問題はコロナの感染ではない、独居老人の孤独死なのだ。
年取ったヒトは本当に心細いことだろう。
コロナをなんとかしろと言うのはよく分かる。しかし、それは私達自身の未来なのだ。
私達は、高熱を出して誰も見てくれなければすぐに死ぬ。老人でなくとも、嘔吐して外に買い物に行けず、立ち上がることも出来なければ死ぬ。すべての人を入院させるなどということは出来はしない。
肺は脆弱な臓器である。年取って免疫系が肺胞の内側を満たす一般的な腐敗菌と「上手くダンス」できなくなると炎症が起こり、血流が止まる。コロナが肺を破壊しているわけではない。自己免疫疾患なのだ。僕の父が亡くなったときも肺炎の症状であった。ガンか肺炎でヒトは死ぬのだ。
今の「医療=介護制度」自身の見直しより、ワクチンのせいにするほうが金がかからない。だから、こういう馬鹿な話になる。
おまけに医者は「不老不死」研究費を集め贅沢をする。僕の食事メソッドのほうがよっぽどいい、ピンコロの充実した人生が楽しめる。誰か金くれ。
マユも元気である。

「社会」の問題なのである。
コロナはウイルスのファーストアタックである。だから被害が大きく見えるのだ。生命が適応していくことで収まるのだ。症状が出なくなるまでは長い時間がかかるだろう。インフルエンザだって、スペイン風(先のパンデミック)で登場してようやくただの風邪になっている。コロナもそうなるのだ。ウイルスとヒトの細胞が互いに適応し合いながら変わる。
しかし,根本的な問題は社会の側にある。社会が変わった時に、災厄は起こる。それは災厄(パンデミック)の側の問題ではない。身体と言うコロニーの内を満たす海に浮かぶ細胞(マイクロバイオーム)の準備ができていないから多く死ぬ。しかし、細胞は環境に適応する。必ずで落ち着くのだ。
ツボカビ病で多くのカエルが死んでいる。絶滅すると予言する学者もいるがすでに生き延びる変種が出てきているという。結核も耐性菌が多くの命を奪っている。ヒトがウイルスやマイクロバイオームを雑滅させるなどということはありえない。
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コロナが人以外の生命でも生きれることは分かられている。人獣共通感染症などという傲慢でヒト中心の奢りが生命の姿を見えなくする。
ウイルスは種などというヒトの勝手に決めた区分を知らない。種などというものにとらわれないで、「生命というコロニー」を求める。
DNAは細胞のプロトコルである。生物の形を決めているのではない。細胞膜にドアと鍵をつけて外部を受け取るための共通のルールである。コロナはその鍵を持っているのだ。つまり親戚筋なのだ。そのコロニーでは様々なDNAに由来するマイクロバイオームが互いに助け合い、ディールし合いながら生きている。サンゴ礁のようなものである。
そして生命は、いずれ死ぬ。環境の変化をマイクロバイオームに伝え、そして次の「生」に受け継がれるのだ。

僕は30歳の頃東京のど真ん中で死にかけたことがある。肺炎であった。失業中で保険の切り替えをしなくて(国民保険に入っていなかった)、医者に行けなかったのだ。ちなみに、アメリカでの大きな問題は、あの国の医療制度にある。地下鉄で絵の大量死も医者いけないホームレスが肺炎で死んだのだ。金持ちしか医者にかかれない。同じ様に日本の問題も、医療制度にある、医者が多すぎる。稼ぐために患者が望まない手術をしなければならない。ヒトは死が恐ろしい。家族の中で死を迎えていた時代は死が隣りにあった。経験することでヒトは学ぶのだ。僕は父と母で学んだ。
隣近所のつながりが無くなったなどという戯言
そもそも、社会の構造が変化して、皆サラリーマンになった今の時代に隣近所のつながりなど求めるほうがおかしい。僕の小さい頃は地域の工場にはた滝に言って。歩ける距離に肉屋・魚屋・八百屋・豆腐やさん、農家の方がヤシを売りに来て、地域の運動会や文化祭、バス旅行があった。
昔を懐かしむ、年寄りの幻想である。それは社会の影なのだ。社会自身が変わったのだ。そして行政は、「パブリック」として地域のつながりを再生しようとする。しかし,学校はクラスメイトを蹴落とす場だし、地域の面倒には首を突っ込みたくないのが当たり前。昔の幻想を求めるのは愚かである。
レジャーにしてもコミュニティにしても、もはや元には戻らない。地域の小さな範囲で商売が成り立っていた時代は、隣近所がお客様で、共に働く人達だった。差から繋がりができたのだ。
