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「百年のお裾分け」(6)メニュー その1

2022年末に弁当屋を始める。小さい範囲に限定して、作る仲間もその範囲かに住んでいる人である。グローバリズムが破壊した「食」を取り戻す試みである。ピンコロの人生の終わりを迎えられる食事というのはどんなものであるのかを考えながらである。
300食を365日、父の家の厨房で素材から丁寧に作り配達をする。自分で食べるものだから「安心安全」などというスローガンは必要ではない。鍋釜はおおよそ集まっているので、それを使って毎日作るシュミレーションをしているのだ。
夕方、5時位に歩いて1分くらいの所にお住まいのSさんに長期モニターとして食べていただいている。メニューの方向はおおよそ決まってきている。
問題は300食をいかに作り配達するかである。価格は仕入れによっって変わるので未だ先になる。伸一さんは、サンプルをひと目見て「200円で作れるな」と言った。仕入れ筋はこれからの勉強である。伸一さんは、競馬場に新発田の業者が入っていたときは土日には700〜1000個のかき揚げを朝7時に納品していた。胡桃豆腐や胡麻豆腐は数百が新潟県下の大手スーパーに卸されていた。しかし、グローバリズムがもっと安く名前が同じでありながら全く異なった商品を売らせる。フードキャピタリストの富の根源である。そしてあたしたちの苦痛に満ちた人生の終わりをもたらせるのだ。

1)ユニット

3時間で150食を作ることを考える。11時からの1ユニットと2時からの1ユニットで300食を作ることが出来る。1ユニットはA,Bの2パターンの弁当を作る。

配達も一家庭で2個の場合と3個の場合を考えることが出来る。Sさんの家は娘さん夫婦と合わせて2.5個分のお裾分けになっている。2個の配達の場合はABを組み合わせることで、二人で年取っていっている幸運なお二人には食べていただくことが出来る。配達の問題はこれからである。

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2)パターン

いつもひとつのユニットは2つのパターンを作る。大鍋の容量が80人前程度だと思うからだ。魚も8〜10匹を焼けるデロンギを5台用意するので15分で焼いて2回転で80匹程度焼ける。フライパンも32センチ一つで12個ハンバーグを蒸し焼きに出来るから、5−6枚用意して回せば80食は行ける。保温鍋を5−6個用意すれば1つで8✕5段=40個ロール白菜が出来るとして200は行けるハーフカットで一人前にするから、300食はとれる。これが、汁は共通にする根拠である。もっとシュミレーションをして、最高顧問の意見を聞かねばならない。なにせ、設備を作った時点ではもう決まってしまうことなのだ。誰もいない厨房で踊りを踊っておるのである。

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Aパターン
 メインディッシュ:焼き魚、卵焼き(麻婆豆腐入りオムレツ)。
 煮しめ等の汁の多いブロック:肩ブロックチャーシュウ
 箸休め:サラダ(煮豆や、佃煮など)

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Bパターン
 メインディッシュ:トンカツ、芋天、れんこん
 煮しめ等の汁の多いブロック:手羽先大根
 箸休め:サラダ(煮豆や、佃煮など)

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汁は必須

シチューのようなものもあるだろうし、鍋風のもの、八宝菜的なトロミのある炒めもの、カレーも良いかもしれない。その日のうちに作ったものを密閉の出来るパックに入れて出す。

ここにも「肉・魚」は標準に入れる。

飯は玄米にしたい

玄米は特別な力のある食事品ではない。魔法のパワーも元気になるマジックもない。しかし、いいものだと思う。今のとこと食べてもらった人には好評である。

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基本的にメニューは一本である。選択するコースも「✗✗制限食」もない。塩分もカロリーも特に留意しない。

骨も抜かない。できるだけ一物全体に食べる。地場の旬のものを使う。

調味料は「顆粒だしの素」、「醤油・味醂・酒・味噌」ここに酒粕とか豆板醤、豆鼓、オイスターソース、ナンプラー程度までは使う。

オデンのダシの元は使う。カレーやシチューのルーは要検討。

冷凍食品は食べて「何か盛っているな」と感じられないレベルのものは使う。餃子やシュウマイはアクセサリー程度の使い方のにおいては市販品を使う。

ハンバーグは自作する。

味を見て、美味しすぎる市販品は使わない。「何かを盛っている」証拠だ。お店の唐揚げなどを食べても、「美味しすぎるもの」「簡単に満腹になるもの」は避ける。

生命がそこに満ちているかは難しい判断である。僕自身が納得できる食事こそが「お裾分け」と言うことなのである。


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一番食事にとって大事なもの

食事は「栄養素」を食べるものではない。生命を受け取っているのだ。食材の細胞の内にある「立体構造=生体活性」を維持した調理プロセスにこそあるのだ。「乾燥・抽出・濃縮」工程は細胞内外の水を捨て去り残った物質を軽量する。今私達を苦しめている『「病因」の無い「症状だけの病」』は対処療法で身体を破壊する。それを医療は治療と呼ぶ。

Sさんにお裾分け初めて40日だ。最初はどうなることかと思っていたのだが、今ではすっかり楽しくて仕方がない。皿に並べて料理の説明をする。味わってもらって感想を聞く。硬さや昔どんなふうに味をつけていたか、色々な話が聞ける。

小さな頃の風景が内に浮かび言葉となってくるのであろう。織物工場の経営者の末娘だった彼女の目には、女工さんたちの姿が見えているようだ。芋天を持っていった時に、工場の2階に住んでいた女工さんにご飯を作る話になり、たくさん揚げては夕食とした話。お父さんと広間で夕食を食べている時に母が居ない話(お膳で食べている時に母の居場所はなかったと言う)。

田舎から口減らしで出てきた娘たちが、年老いたらどうなったのかきいてみた。次々と記憶の扉が開いていくさまが見える。彼女の口から伝えられる物語は、「人」というものが今も昔も変わらない姿であることを教えてくれる。

女工たちは、工場で働いていた男たちと所帯を持ったという。女工哀史ではないが、人はいつもそこに生きていたのだ。

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やがて僕の食事が多くの人を「結びつけるといい」とおもう。

もう少し先ではあるが。

たかが弁当屋の大きな夢である。

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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。