魚をさばくと、生命を食べているというのがよく分かる:生のホッケ(あまり見ない)
魚の良いスーパーに行ってきた。家からは遠く週に一回行くことがあるかないかであるが、僕のお気に入りだ。
ホッケの干物はよく見るが、生はあまり見ない。脂の少ない魚でナマから焼くとぼろぼろになる(だから干物が多い)。

食べ物を大切にしなくなり、スローガンが生まれた
「食べ物を大切にしよう」と言われ始めたのっていつくらいからだろうか?
僕の小さい頃は、父母に叱られたものだ。
今は、親からして買ってきた弁当を残しては捨てる。金で買えるものは捨ててもその金額を捨てるだけである。その金額が財政的にもったいないかどうかである。いただきますもごちそうさまも言わない。金で買ったものだからである。食事さえも購入可能なサービスなのだ。
スーパーで選んで買ってきた「時間が来ると半額になる弁当」を食べるのに「戴きます」は言っても作った人に届かないのだ。もはやこの言葉は形式的な残骸に過ぎない
50円のアンパンと1000円のキャビアは、捨てるとしたらどちらがもったいないだろうか。金で買えるということは、金額を評価の物差しにするということである。
食事が金で買えない時代は、捨てることは、作ってくれた人の人生の一部(愛)を捨てることであったのだ。それは、共通の価値を捨てることである。
「食べ物を大切にする」って、アタリマエのことだったのに、いつの間にか「粗末にするなと言われ始めている。「法律は破るものがいるから出来た」というのはぼくの好きな考え方。つまり、食べ物をカネで買うようになり、始まったことであろう。50年くらい前にその起源はある。
地産地消と言う言葉ができたのも1980年代である。それまでは当たり前だったことが、別な選択肢ができたらか「警句」となったのだ。

海外で作られた餃子を日本で食べるなどということはあり得なかったのである。フードキャピタリズムというのは人を「病因のない病」にして、医療に金が落ちる。海外で作られたことが悪いというのではない、作ったヒトが食べる人の笑顔を思わない食事は、ただの商品である。
医者や栄養士は、この社会の変化をまったく無視して、皿の上の栄養素の数ばかり数える。社会の変化とは、食事を作るプロセスの変化である。
そもそも栄養士や医師自身が調理を知らないのだ。
いまや、素材から調理する飲み屋のオヤジさんのほうがちゃんと食事の大切さを知っている。それは美味しさが証拠なのだ。

食事を知らない医者や栄養士は「オメガXX」の油が足りないから問題が起こるなどと言う。調理のプロセスが工業化され、「高温・高圧、乾燥・濃縮・抽出」工程を通るようになった所で外見は昔と変わらぬ様に見えながら中身はボロボロの食事ができているのだ。

足りないものを探してもそれは見つからない。
今私達を苦しめている「病因のない症状だけの病」は50年前には無かった。そもそも食物連鎖を通じ、生命は多彩な脂を細胞膜や細胞の内側で使われる「タンパク・脂質の立体構造」をそのままに自分の身体に取り込んでいた。
しかし、工場で作られる食事は形こそ同じに見えて、生命(「タンパク・脂質の立体構造」)が破壊されて、元素の数は一緒なだけの抜け殻である。
これは家で調理すればいいというものではない。時短調理は同じ様に見えても中がグズグズの食事しか出来ない。先日、電子レンジで玉ねぎをチンしてハンバーグに入れるというレシピを見た。玉ねぎは内側の水分から沸騰して「タンパク・脂質の立体構造」は破壊されて細胞から流れ出す。丁寧にフライパンでソフリットしたときとは違うのだ。圧力鍋はあまり嬉しくない。実際に根菜類はジックリ下茹ー>煮込みしないと美味しくない。
しかし、その調理の手順は習得に時間がかかる。問題はそこである。レシピ作家と言われる方々は、利用者のニーズに従った言葉を売る。
利用者(家庭で調理しなけれならないとプレッシャされている方々)は簡単・時短でできる言葉を喜ぶ。

昨今の風潮は昔の妄言に批判的である
丸元淑生さんは「分子共生栄養学」の紹介の第一人者である。当時からオメガXXのオイルが大事だと言われ、様々なサプリが売られている。
いまや、当時からの研究を見直すのが風潮である。過去の論文を今の尺度で評価して、エビデンス足りうるものかを見直すのである。
これだけ栄養素の重要性が喧伝されサプリが次々と出ながら「病因のない症状だけの病」は減る気配さえない。
そもそも、「必須栄養素」と言うあまりに幼稚な概念が問題なのだ。ようやくそれに気が付き始めたのだと良いのだが。
厚生省のsiteで、果たしてどの様に表現されているか見てみることにした。
何と、過去の研究を再評価して、その多くに「エビデンスが無い」ということになっている。まあ、海外の研究の紹介では有るが。
当時は現在のように分子生物学上の作用機序などというものは必要なかったのである。僅かな数のサンプルといい加減な調査で有意の差を見つけて「効果がある」と判定していたのである。
つまり、1960年以降の食事調査から導き出された仮説を元に、分子生物学的な機序(医薬品の開発に繋がり金が儲かる)を探して見つからないので困りきっているのである。
1980年代に、海外の研究を紹介している本を読むと、まさにオメガXXオイルが血をサラサラにするとか、素人騙しの表現のオンパレードである。
血液がサラサラというのは、下水管のイメージが有る。下水管の中を流れる汚水が詰まるイメージである。まったく身体の構造を理解していないアホの子が考えた言葉である。科学的(?)ではない。
僕は専門家の言説の中にこの言葉が出てくると、ああ、このヒトはアホの子か他人をなめきっている馬鹿だと思うことにしている。

今日は継ぎ足し鍋に手羽先を炒めてマルっと入れた。骨が低温で煮込まれて、「生命(タンパク・脂質の立体構造)」がスープに入り込んでいく。
上手くないわけがない。丁度、一ヶ月になる味が変わっていくのが分かる。







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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。