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医師に行かない事が健康、何よりも食事こそが重要

おそらく、運動は大変いい効果がある。身体というコロニーが全体として機能するためには筋肉が動くことは大変重要である。僕は泳ぐのが大好きである。

しかし、いくら運動をしていても。死ぬまでの間に多くの人は「ガン」『「病因」のない症状だけの病』に苦しむ。未来を予言する健康診断のご信託に一喜一憂する。
自分の力で未来を変えるということに気が付けないことは残念であるが、勝手に治られては「メディカルキャピタリスト」は商売上がったりである。

母は家族の食事を作り続けてくれた。やがて食事を作れなる。医療に頼るようになり多重投薬に苦しんだ。そばに住んでいながら忙しさを言い訳にしていた僕が悪かった。しかし、僕も糖尿病の病人である。医師に失明を宣告されて、母の姿に気がつけたのだ。僕は母の晩年、一緒に食事を作り食べで共に自分の人生に向き合った。

母がなくなった4年後、僕は愚かにも医者の言うことを聞き、父を病院に何度も連れて行った。父は1ヶ月苦しんで死んだ。
医者にさえ行かねばまだ生きていただろう。
僕は父母からの「預言」を信じている。人を幸せな人生の終わりに導いてくれるのは『食事』である。


検査値というのは内なる「身体の海」細胞たちが「囁き、叫び、笑い、悲しんでいる声」なのだ
人という細胞生命のコロニーは「お代わりのできない組織や臓器」を守っているシステムである。



「お代わりのできないコアの組織や臓器(脳・神経系(甲状腺等)、腎臓・膵臓・心臓・肺臓・骨髄)」と使い捨てられる細胞(血液・粘膜・皮膚)、速い速度で作り直される血管はどの臓器、細胞生命のリサイクルで使われる「タンパク・脂質」のお財布の筋組織・脂肪組織、神経系で重要な役割をするカルシュウムの保存場所としての骨格、そして恒常性を維持するための多くの細胞群が天文学的な関係性を持ち外部から新たな生命を受け入れながら外に押し出している。検査値はそれぞれの細胞たちの今を伝えている。
オシッコもウンコも体内の海を循環する「海」の調整の結果であり老廃物ではない。

検査値の異常(生活習慣病)は「コアの組織」を守ろうとしている身体の防護壁が破れ始めているのだ。検査値が身体を壊していると言う考え方から抜け出さねば、年をとっていくと致命的な障害が起こる。

自分を変えねば、ピンコロの人生の終わりは来ない。

ピンコロの人生とは、「コア」が衰えながらも健全に維持されている状態である。徐々に衰えていくのでそれぞれの組織は互いに「ディール(交渉)しながらそれまでの役割を受け渡しする。内骨格の生命は皮膚の内側でメタモルフォーゼするのだ。

昨今の栄養学では「ライフステージ」と言う言葉が聞かれる。しかし、「政治的に正しい生命観」は、「フツーの人」と言う概念から抜け出せていない。更年期は「精神的に不安定になり」、思春期は「若さに溢れ」老人は「枯れて性欲も機能も無い」というのが普通なのだという。
そして、そうでない人間は異常なのだ。だから「医療の診断」や「検査値の意味」は決まってくる。確かに「現象敵的・確率的」にはそうかもしれないが、生命は2つとして同じ姿をとらない。その上私達の「病を表す語彙」はそんなに豊かではない。一次感覚(眼耳鼻舌身意=色声香味触法)を共通に理解する方法はないのだ。
痛いと行った時に「どのくらいか」聞かっるがみんな痛さの感触は違う。
昔「鼻毛を抜いた時の痛みを」単位にしたらいいということを言っていた人がいた(要出典)。
り誰にでも効果のある「特効薬」はないのだ。

僕の食事メソッド:プロセスを大事にする

僕の食事メソッドは自分と同じ代謝系を持つ(環境で生きている)食べ物さんをできるだけ伝統的な調理方法にしたがって食べるというものである。
食物連鎖のレンジから「生命(立体構造を維持したタンパク・脂質)」を受け取るということだ。
食事とは栄養素という役に立たない分析値を食べるわけではない。

お盆明けからの3週間、食事を絞っている。これは後で詳しく書くつもりだが、体重が10日で5kg落ちた。食事に対しての渇望が止まった。
食べなければ痩せるというのは過去にも経験があった。しかし、酒や嗜好品に対しての渇望が止まらなかったのである。その渇望は「身体というコロニーを統べるマイクロバイオーム」の求めなのだ。

たっぷりの肉と野菜をトマトソースにする。
中火でひき肉をしっかり炒めて脂と肉汁を出す。
ナスは皮目をよく炒める。ナスの中には数え切れないマイクロバイオームが生きている。栄養価などというものに騙されてはならない。伝統的な調理が美味しいのには意味が有るのだ。
タマネギが入り美味しさが加わる。ソフリットにするのだが、決して中まで沸騰はしない。電子レンジで下ごしらえをするなど僕は好まない。丁寧なソフリットと外見は似てはいても内側から沸騰した水は「生命:タンパク質や脂質の立体構造」を壊す。細胞生命である限り脂質の細胞膜と内外や膜上に埋め込まれたタンパク質は限りなく存在する。
トマト缶を入れる。ここから先は100度以下の状態なのでジックリと煮飛ばしていく。
ディチェコのペンネが半額だったので、茹でることにした。
これでは足りないので魚と手羽先を作ることにした。夜ご飯もこれで済むのだ。
イワシは近海物、こぶりなので焼かないで揚げることにした。
手で開いて、骨が外に向かうようにして粉をふることにした。
ローズマリーオイルを溶かしてペンネをあわせてソースで味を調える。
炭水化物をを絞っている。これで3人前である。
ナズの浅漬、昨日の鶏レバーのしぐれ煮、味噌汁。手羽先にイワシのフライ。
あんまりほしそうだったのでマユにあげた。前より炭水化物に執着がなくなった。
マユのおお昼ごはんである(笑)。
マユのご飯も作っているので、スマートである。多分彼もピンコロの人生の終りを迎えられる。

長い時間がかかったが、ようやく納得の行く食事作りが出来るようになった。後はよる汁を作るのだ。娘が帰ってきたら妻も夕食である。僕は食べない。

無論後かたづけも僕がやる。仕入れは奥さんの役目である。

この料理を食べると、外に食べに行きたいとは思わない。

定年後の長い人生をどう過ごすか考えた方が良いと思う。コンビニ弁当や時間が来たら半額になるスーパーの弁当は身体を少しずつ壊す。いくら栄養学者の太鼓判が押してあっても現実はちがう。

果たして僕の人生はピンコロで終わるであろうか。
それが分かるにはもう少し時間がかかる。楽しみなのだが、僕にはわからないことである。遺言めいておる。

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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。