サイゼリアという夢の向こう
もちろんタッパ持っていった。ムール貝とエスカルゴにフォッカッチャが家に招かれたのである。

妻と二人での外出は数年ぶりである。僕はイタリア大好きである。新婚旅行ではイタリアに行ったことをもいだした。添乗員がいない1週間であった。楽しかった。
サイゼリアがイタリア料理として「どうか」と議論する風潮があるが、愚かである。料理というのは、極めてパーソナルなものであり、作った人のものである。食事とは、食物連鎖(マイクロバイオームの輪廻転生)の表現形なのだ。生命に本物も偽物もない。日本で食べられたならば、それは日本料理なのだ。「イタリア料理とは言えない」とか、「本場に負けない」とか言う議論は双方ともに馬鹿である。
「言語」と同じである。「ラングとパロール」の問題である。「ピジョンイングリッシュ、クレオール」などのように、発生した所を「本物」でそれ以外を偽物というのは、おかしなものだ。
口に合わない料理はあるかもしれないが、料理に対して本物とか偽物というのは傲慢である。私たちの内に故郷があり、いまを生きている証である。

サラダのレベルが高くて好きだ。今日は緑の鮮やかなものを選んだ。







大事なのは、どこで食べるかではない。誰と食べるかである。人生山あり谷ありである。
このお話の続きです。結局、冷凍のエスカルゴは買わなかった。時折食べに行けば良いのだという事になったのである。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。