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「百年のお裾分け」(5)厨房

「百年のお裾分け」とは、半径3kmの範囲で食事を共有して大きな家族を作る試みである。年老いた僕が元気に生涯を終れる食事をエリアの人たちで作り、エリアの人たちに売り、その売上は作った仲間で公平に分ける。当然作る人も共有するエリアの人だ。
「安心安全」と行政は言うが、食べるヒトがどこの誰かもわからずに、安い時給でキャピタリストに富を与えるために作らせらせられたら手も抜くだろうし、コストをあ下げるように強制される。そんなプロセスで作られたものが「安心安全」なわけがない。
自分のために、出どころの分かる素材を使って時間をかけて作るのだ。80歳になり食事を作ることもままならない自分に持っていくための試みなのだ。

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平野屋

「平野屋」というのは長い歴史の有る「食べ物屋」だ。父方の実家で父が小さい頃は乾物屋をしていた。伸一さんのお母さんが、惣菜を売り始めた時は皆に笑われたという。未だ当時は食事は家庭で作るものだったのである。現在新潟で大手のスーパーの一社のおばあさんとも仲が良かったという。当時は小さな商店同士だったのである。僕も7年ほど軒先でソフトの仕事をしていた。当時は日本中で買いに来てもらえるようなベーコンを作ろうとしていた。

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「百年のお裾分け」最高技術顧問「斉藤伸一さん」。ぼくが独立した時は険悪であったが、母の死をきっかけにまたお付き合いを始めた。僕も少し世間に痛めつけられたのであった。「百年のお裾分け」のコンセプトを最もよく理解いただいている。彼の作るごま豆腐胡桃豆腐は最高である。現在有る平野屋の厨房の機器施設をお預かりすることになった。

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30年以上前からのボールやバット。鉄の質が違う。ものすごくいい。

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この大鍋で「胡桃豆腐・胡麻豆腐」を練っていた。あの味を懐かしむ人は今も多い。

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極めつけはこれ、何と「平野屋」の名が入っているバッド。倉庫の奥に30年近く眠っていたという。泣きそうになった。

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シンクと冷蔵庫も使う可能性がある。ベーコン用に業務用の冷蔵庫を買ったのだがほぼ使っていなかった。

当時の主力製品は「ごま豆腐・胡桃豆腐」であった。料亭でも仕入れるほどの美味しさであった。県内の大手のスーパーで買ってもらえて年間1千万を売り上げていた。しかし、半額近くの値段の充填式の同じ名前の商品が出る。やがて「大手スーパー」からは切られて、あの美味しい胡桃豆腐は食べることができなくなる。
1990年代のことである。食のグローバリズムが地域の小さく価値のある食を作り出していたエコシステムを破壊するのである。地元の「仕入れ商店」は倒産して社長は自殺した。僕の小学校の同級生はあとを継いだ料亭が倒産、自殺した。平野屋がある通りは、近縁の農家から「担ぎ屋」さんが商品の仕入れに来ていたが、地元資本のスーパーがトラックで配送するようになり消えて、今では皆コンビニに置き換わっている。
1千万あった打ち上げも400万を切るようになり僕は独立して「平野屋コンピューティング」となる。そして平野屋は倒産した。僕は当時、ソフトの開発でイケイケであった。しかし,東京の会社に切られる。国体も二年連続で中止となり、どうにもならなくなり、自分が愚かであったことを学んだ。

リベンジである。

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厨房

ようやく片付いてきた。月内には図面審査を受けることになる。もう少し動線を研究して変更を加える。マッサラになったのでイメージが掴める。

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この面は全面ガスコンロをおく。3連が一つに2連が4つ置ける。

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この面にはシンクを入れる。

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冷蔵庫を入れる。かつてのお風呂の脱衣所である。

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お風呂は資材置き場に使えそうだ。

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今日のお裾分け

最高顧問にご賞味いただいた「お裾分け」。今度仕入先を紹介してもらうことになった。恐ろしく安くなる感じがする。

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赤魚の煮付けのゆず風味、ポテトのスパニッシュオムレツ、ワカサギのフライ、もつ煮、玄米である。

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赤魚の煮付けは薄味でゆずを最後に加えて煮汁をカタクリで餡にしてかけた。

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モツはもう少し柔らかいほうがいいようだ。玄米もペロッと食べてくれた。

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Sさんには2.5人前をお持ちする。

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ゆずは少し苦味があって驚かれた。皮ごと煮るのが良いと思うが、皿の上には残さなくとも良いかなとも思う。もう少し薄くスライスしても良いかもしれない。

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娘さんはもつ煮が初めてという、そういう人も多いのだろう。気が付かない内に食べてもらいたいなあ。少し考えたい。

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食事を食べて貰う前は、拳を握れなかったのに、今日は握れて驚いた。指の骨変形も浮腫も和らいでいる。身体の状態は食事に対しての当たり前の反応なのだ。そして、それこそが食事の価値なのだ。

ぼくはまた一つ力づけられた。

いろいろな人に出会うことが出来て僕は「幸運」だ。

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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。