵られる。

フリッカ「ほら!なんという嘘つきをあなたは信じたのかしら!
フロー「これからはローゲではなく、リューゲ(嘘)と名乗れ!」
ドンナー「いまわしいローエ(炎)め!消えてしまえ!」
ここ Loge Lüge Lohe とL の頭韻が面白いシーンなんだが、これを受けたヴォータンがその場を収めるセリフが下記譜例。
ヴォータン「手を出すな、味方だぞ!お前たちはローゲの流儀を知らないな。もったいぶって知恵を小出しにすればその値打ちもいやマシに増す、これがローゲのやり口だ。」

1段目5小節 "reicher wiegt~"から、機能性を欠いた3度音程が連続する。これは「思案のモティーフ」と呼ばれる。ヴォータンも知恵や策略を思案することが力に勝ることを知っている。
このモティーフは主にミーメのために使用されるもので、その完全な提示は第3場ミーメの語りに現れる。3度の連続が特徴の「思案のモティーフ」を見ることができる。2段目のe♭g - c e♭ - a c - f♯ a の下降する3度はそのまま「指環のモティーフ」の下降音形と全く一致する。

ローゲ「お前を縛りつけるだって? なぜお前の兄は、そんな権力を持ったんだ?」
そして『ジークフリート』冒頭でファゴットによって印象的に鳴らされるモティーフとなるのだ。ここでは「指環のモティーフ」の一番高い音と、一番低い音とを連結する形となっており、指環をどのように手に入れるか思案するミーメの姿がより鮮明に提示される。

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『ラインの黄金』って他の3つの作品と比べると深みが足りず音楽的魅力に乏しい、と思われがちだが全くそんなことはない!!「ライトモティーフの本格的使用」が始まったのはこの作品だし、今回説明してきた「予示」そしてワーグナーご自慢の「移行の技法」などの音楽的アイディアに溢れた斬新な作品なのだ。金管楽器の拡張、6台のハープの効果的な使用、金床のみのアンサンブルなどオーケストラの音色に対するこだわりは前衛的とさえ言える。ストーリーの面でもマンガ的な面白さやキャッチーさ、ストレートな表現などは、のちの『トリスタン』などには見出せないワーグナー唯一無二の作品と言えるだろう。ああ『ラインの黄金』の魅力を夜通し語りたいなあ。。
問題は、、、2時間半ノンストップで鑑賞するのが大変、、ってことくらいかな。
