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幸運な病のレシピ:「好き嫌い」、自分らしい食事、自分らしい人生

マユが、ご飯を食べたがらない。びっくりした。いつもならガツガツと食べて、食べ終わっても容器までも舐め続けるのだが、この日は匂いを嗅いでぷいと横を向く。すぐに僕も味見をしたが、特に腐っているわけでもない。

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どうやら、昨日余っていた鱒を刻んで入れたのがあまり嬉しくなかったのだろう。少し独特の匂いがした。そこでトマトを刻んで山盛りにして隠蔽したら大喜びで食べる。良かった。

好き嫌いってなんだろうか

好き嫌いって、「悪い事」のように思われる。このメンタリティってどこから来るのだろうか不思議であった。

給食は残さず食いなさいと言われ(最近は少し変わったようだが)お勉強もさせられる。過食・拒食は関係性の内で起こる。

「政治的に正しいヒト」の想定

どうしても、それが食べれない。食べろと言われても食べることが出来ない事が「好き嫌い」と言われる。このことは実に恐ろしい問題をはらんでいる。

教育においても、医療においても、介護においても、社会の中での役割全てにおいて、私たちは平等に扱われる。ではその「平等」とは何であろうか?

僕は「政治的に正しい....」と言う言葉を使う。行政が何らかのサービスを行う場合はその人を特別扱いはできない。『差別』ということになるのだ。多くの人から少しずつ金を集めて、その金を使うのだからアタリマエのことである。

民主主義は、全員に参政権を与えることで『共犯者』とさせる。

これは恐ろしいことである。細かい内容は「投票」づることができないから、包括的委任となるのだ。そして、その包括的委任が問題なく運用されているかを保証するのが、議会でありメディアであり内部告発であり「両親と憲法」であるのだ。

しかし、世界は「経済」に買い取られてしまっている。


食事と生命

2019年9月22日から、毎日僕はマユのご飯を作っている。
素材から内側の「水(生命の海)」を大事にする調理のプロセスをを重視する。

「水(生命の海)」というのは、細胞の内外に存在する蛋白質や脂質の「活動している時の立体構造」及び、「液体中での集団となっている時の特製=相分離」を重視するということである。タンパク質や脂質は壊れやすい立体構造(三次構造)を持っている。そして、代謝は特定の物質(生化学化合物)が常温で化学反応を通じて別な物質(生化学化合物)へと変わることだ。

「消化」と言う概念が曲者間違えの元である。あたかも食べてものは全てバラバラにされ「元素」のレベルまで解体されて体内に持ち込まれ、体内で全て新しく作られると考えているのである。
これが間違えなのだ。
『必須栄養素以外は身体の内側で作ることが出来る』という傲慢な思想。
アレルギーというのは身体の内側に「タンパク・脂質」が立体構造を維持したままに入り込んできて起こるのである。

「リキーガット」と言う病気があるという。腸に穴が空いていて外から「悪人」が侵入してくるという。なんと純真単純バカな考え方であろうか。花粉症は、目や鼻の喉の粘膜から「悪人」が入り込んでくる病気だというのと一緒である。
粘膜は身体というコロニーに客人を受け入れる。皮膚は外に代謝物を押し出していく。そしてそれを好む生命を引き寄せる。
植物は幹や根から外部に「餌」をまいて特定の生命を引き寄せる。

受精卵は受精した瞬間から自分の周りに「守ってくれるマイクロバイオーム」を引き寄せる。親衛隊に守られて受精卵は破壊されることなく着床まで大きくなる。免疫は必要なくなった部分を破壊する無慈悲な壊し屋なのだ。決して目的を持って「身体を守っている」わけではない。
擬人化は愚かな思い込みを生むのだ。

「悪人」が悪いと言う考え方は好きではない。同じ様に「善玉」を生命の下請けに考える視点も好まない。
生命(=身体というコロニー)とは多くの生命がダンスしているのだ。善も悪もなく、敵も味方もない。集い、別れやがて別などこかで出会う。つかの間の生を喜び生きるのだ。大げさである。


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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。