グローバリズムはその構図を破壊した。アマゾンで商品を買うが、それは金と商品の交換でしかない。ぼくが居なくなってもペゾすは困らない。だから、売上の一部をお客さんのために使おうなどとは思わない。かつて「税金<=>福祉」という循環するコミュニティがそんざいしたが、今はもうない。大金持ちは節税に励み、生活保護者を間抜けな無能者呼ばわりする。しかしね、僕らが物を作り商品を買うからあんたらは自家用ジェットとかヨットと抱えるのだ。羨ましい。少し分けてほしい。宝くじ買うか。
隣近所を助け合うなどというモデルは無理である。おまけにコロナは二種感染症だから一般的な介護サービスは受けられない。まず、二種感染症から外せばいいのだが、そうも行くまい。
ワクチンの効果がないということ
大体、ワクチン打ってどのくらい入院患者が減ったか数字がわからない。みんな打っているよとあれだけ言っておいて、そうじゃなかったのかい?
ワクチンに効果ないからこんな話になる。
いくらワクチン打っても、陽性になる人がいるという事実を真面目に見直さないでどうするの。
変異株などという言い訳で納得するのは頭がおかしい。専門家は自分が通る道だとは思わないのだろうか。やっぱ、頭悪い。
病院経営にとっては病床のひっ迫は金になる患者を逃すから、ワクチン売れれば製薬会社は儲かる、2度美味しい話である。
問題はコロナの感染ではない
「家族というっシェルター」がない独居老人は、熱出したらすぐに死ぬ。地域やコミュニティ(家族や町内会)で守る手立てがない、問題はそこなのだ。
自分の20年語を考えると恐ろしい。僕の家の近所にも独居の方がいるが、どうなているかなどわからない。
一人で住んでいる人がどれだけいるだろう。今までも熱を出して寝込んでいるうちに死んでいるヒトは多くいたはずである。孤独死の本を読むことがおおい。亡くなった方の部屋の整理の仕事も読むことがある。
隣近所に声がけするなどというのは現実的ではない。ストーカーだと思われる。外出禁止などということはない老人は外には出れないのだ。しかし、完全に外部と隔絶しては生きれない。だから徐々にウイルスは施設にも病院にも忍び込む。
もう隣のおばさんの顔、何日も見ていない。どうしているか心配だが、玄関灯でしか確認できない。
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1980年代に行政は「家族というシェルター」の役割を押し付けられた。その時はまさかこんなことになるとは思わなかっただろう。
広い敷地で、三世代住宅があるような裕福な方々は別である。金のなる木(家賃収入や既得権の集金手段:子供に渡す遺産)がない限り、私達は狭い小箱に住んで断捨離をしながら徐々に死んでいき、最後は施設で年金ATMになりながら、ICUで死ぬ(金があれば)。
おそらく、介護施設の制度設計は、ある程度の年令になるまで間待って、それから介護施設に入るというものだったのではないか?
それが一気に崩れたのだ。介護施設の設計を調べてみなければならないねえ。それには人口動態や未来の予測をしなければならない。天気予報などよりよっぽどスパコンも出番だろう。
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接種を強制するならば、ワクチンで薬害を認めて、きちんと保証するのが筋だろう。もはや、民主主義は製薬会社に買い取られたのだ。
変種はワクチンを打っている人間の細胞に対応してコロナが変種になっている。変種がワクチンの効果を無くするというのは「ワクチンと言う考え方が」が悪いのだ。
だって、ワクチン打った人間がコロナに罹患しているのだろう。3回めが進めばもっと死亡者がでてくるだろう。ここまで話し広げてどうするの。
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ワクチンという考え方
細胞は免疫系の働きがなくとも自分で自分を守るのだ。それができないのは「食事が悪い」
この話は準備中です(笑)。
ドッグフードみたいな食事しているから、辛い死に方をする。
「現象」が収まらないのは「対策」が間違えているのだ。
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このお話と同じこと言っています。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。