『ラインの黄金』徒然〜その6〜 いわゆる『逃亡のモティーフ』について
今日は禁断のネタに踏み込んでみようと思う。たった一つのモティーフがワーグナー研究家たちを悩ませ続けているのだ。それは『ラインの黄金』第2場でフライアが登場する時に聞こえてくる「逃亡のモティーフ」と言われているものだ。

譜例中、1段目の最後のヴァイオリンのメロディが「フライアのモティーフ」そして2段目1、2小節目が「逃亡のモティーフ」と呼ばれている。この名称は1871年ゴットリープ・ヴォルツォーゲンという研究者が指環モティーフ分析の中で名付けたもので、この名が今日まで定着している。
なるほど、フライアは巨人どもに追われて出てくるので「逃亡」という名称は状況に合っている。しかしこの場面以後もこのモティーフは出てくるのだが、だんだん「逃亡」の概念が希薄になってくる。
2場から3場への間奏曲にこのモティーフが現れる。せかせかした動きに引き続き金管楽器で壮大にモティーフが吹き鳴らされる。


果たしてこれは「逃亡」を意味するのだろうか?ヴォータンが自分の意思でニーベルハイムに降りていく様子を描いてこそすれ、ヴォータンが「逃げている」というのは違うのではないか?ここにすでに矛盾が発生する。
その後『ワルキューレ』においてはジークムントとジークリンデの愛が醸成されていく過程にたびたび出現するようになる。(以下の3小節目から出現するモティーフ)

そしてその頂点にあたるのがジークリンデによる"Du bist der Lenz"(あなたこそ春)である。

『ワルキューレ』2幕では妻のフリッカにやり込められたあと、ヴォータンが絶望の叫びを発する。"Endloser Grimm"以降がこのモティーフとなっている。


ヴォータン「終わりなき怒り!永遠の悲嘆!」
また『ジークフリート』3幕ではヴォータン(さすらい人)が地底に降りていきエルダに助言を求める場面に頻繁に登場する。

さすらい人「起きよ、ヴァーラ」
また「ヴァルハルのテーマ」の終結部、俗に「ヴァルハルカデンツ」と呼ばれる箇所(あ、私しか呼んでないかもしれません💦)の音形が、問題のモティーフの形をしている。

こうしてみると、関連する人物にはフライア、ジークムント、ジークリンデ、ヴォータンが絡んできて、このモティーフが意味することの解釈には大変な困難をきたす。もはや「逃亡」と呼ぶ意味さえなくなりそう、、
実は!この動機の初出箇所は、私がこのシリーズで長々語ってきた『ラインの黄金』の第1場なのだ。散々3人の乙女たちに弄ばれたあげくコケにされたアルベリヒの嘆きである。"dritte, so traut"の箇所だ。
アルべリヒ「ひどい!ああひどい!痛い!ああ痛い!あんなに優しかった3番目の女(フロスヒルデ)まで、俺を騙していたとは?」

つまりアルべりヒの悲嘆から生まれたこの動機が、指環全体のドラマの筋を展開させる根源的な力を表す音楽的表層と言えるのではないだろうか?事実それは「神々の黄昏」の最終場面ブリュンヒルデの自己犠牲の中で、その展開を自ら止めるようなブリュンヒルデの言葉が発せられ「ヴァルハルカデンツ」が最終的に停止するような音楽になっていることからも説明できる。

ブリュンヒルデ「憩え、憩え、神よ!」
この後ブリュンヒルデは館に火を放ち、ヴァルハルを炎上させ、世界の終わりへと自ら導いていくのだ。
よく『ワルキューレ』1幕の後奏を「逃亡のモティーフ」と間違って解釈した演出家が、ジークムント、ジークリンデ2人がフンディングの館から急いで逃げ出す演出をすることがある。愚の骨頂である!

ト書きには
「ジークムントは情熱をこめて荒々しくジークリンデを抱き寄せると、彼女はひと声叫んでジークムントの胸にくずおれる」
とある。この音楽動機がこの幕で愛の象徴であったことを考えると、その場で行われる行為はただ一つのはずだ!
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2000年にヴュルツブルクで開催されたシンポジウム「作曲家ワーグナー」での討議でも、このモティーフは今なお解釈が困難だ、と言及されている。それだけワーグナーが仕込んだこの音楽的仕掛けは何しろ壮大だ。研究者を100年以上にわたって困らせてきたのだから。そんなテーマを1回のnoteの記事で解決できるとは思っていないが、現時点での私の見解は上記にも記したようにこのモティーフは
「指環全体のドラマの筋を展開させる根源的な力を表す音楽的表層」
だ、ということである。このモティーフが関わる場面は押し並べて指環のドラマのキーになる箇所ばかりなのだ。
アルベリヒの悲嘆からの黄金強奪
城ができてヴォータンご満悦
フライア逃亡
ヴォータンをニーベルハイムへ向かわせる
ジークムントとジークリンデの愛
フリッカに打ちのめされヴォータン絶叫
エルダを訪ね彼女の活動を停止
ブリュンヒルデの自己犠牲で展開が停止
などなど。
それゆえ一言でライトモティーフの名称を付けることは難しい。ライトモティーフとはもとより重層的、多義的であり、特に「トリスタン」「マイスタージンガー」を書いたのち指環に戻ってきたワーグナーがさらにその意義を推し進めた。というわけで今日のタイトルにあるように「いわゆる『逃亡のモティーフ』」などと言ってお茶を濁しているのである。
私がワーグナー作品をこのように見通す力を与えてくれたのは小宮山晶子さんという研究者。小宮山晶子さんがいなければ人生を賭けてワーグナーに取り組むこともなかったかもしれない。このような問題を研究したいと思われる方には、ぜひ小宮山晶子さんの研究論文などをあたられると良いと思う。
